<吉祥寺残日録>「片上のおばちゃん」の葬儀で懐かしい親戚たちに出会う #210926

朝、ホテルを出て岡山駅へ向かう。

久しぶりに喪服を着て、真新しい革靴がまだ足に馴染んでいない。

JR赤穂線のホームでは、ちょっと古めの黄色い電車が待っていた。

この電車に乗るのは、「片上のおばちゃん」の葬儀に参列するためだった。

赤穂線に乗るのは初めてである。

私の母のただ1人の妹である「片上のおばちゃん」は、いつも自分で車を運転して、向こうから会いに来る人だったからだ。

幼い時に両親に先立たれ、私の母とは別の親戚に預けられたおばちゃん。

母はよく話していた。

「私はなんでも買ってもらえてとてもよくしてもらったが、勝気な妹は子沢山の家庭の中で結構苦労したんだと思う」と。

私の中にある「片上のおばちゃん」の最初の記憶は、すでに亡くなったおじちゃんと一緒にライトバンで行商する姿である。

まだ店も持てず、問屋で仕入れた品物をあちこち回って売りさばく生活だったのだろう。

公務員だった私の父とは全く違うタイプの人たちだというのが、幼い私の第一印象だった。

大酒飲みで寡黙だったおじちゃんとは対照的に、「片上のおばちゃん」はいつも元気で賑やかだった。

おばちゃんが来るとどんな場でも笑いに包まれ、人見知りだった私もおばちゃんの話を聞いていつも笑っていたのを覚えている。

天性の商売人、誰とでもすぐに親しくなる天才的なその才能は、幼い頃の苦労によって身についたものかもしれない。

40分ほど電車に乗って、伊部(いんべ)という駅で降りる。

「片上のおばちゃん」は行商で稼いだお金をもとに、この田舎町に夫婦で営むお店を構えたのだ。

おばちゃんは岡山の問屋で衣料品を仕入れて、ブティックのようなものを始め、おじちゃんは自ら料理をして食堂をひらいた。

順調に商売を広げ、地元の警察署のお弁当など手広く扱う地元の有名店に育てたようだ。

伊部の駅を降りると、「備前焼の里」という看板が立っていた。

そう、この町は、岡山を代表する焼物「備前焼」の窯元が集まる備前焼の里なのだ。

おじちゃんは生前、稼いだお金で備前焼をたくさん買い集めていた。

家には足の踏み場もないほどの備前焼が無造作に置かれていたが、その多くが人間国宝の作品だったり、将来有望な作家の作品だった。

駅からのんびり歩いて葬儀が行なわれる会場にたどり着くと、私のいとこ、すなわち「片上のおばちゃん」の息子たちが迎えてくれた。

長男は岡山で高校の教師、次男は東京で敏腕トレーダーとして活躍していた。

2人は子供の頃から対照的で、寡黙な長男とお調子者の次男。

おじちゃんはいつも次男を市場の仕入れに同行させ、自宅での宴会の席にも次男を立ち会わせていたという。

やっぱり、子供の頃の育て方が、その後の人生に大きな影響を与えるのだな。

10年以上会っていなかった次男の話を聞きながら、妙に対照的な兄弟の秘密を知った気がした。

私の母は、昨夜のお通夜からこの斎場に泊まり込み、妹とのお別れをしたようだ。

母方の親戚も大勢やってきた。

その中に、農作業中に大怪我をして下半身不随となった健ちゃんもいた。

気の優しい兄貴タイプの人で、親戚の中で私が一番好きなお兄さんだった。

いつも明るくみんなの世話をしてリーダー的な存在だった健ちゃんが今はみんなに世話してもらう存在になってしまった。

最初に大怪我の話を聞いた時には、あまりのショックに何と声をかけていいかわからず、岡山に帰省してもお見舞いに行くこともできずに月日が流れてしまった。

図らずもおばちゃんの葬式で健ちゃんと再会できた。

車椅子でやってきた健ちゃんは、話で聞いていたよりは元気そうで、手足は動かないものの、頭はしっかりしていて話も普通にできた。

大怪我をした直後には絶望し生きる気力を失っていた健ちゃんは、リハビリの結果、ひとりでご飯が食べられるようにまで「回復」したという。

会えて、よかった。

葬儀が終わって火葬場に向かう時、いとこ兄弟と備前焼の話になった。

おじちゃんが買い集めていた備前焼はどうしたのかと私が聞いたのがきっかけだった。

かなりの部分は処分したというが、大した金額にはならなかったという。

コロナ禍で観光客が激減し、メルカリなどでタダ同然で出品する人も増えているためらしい。

家にあふれる備前焼を鑑定してもらったら、かつての5分の1程度に値下がりしているのだそうだ。

おばちゃんが暮らしていたかつてのお店は、今もそのまま残されている。

今は誰も住んでおらず物置状態になっているらしいが、あの家はどうするのだろう?

他人事ながら気になった。

還暦すぎると、右を向いても左を向いても、病気や介護や後片付けの話ばかりである。

しかし、そういう話にまともに耳を傾けるだけの余裕がこの歳になって私にも出てきたようにも感じる。

長い間会っていなくても、会えば気楽に話ができる親戚の不思議さを感じた。

子供の頃は、親戚が大嫌いな私だったのに・・・。

<吉祥寺残日録>100歳の伯父の訃報 #200626

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