<きちシネ>#04「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」(2017年/アメリカ映画)

ウォーターゲート事件を描いた「ザ・シークレットマン」を観た時、この映画の予告編が流れた。観たいと思った。この2本は、まさにセットのような映画だ。

どちらも大統領の強大な権力を利用して情報操作や言論統制を行おうとしたニクソン政権に対して、勇気を持って戦いを挑んだ人々の記録だ。

「ザ・シークレットマン」はFBIの役人が主役であり、「ペンタゴン・ペーパーズ」はワシントン・ポストの記者や経営者が主人公である。

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監督はスティーブン・スピルバーグ。

そしてメリル・ストリープとトム・ハンクス共演という素晴らしい布陣だ。

スピルバーグ監督がなぜ今、この映画を作ったのか?

そこにはトランプ政権と今のアメリカ社会に対する強烈な危機感が現れている、と私は感じた。フェイクニュースが横行し、メディアや司法が権力を監視しきれなくなった時代を私たちは生きている。アメリカに限った話ではない。

「権力と戦う」というのは実際には生易しいことではない。権力を批判する記事を書くということは、常に自らを危険に晒すことを意味する。本当にその情報は真実なのか。どんなに裏を取る努力をしても100%の確信は得られない。独自情報を出すということは最後は自らリスクを取るということだ。もし少しでも間違いがあれば、激しい反撃にあう。記者自身はもちろん会社にさえ破滅をもたらすのだ。

映画の主人公たちは、ベトナム戦争に関する最高機密文書を入手し、自らの逮捕や会社の存続がかかるギリギリの状況の中で、機密文書の内容を紙面に載せる決断をする。当然、社内でも様々な意見が対立する。現場と経営の対立。報道の仕事をしていれば、誰もが経験する事態だ。

「報道の自由」とは誰かが与えてくれたものではない。その歴史はむしろ浅い。

それは歴代のジャーナリストたちが悩み苦しみながら勝ち取ってきた「自由」なのだ。「報道の自由」などまったくない国の方がいまだに多いのが現実だ。民主国家において「報道の自由」が認められる大前提は、一般市民から支持されることだ。報道の自由が民主主義社会にとって不可欠だという共通認識があって初めてジャーナリストの仕事が成り立つ。

しかし今、既存メディアに対する一般市民の支持は弱まっている。発信源のわからない情報がネット上で拡散し、多くの人がその情報を信じる時代になってきた。そこに意図的にフェイクニュースを悪用する輩が登場する。これから政治に携わる人間は、どの陣営であろうとネット上の情報操作の術を知らなければ政治活動などできない時代が来るだろう。

ツイッターを使い、恥ずかしげもなく自画自賛の情報を垂れ流すアメリカ大統領が登場するとは、さすがのスピルバーグ氏も数年前には想像もできなかっただろう。

こんな時代だからこそ、権力を監視し、プロとして情報を発信するジャーナリストの存在は貴重だ。そのことをこの映画は伝えようとしている。

一般の人にとっては決してわかりやすい映画ではない。しかし、私には強いメッセージが伝わった。観終わって私が感じたのは、私もまだ何かできることを頑張ろうという強い気持ちだ。

今こそ、ジャーナリストと司法が頑張らなければならない、世の中がおかしな方向に行ってしまう。

Yahoo!映画の評価3.95、私の評価は3.70。

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