高校時代、私は世界史が得意だった。
といっても、世界の歴史を理解していたのではなく単に丸暗記が得意だっただけである。
66歳になったのを機に、改めて世界史を学びたいと思っている。
なぜならば、縦軸となる歴史と横軸である世界を俯瞰し、大まかな流れを掴むことによって初めて、今私が生きている時代を理解する軸が得られると考えるからである。
そんなことを考えたきっかけは、たまたま図書館で一冊の本を目にしたからだった。

『ビジュアル 1001の出来事でわかる世界史』。
現代の世界で最も信頼性の高い科学教育団体である「ナショナルジオグラフィック協会」が編纂したものならば、世界史を学び直すベースになり得るだろうと私は考えた。
古事記や日本書紀に頼る過去の日本史ではなく、近年著しい進展を遂げている考古学的な成果も踏まえて、私たちが生きている時代や世界で起きている出来事などをもう少し広い視点から複眼的に捉えることができるようになれば、人間はもう少し賢くなれるのではと考えている。
ただ一つ気を付けておきたいのは、この本が出版されたのが2012年、すなわち今から12年も前だということだ。
考古学の世界は日進月歩、毎年さまざまな歴史が塗り替えられていることを頭に置きつつ、この本を読み進めることとしたい。
では、まずは第1章「古代」から。
人類の誕生から紀元前1万年頃までの出来事である。

🔸38億年前 生命の出現
🔸6500万年前 大絶滅
直径約10キロの大隕石がメキシコのユカタン半島に激突、恐竜をはじめ陸海空で生きる無数の生物種が絶滅し、地球全体の景観と生物相は一変した。この「K・T境界事件」と呼ばれる白亜紀と第三紀の境目に起きた大量絶滅は、地球史上最初でも最大でもないが、私たちが知る今の地球にとっては、最大の事件だった。恐竜が食物連鎖の頂点から転落し、代わって哺乳類にチャンスが訪れ、最終的にその座についたのは人類だった。
🔸365万年前 直立二足歩行の始まり
比較解剖学や古気象学によると、直立二足歩行の開始は600万年前まで遡るが、疑う余地のない最古の証拠は356万年前のものが残っている。すでに絶滅したヒト科のアウストラロピテクスが、その時代に東アフリカ(現タンザニア)の火山灰の上を3人で歩いた痕跡が残っているのだ。足跡はやがて埋もれて化石となり、1978年になって発見された。
🔸260万年前 石器の発明
明らかに人類の手が加わった最古の石器はエチオピアのカダ・ゴナ川流域で発見された。初期の人類が狩猟をしていたのではなく屍肉をあさっていた。
🔸140万年前 人類の拡散
太古の人類が初めてアフリカを出た時期に関する論争は、いまだに決着がついていない。中東への最初の移住を約190万年前とする説もあれば、約140万年前だとする慎重論もある。最初にアフリカ大陸を出てほかの大陸に移住した人類は、ホモ・エレクトゥス、あるいはホモ・エルガスターという、たくましい原人だったというのが定説になっている。
🔸140万年前 火の使用
火を使った最古の遺跡は、130〜140万年前に遡るケニアのチェソワンジャと南アフリカのスワルシクランスである。最古の暖炉の遺跡としては、中国と南欧で46万年も前の横穴状のくぼみが発見されている。
🔸50万年前 ホモ・サピエンスの出現
遺伝情報によると、50万年余り前に共通の祖先から2系統に枝分かれし、やがて外見の異なる2種類のホモ・サピエンス亜種が出現したことが明らかになっている。一方はアフリカに出現した現生人類、もう一方は欧州や中東で化石が発見されたネアンデルタール人だ。両者は共通の祖先ホモ・ハイデルベルゲンシスから分化したと見なす研究者もいる。解剖学的に現代人と変わりないホモ・サピエンスは約20万年前頃の東アフリカで暮らしていた。大きな体や強い力を備えていない彼らは、よく発達した大きな脳を生かして考え、抽象的な表現を用い、言葉を話した。
🔸5万年前 海に進出した人類
オーストラリア最古の住人たちは、5万年あまり前に人類で初めて海洋船を建造し、外洋を航海していた可能性が高い。氷河時代の当時、地球上の水の多くは氷河に閉じ込められ、海水位は今より100メートルも低かった。オーストラリアはニューギニアやタスマニアと地続きで、サフルと呼ばれていた。古代の船乗りは竹でいかだを組み、東南アジアから島伝いにサフルへ渡った。サフルに渡った人々は、約4万5000年前から最古の岩絵を残した。
🔸3万6800年前 楽器の発明
異論の余地なく今に伝わる最古の楽器は、欧州で発見された3万6800年前の骨製のフルートと笛、そしてラスブと呼ばれるこすり合わせて音を出す楽器だ。ピレネー山脈のフランス側に位置するイストゥリッツという洞窟からは、骨製のフルートが全部で17本も出土した。
🔸3万5000年前 ネアンデルタール人の絶滅
欧州と西アジアで暮らしていたネアンデルタール人は、3万5000年前には衰退の一途をたどり、2万8000年前には絶滅する。ヒトは洗練された言語を使って複雑な考えを伝えることができ、高度な道具を使って定住できる住まいや織物を作れたが、氷河が広がり厳しさを増しつつある気候を生き延びる能力の点で、ネアンデルタール人は劣っていたのだ。
🔸3万5000年前 芸術表現の開花
アフリカ、欧州、オーストラリアの遺跡150カ所以上で、この時代の洞窟壁画が見つかっている。スペインのアルタミラやフランスのラスコーの有名な洞窟壁画のように、細部の造形描写が見事な作品もある。
🔸2万5000年前 アメリカ大陸への移住開始
約2万5000年前、最終氷河期が最寒冷期に入ると、地球上の水の多くが氷河となり、シベリアとアラスカを結ぶベリンギアと呼ばれる陸地が生まれた。1万4000年前頃まで凍っていたこの陸橋を伝い、カリブーやバイソン、ジャコウウシなどの大型動物を追って数多くの集団がシベリアからアメリカ大陸に渡った。北米大陸の氷河が後退すると、シベリアとの間の氷が溶けてまた海に隔てられるが、その影響で1万2000年前以降は大陸南部へ、内陸ルートでの移住が進んだ。だが、南北アメリカ大陸に残る遺跡の多くは氷河の後退した1万2000年前より古く、中には何千年も古い遺跡もある。ということは、アメリカ大陸への最古の移住者は、船で渡ってきた可能性がある。
🔸紀元前1万5000年 弓矢の発明
弓矢の発明は、大きな技術進歩をもたらした。古代の狩人の獲物をはそれまでよりはるかに遠くから安全に大型の獲物を狙えるようになると同時に、それまでよりはるかに高い精度と速度で命中させられるようになった。
🔸紀元前1万3000年 定住生活の開始
氷河が後退し地球全体の気温が徐々に上がるにつれ、小麦や大麦など野生の穀類が豊富に育つようになる。現イスラエルのガリラヤ湖畔の遺跡から、紀元前1万7000年までに人類が野生の穀物を収穫して同じ場所で冬を越していたことがわかる。およそ紀元前1万3000年までに、一年を通してガリラヤ湖畔に定住する、ナトゥーフ人と呼ばれる人々の共同体が出現した。おそらく紀元前1万1000年頃までには犬を飼い、定住生活が定着したいた。
🔸紀元前1万500年 チリ南部への定住
南米の最初に定住した人々は、遅くとも紀元前1万500年には、パタゴニア南部の氷河までたどり着いている。チリ南部のモンテ・ヴェルデ遺跡から、彼らが粘土で縁取られた炉で暖をとり、調理したことがわかる。
🔸紀元前1万500年頃 最初の土器
これまで知られている世界最古の土器は、紀元前1万500年頃、日本列島で狩りや漁をしていた初期縄文人が作ったものだ。最古の縄文土器は、土を紐状に巻いて作り、焚き火で焼いた。この頃の土器はいずれも丸底か尖底である。焚き火中央の土や灰に器を固定して調理に用いたらしい。後に作られる平底の器は、貯蔵用と見られる。当初の土器は、装飾が最小限だったが、やがて複雑な文様を施すようになった。焼成前の表面に、縄などを転がして文様を付けた。こうした文様は「縄文」と呼ばれ、当時の文化の総称伴っている。技術や芸術性が向上すると、粘土を焼いて作った型に粘土を押し当てて像を作るようになる。この「土偶」と呼ばれる像の多くは妊娠中の女性を表現しており、豊穣祈願の儀式用らしい。

文字が発明される前のこの時代は「先史時代」と呼ばれる。
だから、この時代の歴史は地中から掘り出された遺物の分析などからそれが作られた時代を推定し、想像力豊かにどんな出来事が起きたのかを考えることになる。
そうした時代にあって、日本の縄文土器が世界最古の土器として記載されていることはなんとなく嬉しいことである。
ただ、遺跡の発掘はどうしても先進国が中心であり、まだ人類が知らない遺跡が世界各地に眠っているに違いない。
DNAを使った新たな分析技法も次々に開発され、先史時代の歴史は今後もどんどん塗り替えられていくだろう。

続いては、紀元前8000年から3000年頃まで、その後の人類の歴史に影響を及ぼすさまざまな発明が生まれている。
🔸紀元前8000年頃 人口の増加
農耕生活への移行に続いて人口爆発が起こり、世界各地での開発が現在まで永続的に行われる。その一つが都市の建設だった。エリコの名で有名なイスラエルのテル・エル・スルタン遺跡は、紀元前8000年にはすでに繁栄していた。今も一年中湧き出る天然の泉を中心に農業共同体が作られた。エリコの人々は、日干しレンガで町を建造した最初の人類でもあった。また高さ3メートル65センチもある石の壁を町の周りに巡らした。
🔸紀元前6500年頃 金属加工の発達
金属の加工技術は紀元前6500年頃に中東で始まった。こねた粘土を窯で焼き登記を作る技法は、紀元前7000年頃には中東に浸透していた。それからほどなくして、その窯が銅を溶かす溶鉱炉として初めて使われる。メソポタミアのチャタル・ヒュユクなどでの初期の金属加工は、主に銅をビーズや小さな装飾品に鋳造することだった。紀元前4000年頃には、銅と錫とを混ぜるとより強度の高い合金、青銅ができることを発見している。
🔸紀元前6000年頃 灌漑施設の発達
紀元前6000年頃、メソポタミアで発達した灌漑技術のおかげで、定常的に余剰食料を生産できるようになった。
🔸紀元前5000年頃 稲作の開始
中国南部で稲作が始まると、堤防や用水路を築くために、かつてない大規模な社会組織が誕生した。長江デルタの河姆渡(かぼと)遺跡などから、遅くとも紀元前5000年までに、あるいはもっとずっと古い時代に、灌漑技術が確立していたことがわかる。木や骨の農具を駆使することにより、農民たちは年に3回もコメを収穫していた。中国南部からインド、東南アジア、東アジアへと稲作の技術が伝わった。
🔸紀元前5000年頃 天体の観測
太陽や月や星については、古代から多くの農耕社会で観測されていたと考えられる。収穫の成否を決めるのは、季節ごとに氾濫しては引く洪水や日照時間だったからだ。天体観測の最古の遺跡は、エジプト南部ヌビア砂漠のナブタ・プラヤに残る巨大な環状列石で、紀元前5000年以降のものとされる。雨季の到来を告げる夏至の太陽が地平線から昇ってくると、その光がこの巨石の列を結んだ直線上にぴったりと重なる。この環状列石は、後にエジプト太陽暦に発展する。エジプトの太陽暦は、毎年ナイル川が氾濫する時期に東の空に現れるおおいぬ座の星シリウスを基準にしている。そして365日を12ヵ月に分け、作物の収穫時期に合わせて季節を氾濫季、成長季、渇水季の三つに分けた。
🔸紀元前4500年頃 巨石建造物
アフリカや欧州、東南アジアには、きわめて古い時代の巨石建造物が残っている。マルタ島からスコットランド北沖のオークニー諸島まで、西欧一帯には紀元前4500年頃以降に建てられたさまざまな巨石建造物が今もそびえている。メンヒルと呼ばれる直立する巨石はたいてい二列に平行して並んでいるので、儀式の行列の通り道として使われたと見られる。こうした列石は、たいてい、最後に環状の列石にたどり着くことから、環状列石の中は儀式の中心として使われたと考えられる。環状列石のうち最も有名で謎めいているのは、4000年以上後の今なおそびえるストーンヘンジである。
🔸紀元前4000年頃 トウモロコシの栽培
南北アメリカ大陸で独自の農耕が発展したことは、世界の農業の起源が1カ所ではなく、世界各地において、まちまちな時期に始まったことを示している。トウガラシやカボチャ、アボカドやジャガイモなどの作物は、中南米で数千年にわたり季節ごとに移住先の野営地で細々と栽培されていた。南北アメリカ大陸で農村生活が本格的に始まるのは、トウモロコシが栽培化される紀元前4000年頃のことだ。トウモロコシの生産は、中米で栄えた各帝国の経済基盤となると同時に、日々の暮らしの重要な糧となった。
🔸紀元前4000年頃 馬の家畜化
馬の家畜化が始まった年代を特定するのは難しいが、その最古の痕跡が現代のウクライナに馬糞の塚として残っている。それは紀元前4000年頃の半農半牧民クルガン族が築いたものだ。エクウス・カバルス(馬の現生種)はすべて、人間が家畜化した結果として存在している。6000年にわたる品種改良は、農耕や競争、戦闘など用途別の馬を作り上げた。現代の馬はすべて、アジアの大草原地帯に生息していた先祖から分かれ、各地に広がり、繁殖してきた。馬は、古代の戦闘において騎馬部隊として採用され、圧倒的な戦力を発揮した。フン族など中央アジアの遊牧民は、紀元数百年頃にあぶみを発明した。あぶみにより馬にまたがったまま両手で弓を引けるようになり、フン族は5世紀の欧州に矢と恐怖の雨を降らせた。
🔸紀元前4000年頃 犂の発明
牛に引かせる犂(すき)の発明により、焼き締めた掘り棒や鍬といった簡単な道具を使って、手で畑を耕し雑草を抜く重労働から人類は解放された。考古学的に残る最古の犂は、紀元前4000年頃のものとされる。犂は農業技術に革新をもたらし、作物の生産性を向上させた結果、文明をより洗練されたものにしたと言える。
🔸紀元前3500年頃 輸送技術の進歩
車輪の発明と造船技術の進歩が、ほぼ同時期に起きたことにより、近隣地域を結ぶ交易ネットワークが張り巡らされ、それぞれの地域に交易圏が生まれた。車輪発祥の地については諸説があるが、メソポタミア地域では、紀元前3500年頃までに二つのきわめて重要な目的に使うようになっていた。第一に、回転台やろくろに応用し、高品質の器を大量生産するのに使った。第二に、輸送手段として用いた。輸送用の荷車に使ったことは、古代シュメールの象形文字に記録されている。車輪のおかげで、大量の商品を陸路で運ぶ距離が大幅に伸びた。車輪に車軸を付け、家畜化したウマにひかせるようになると、車輪は二輪戦車にも応用され、強力な戦闘機具になった。
🔸紀元前3200年頃 都市国家の成立
メソポタミア最古の都市国家は、世界最古の統治体制だった。都市国家ウルクは、紀元前3200年までに、現在のイラクのユーフラテス川沿いに成立した。ウルクの白色神殿とジッグラト(ピラミッド形の塔)は、世界最古の宗教儀式専用の建造物で、おそらく1500人にのぼる労働者によってこの時代に建造されたと見られる。さらに有力な王たちは富の力で軍勢を強化し、戦闘で他国を圧倒し、やがてそれぞれの帝国を築いていく。シュメールの多くの都市国家はそれぞれ、周囲の1000平方キロもの土地を支配していた。ラガシュ、エリドゥ、キシュ、ニップル、ウルク、シッパル、アカシャク、ウルなどの都市ははるか昔からその名を轟かせていた。
🔸紀元前3100年頃 南米での都市定住開始
南米アンデス地域における都市定住と記念建造物の建設は、エジプトやメソポタミアとほぼ同時期の紀元前3100年頃に始まった。最古とされるアスペロ遺跡は、ペルーの北部沿岸に位置し、6基のピラミッド状祭壇と泥と石で築いた数多くの建造物が威容を誇る。
🔸紀元前3100年以降 エジプトのファラオ王制成立
紀元前3100年以降、古代の上エジプトと下エジプトの王国の文化と政治が徐々に統一され、中央集権化した都市国家が誕生した。そして宗教性の濃いファラオが権力の座に就いた。古代スーダンの王の例に倣い、この時代の人々はファラオを地上の神、人間と神の仲介者とみなした。そうしてファラオは、生前は絶対権力を、死後は壮大な記念建造物を享受した。31代にわたるファラオの統治下で、この時代からほぼ3000年にわたり、エジプトは強大な独立国として存在した。
🔸紀元前3000年頃 絹織物の始まり
最古の絹織物は紀元前3000年頃のものとされる。その起源ははるか古い時代に中国東部の黄河流域で農耕生活を送っていた仰韶(やんしゃお)の人々にある。絹織物の存在は紀元前2世紀まであまり広く知られておらず、中国の大半の地域でも知られていなかった。中国は、この高価な贅沢品をシルクロードを使ってはるかインド、ペルシア、メソポタミア、ローマまで輸出した。
🔸紀元前3000年頃 紙の発明
文字を記録し、保存する手段としてパピルスが発明されると、それを用いて最初の本が作られ、遠くまでに容易に持ち運びできるようになった。パピルスは紀元前3000年頃、エジプトで最初に作られた。パピルスの原料はパピルスという同じ名前のアシで、沼地に生えていた。エジプトの紙職人はパピルスの茎の内部繊維を細長い短冊状にし、ついで短冊を布の上に縦と横に重ね合わせて並べる。それを湿らせ、叩き、押しつぶすことで、アシの樹液で短冊を貼り合わせて一枚の紙にする。さらに、小麦粉の糊でパピルスの紙を貼り合わせて長い巻物状にする。そこにアシのペンを使い、さまざまな色のインクで書き記した。巻物が使えるようになって、高い知識を持つ筆者が増えた。彼らは、科学、医学、歴史、建築、宗教について巻物に書き残した。パピルスの巻物を通じて、古代エジプトやギリシア、ローマの知識、文化が広く伝わると同時に、後世に受け継がれた。

紙の発明は、歴史を記録するという意味では大変に意味がある。
この時代、日本列島で栄えた縄文文化もかなり洗練されたものだったようだが、記録を残さなかったため日本の古代史は長く謎に包まれ、縄文は遅れた時代との認識が日本人の間でも定着していた。
逆に言うと、私たちが学校で習った4大文明やギリシャ・ローマの先進性も、しっかりした文献が残っていたことが理由で世に知られるようになったとも言える。
たとえば、偉大な中国文明がなぜあれほどまでに北方の騎馬民族に手を焼いたのか子供の頃には疑問だったが、それは匈奴など北方の騎馬民族が単なる野蛮人ではなく、文字に記録されない独自の文化を持っていたからに他ならない。
歴史を学ぶ時、文字の記録を残した民族と残さなかった民族があることを認識し、それだけをもって優劣を判断すべきではないと心すべきだろう。

続いては、紀元前3000年から1300年頃まで。
この時代、世界各地にさまざまな国家が誕生し、巨大帝国も出現する。
🔸紀元前2600年頃 エジプト最古のピラミッド
イムホテブは、歴史上最初の医師であると同時に、エジプトの最古のピラミッドを建築した建築家として、その名を留めている。平民の子として生まれたイムホテブは、紀元前2630年から2611年まで在位したファラオ、ジョセルの時代に、有能で学識豊かな行政官として頭角を表した。ジョセル王の高さ約60メートルの階段ピラミッドは、古代エジプトの最初の王の墓であり、切り出した岩だけで築いた建造物として世界最古だ。それ以降数世紀にわたり次々にピラミッドが築かれ、かつてない規模の建造物群が造られた。中でも紀元前2551年から同2528年にかけて建造された、ギザのクフ王の大ピラミッドは、最大の規模を誇る。最大15トンの石灰岩のブロックを約230万個使い、当初の高さは147メートルだった。おそらく人類が造った最大の建造物であり、19世紀に入るまでその高さに勝る建造物はなかった。
🔸紀元前2600年 弦楽器の発明
現存する最古の弦楽器は、紀元前2600年頃のものだ。リラ(竪琴)9台とハープ3台が、メソポタミアの都市ウルにある王族の墓から出土した。壁画や小像から、ほぼ同時代のエジプトやエーゲ海諸島にもよく似た弦楽器があったことがわかる。
🔸紀元前2500年 ハラッパー文明の台頭
ハラッパー文明(通称インダス文明)は、現パキスタンのインダス川流域を中心とする、ペルシア湾からヒマラヤの麓までの地域に栄えた。紀元前2500年までに、この約130万平方キロの地域に、二つの大都市と数百の中規模の都市が築かれた。宮殿や王墓はなく、高級品の類もほとんど発見されていない。ハラッパーとモエンジョ=ダーロの碁盤の目状に整備された大都市の発掘からわかるのは、衛生設備を重視していた日常の暮らしぶりだ。両都市の各家屋には、トイレ付きの専用バスルームが設けられ、汚水は街中に張り巡らした下水溝に流れる仕組みになっていた。これは古代世界で最も洗練された公共下水設備だった。
🔸紀元前2334年 最初の帝国の創建
メソポタミアの都市国家アッカドの王サルゴンは、半ば伝説的な存在であるが、自分の都市国家以外にも権力を及ぼした最初の人物、つまり帝国を築いた史上初の人物とされる。56年にわたる在位中、サルゴンは征服やそのほかの手段によって、直接統治ではないにせよ、ペルシア湾から地中海までを勢力下に置いた。この時代の資料はほとんど残っていないので、サルゴンの業績の全容は不明だが、後のメソポタミア人は、続くバビロニア、アッシリア、新バビロニアなど1500年以上にわたるメソポタミア帝国の軍備の伝統を残したのはサルゴンだと考えた。
🔸紀元前2200年頃 中国の夏王朝
記録に残る最古の中国王朝は、黄河流域の夏王朝とされ、半ば伝説的な存在である。夏王朝は紀元前2200年頃に現れた。初期の夏王朝の都市は、龍山文化の流れを汲んでいた。龍山文化は中国で最初の青銅の道具や器を作り、最古の中国文字を考案し、さらにヒスイに彫刻を施し、ろくろ成形でわずか1.3センチの厚さの土器を焼いたことで知られる。紀元前1900年頃には、現在の河南省二里頭に最初の完璧な都市が築かれて、夏王朝の都となった。二里頭では、広さ約1万平方メートル以上もある宮殿跡が発掘されている。
🔸紀元前2000年頃 インド=ヨーロッパ語族の移住
インド=ヨーロッパ語族は、紀元前2000年前後の数百年の間に、黒海北部の草原地帯から移住を始め、遠くスカンジナビアやスリランカまで言語や文化の足跡を残した。インド=ヨーロッパ語族は、1年で800キロを馬に乗って移動する半遊牧生活を送っていた。そのため人口が増えて窮屈になり移住せざるを得なくなった時には、移住できるだけの準備ができていた。彼らは、紀元前2300年までに欧州中央部へ、紀元前2000年までにアナトリアへ、そして紀元前1500年までにインド北部へと、車輪付きの乗り物に乗って徐々に、ほとんどの場合は平和的に新天地に移住した。やがてケルトやヒッタイト、ペルシアやアーリヤなどほかの言語を使う民族と同化し、現代の英語やスペイン語、ロシア語、ペルシア語、ヒンディー語など地域ごとの言語に分化していった。
🔸紀元前2000年頃 ギルガメシュ叙事詩の編纂
ギルガメシュ叙事詩は、最古の文学作品の一つだ。善と悪の物語であり、後世の叙事詩の手本ともなった。ギルガメシュ叙事詩をはじめとするアッカド語の叙事詩は物語の主題として、大洪水や邪悪なヘビ、誘惑する女神や不死の探究などを取り上げた。こうした主題は、後に旧約聖書や、ヒッタイト語やギリシア語、ローマ語などの叙事詩にも繰り返し登場する。
🔸紀元前2000年頃 クレタ島のミノア文明
クレタ島のミノア人は、宮殿中心の国家を最初に築くと同時に、西洋初の極めて高度な文明を築いた。最古で最大の宮殿クノッソスは、ミノス王とミノタウロスの神話に着想を得て建造されたものだ。防衛や常備軍の維持にほとんど経済資源を費やさなかったため、文化や商業の面で存分に活躍することができた。進歩的な交易以上に目をひくのは、国家が詳細な交易記録を残したことだ、目下のところミノア文字は未解読だが、記録は正確かつ膨大であり、当時として最高水準の官僚組織が機能していたことがわかる。紀元前1628年、テラ島(現サントリーニ島)で起きた噴火でミノア文明は壊滅的な被害を被り、失われたアトランティスの伝説が生まれた。
🔸紀元前2000年頃 アブラハムの時代
ヘブライ人の始祖アブラハムは、世界の主な一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教において、神聖な預言者として崇拝されている。聖書によると、アブラハムはメソポタミアの都市ウルに生まれた。アブラハムは一族とともに、紀元前2000年以降のある時期に、月の神シンの聖地であったヘブライ人の町ハランに移住。父の死後、至高神エルが広く奉じられていたカナン(現在のイスラエルとパレスチナ地域)に移住した。エルの名は、旧約聖書でヤハウェの別名として使われる。アブラハム一族はメソポタミアとユダヤとカナンの伝統を自分たちの伝統に取り入れ、その後エジプトに移住する。アブラハムは諸民族の父と呼ばれ、キリスト教徒とユダヤ教徒は、その息子イサクを介してアブラハムをイスラエルの民の父とする。イスラム教徒は息子イシュマエルを介してアブラハムをイスラム教の預言者とする。
🔸紀元前1876年 初めて記録された日食
記録に残っている最初の日食は、中国の天文学者が紀元前1876年に記したものだ。記録は極めて正確で、日食の日付が10月6日であったことまで特定できる。この記録を残した夏王朝の天文学者だけでなく、それ以降1000年にわたる古代中国王朝の天文学者は、その時代の王の在位期間や重要な出来事を記録するのに食などの天文事象を目安にした。おかげで古代中国史は、正確な年月日をたどることができる。
🔸紀元前1800年頃 数学の進歩
位取り記数法は、古代バビロニア人が世界で最初に考案したとされる。そのおかげで、バビロニアの数学は紀元前1800年頃までに大きく進歩した。ただし10進法を使う現代の表記法とは違い、バビロニアでは60進法を使っていた。
🔸紀元前1792年頃 ハンムラビ法典
ハンムラビ法典は、行政・倫理改革の一環として、ハンムラビがバビロニアの王位を継承した紀元前1792年頃以降に制定された。最古の法典というわけではないが、範囲の広さと保存状態のよさは随一で、高さ225センチの玄武岩板に3500行以上にわたり刻まれている。「目には目を」という同害復讐法がよく知られているが、これは例外条項の一つで、条文に原始的な報復慣習はほとんど記されていない。
🔸紀元前1700年頃 南米における国家の建設
南米アンデス地域では紀元前1700年頃までに国家建設が始まった。このことは、ペルー中部のリマック川流域に残る祭礼の中心であったワカ・ラ・フロリダ遺跡からわかる。ラ・フロリダの建設には、複数の共同体が工学技術と組織力を合わせて取り組んだ。言い換えると、国家総がかりの大建設事業だった。
🔸紀元前1700年頃 最初のアルファベット
最初のアルファベット、すなわち各々の記号が意味や事物を表すのではなく、音を表す文字体系は、地中海東岸で紀元前1700年頃に発明された。この時代最古とされるアルファベット文字は、壺や器に刻まれ、古代カナンの各地から出土している。同様の表音文字体系は、シリアやパレスチナ、フェニキアやシナイ一帯でも使われていたと見られる。これら初期のアルファベットは記録が不完全でまだ解読されていないが、右から左に書く22の表音文字から成る、フェニキアの北セム文字の先駆けとされる。ヘブライ人、ギリシア人、ローマ人、アラブ人、インド人、さらには北セム文字の流れを汲む後世の文化が北セム文字を改良し、現在、世界全体の多様な文化で広く使われているアルファベット文字を生んだ。
🔸紀元前1600年頃 商王朝の成立
中国東北部に商(殷)王朝が成立すると、黄河流域のみならず中国全域で物質文化が進歩した。商は銅と錫を支配し、それにより青銅兵器の製造を独占して、先行する夏王朝を倒した。遅くとも紀元前1600年までに覇権を握っていたと見られる。商の王たちは、各地の統治者が無許可で青銅器を製造することを全面的に禁じ、500年以上にわたり反逆者になり得る者たちを寄せ付けなかった。支配者は竹や絹の細長い切片に重要な出来事を記録し、洗練された書道芸術を発達させた。
🔸紀元前1600年頃 太平洋諸島への入植
オセアニアの太平洋諸島は、地球上の居住可能な土地で最後まで人が住んでいない地域の一つだった。最古の入植時期は推測の域を出ないが、紀元前1600年頃と思われる。ラピタ人と呼ばれる熟練した船乗りや漁師の一団が、ニューギニア沖の島から太平洋の外洋へと乗り出した。彼らは、船体を二つ並べて統合したアウトリガー・カヌーに、家畜、農作物や、独特の刻印が施された陶器を積んで出航した。島から島へと、紀元前1300年までにフィジー、紀元前1000年までにトンガとサモアに到達し、独自のポリネシア文化を築いた。
🔸紀元前1600年頃 ガラスの使用
ガラスが石のビーズや陶器の釉薬として最初に使われたのは、エジプトやメソポタミアの先史時代で、時期ははっきりしないが、紀元前1600年頃には、中東一帯で半透明のガラスが装飾品や小型の立像に加工された。最古の器は、灰と砂あるいは石英を加熱して溶かし、金属棒に取り付けた粘土のコアに溶けたガラスを巻き付けるコア成形法で作られた。こうした贅沢品をエジプトのファラオも好み、工房を作って原料から製造を始めた。エジプト人は魔除けや香水瓶をはじめとする高級品を作った。中でも有名なのは、ツタンカーメンの黄金のマスクに施された青色ガラスの象嵌だ。ガラス器や小立像は長らく高級品だったが、シリアで紀元前1世紀に考案されたガラス吹き工法が登場すると様変わりする。ガラス製品は急速にシリア一帯に普及し、食器、花瓶、瓶、副葬品、贈答品などが作られた。
🔸紀元前1595年 バビロニア帝国の終焉
メソポタミアの古バビロニア帝国は、中東の新勢力である、アナトリアのヒッタイト帝国の台頭により、紀元前1595年に幕を閉じた。ヒッタイトの王ムルシリ1世は、馬が引く軽量の二輪戦車や破壊槌など革新的な兵器を装備した軍隊を率い、シリア北部からレパント地方までを制圧する。さらにユーフラテス川まで約800キロを遠征し、バビロンの市街を占拠して王を退かせ、軍事力でヒッタイト帝国を樹立した。隣国エジプトとは何度か武力衝突したが、ヒッタイトは400年にわたりこの地域を支配した。
🔸紀元前1540年頃 エジプト新王国の時代
エジプト文明の最盛期は、新王国の時代とされている。新王国は、政治混乱期を経て紀元前1540年頃に始まる。貢物や交易、余剰農作物によって、エジプトの経済はさらに豊かになり、カルナク、ルクソール、アブシンベルなどの巨大な複合寺院を建造した。帝国の拡大に伴い、政府は分割統治に移行したが、その複雑な官僚機構を取りまとめるのはファラオと王妃だった。ファラオの富と権勢は並外れていた。ツタンカーメンのような特段の功績がないファラオも、多数の碑文に名前を残し、死後はミイラの処置を施され、豪華な副葬品とともに埋葬された。
🔸紀元前1500年頃 北米の都市型集落
北米大陸で最古とされる都市型集落ポヴァティー・ポイントは、今の米ルイジアナ州のミシシッピ川沿いに位置する。この集落は、紀元前1500年頃、当地の狩猟採集民が築いたものだ。
🔸紀元前1450年頃 ミノア文明の終焉
クレタ島のミノア文明の終焉は、ギリシア本土のミケーネ人によってもたらされた。ミケーネ人はミノア文明を多くの点で受け継いだ。それまで150年にもわたり交易相手だったにもかかわらず、ミケーネ人の一団は紀元前1450年頃、ミノア人の暮らすクレタ島に侵攻し、ミノア人の町を焼き尽くし、王宮を略奪し、あるいは職人や技術者を奴隷にした。さらにミノア人の交易ルートも乗っ取り、数多くのエーゲ海諸島やアナトリア西部に植民地を設置した。後のギリシアの詩人ホメロスは戦争を繰り返すミケーネ人の伝説を、世界で最も有名な叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』に書き残した。
🔸紀元前1400年頃 鉄の冶金技術
鉄の冶金技術の改良は、文明の転換点となる重大事であり、農業、戦争、移動の手段と日々の暮らしに幅広い変化をもたらした。鉄は、紀元前2000年には小アジアで鋳造されていた。紀元前1400年頃に、ヒッタイト人が鉄の冶金技術を改良し、種々の道具が作れる丈夫で耐久性のある素材にした。紀元前12世紀、ヒッタイト帝国が崩壊すると、ヒッタイトの鍛冶職人が各地に移動して、鉄の加工技術が中東全体に広まった。ここに鉄器時代と呼ばれる時代が始まった。紀元前1000年までに鉄の冶金技術は欧州やインドへと伝わった。またアフリカでは紀元前900年までに独自に発達し、中国には紀元前700年頃に伝えられた。
🔸紀元前1400年頃 ヴェーダの編纂
古代インドのヴェーダは、讃歌、祈りの言葉、祭儀を編纂した、世界最古の聖典だ。ヴェーダは古典サンスクリット語で記録された。サンスクリットはインド=ヨーロッパ語を話すアーリア人が紀元前1500年頃にインドに移住してきた言語で、紀元前1400年頃から使われた。ヴェーダは、文書化されるまで1000年近く口承で受け継がれ、注釈が加えられてきた。最古のヴェーダは『リグ・ヴェーダ』で、「讃歌の知恵」を意味し、アーリア人の神々への讃歌1028篇から成る。数千もの神々は自然や宇宙の力を神格化したもので、インドラは戦争や雨や創造と結びつき、アクニは火と、ヴィシュヌ神は太陽と、ソーマは由来不明の幻覚誘発物質と結びついていた。ヴェーダの教えは次第にヒンドゥー教へと発展する。
🔸紀元前1300年頃 ヘブライ人の出エジプト
紀元前1300年頃の、伝説の政治・軍事指導者モーセに率いられたヘブライ人のエジプト脱出は、欧米でも最も有名な物語であり、旧約聖書の『出エジプト記』に記されている。ラメセス2世の圧政とおそらくは奴隷の身分に耐えかね、モーセはヘブライ人を率いて紅海を渡り、シナイ半島にたどり着く。その地で、モーセは「十戒」と呼ばれる律法を示したと言われる。モーセの戒律は、その冒頭に一神教の信仰を置き、ユダヤ教の骨格となった。ついでモーセは現地人を制圧しながら、ヘブライ人を率いて北進する。モーセの死後、ヘブライ人はカナンにたどり着き、そこに強大な集落を築いた。モーセは必ずしも最初の一神教信者ではないが、世界宗教のうちの三つ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の偉大な預言者として尊敬を集めている。

モーセの十戒は、昔の映画の印象が強いが、今から3500年も前の一民族の物語が現代社会の多くの人たちに影響を与えているという事実は、無宗教の日本人には信じ難いことである。
しかし、宗教を理解しなければ世界を理解できないのも事実であり、現にガザ侵攻を続けるイスラエルの人たちにとっては、約束の地イスラエルを守ることの正当性をこうした宗教上の物語から得ているのだ。
今年の秋、どこに旅行に行くかいくつかの候補がある中で、今私の中では渦中のイスラエルを久しぶり訪ねてみようかという思いが日に日に強まってきている。

そして、紀元前1200年から500年ごろ。
歴史を記録する動きが各地で活発になり、年代が特定される出来事が増えてくる。
🔸紀元前1200年頃 フェニキア人の台頭
フェニキア人は紀元前1200年ごろから台頭し、地中海沿岸を植民地化すると同時に貿易を支配する。フェニキア人は、約2000年前から現在のレバノンに定住し積極的に交易をしていたが、メソポタミア人やエジプト人、ヒッタイト人によって断続的に支配された。そうした帝国が崩壊し、クレタ人の交易ルートが断絶すると、フェニキア人の頑丈な貨物船が地中海一帯で主要な交易船になる。彼らは、キプロス、ギリシア、イタリア、スペイン、北アフリカに植民地を設けた。地中海を出たフェニキア商人は、ポルトガル、フランス、さらにはブリテン諸島の港も訪れている。アフリカ大陸の海岸線沿いに南下し、西アフリカの沿岸全域を探検し、さらには後に西欧人がやって来る2000年以上も前に、南へ遠征したと見られる。
🔸紀元前1200年頃 オルメカ文化の樹立
紀元前1200年頃までに、メキシコ湾南岸沿いの低湿地にオルメカ文化が栄えていた。様々な道具を活用し、建造物を残した中米最古の文化だった。オルメカは階層化が進み、不平等な社会だった。一部のエリートが何千人もの労働者を働かせ、精緻で巨大な動物神の神殿や、ピラミッド、祭壇などを建造した。暦やアメリカ最古とされる象形文字も考案された。こうした技術的、知的業績は、広範な交易ネットワークを通じて手工芸品とともに輸出され、その後数千年にわたり中米全域の人々に影響を与えた。
🔸紀元前1027年頃 周王朝の支配
紀元前1027年頃、中国では周王朝が興り、250年間にわたる中国文化の劇的な転換期を形成した。中でも最大の変化は、神と人間との関係を再検討しただった。たとえば、雨乞いより大規模灌漑に頼るようになった。周王朝は、王権を神から授かるのではなく、神から託されたという説を採る。この「天命拝受説」は、為政者である「天子」が徳を厳守すれば、天命が与えられ、領土の安定と宇宙の調和をもたらすが、為政者が領土の社会的・政治的な分裂と不安定を放置した場合、天命は解消されるとした。中国歴代の王や帝国はその後長くこの天命拝受説をとり、中郷最後の王朝である清王朝が1912年に崩壊するまで続いた。
🔸紀元前1021年 イスラエル王国の樹立
紀元前1021年頃、初代王サウルがイスラエルに王国を樹立した。サウルが戦闘に敗れ殺されると、ダヴィデが王位を継ぐ。新たに制圧したカナンの街を王都エルサレムに定めた。ついでソロモンが王位を継いで、エルサレムに最初の神殿を建設し、様々な土木事業を興した。ソロモンはイスラエルの経済を改革し、北アフリカから中央一帯に交易ネットワークを張り巡らした。この頃、ヘブライ語のアルファベットが北方のフェニキア文字から派生し、最古のトーラー(律法)がヘブライ語で書き記された。イスラエル統一王国は長続きせず、最終的に度重なるメソポタミアの攻撃によって崩壊した。
🔸紀元前1000年頃 カースト制度の確立
インドのカースト制度の起源は、ハラッパー文明に属するドラヴィダ族が暮らしていた地域に、インド=ヨーロッパ語族のアーリア人が進出し、社会が根底から変わったことに求めることができる。アーリア人は自分たちの国家や帝国は築かなかったが、世襲制の職業別序列とも言える身分制度を定めた。紀元前1000年頃までに、様々な職業がサンスクリット語で「階級」と「色」を意味する主な4つの「ヴェルナ」に大別された。4つのヴェルナはヒンドゥー教の定める貴賤順に、司祭、戦士・貴族、農場主・職人・商人、小作人・農奴・奴隷と定められた。さらに数百年後、汚水の清掃や死体の処理などを仕事にする不可触民が定められた。紀元前600年頃にはジャーティ(生まれ)と呼ばれるサブカーストができると、カースト制はさらに複雑化した。今日、ヒンドゥー社会には3000近くのジャーティがあり、経済状態や政治的立場とは大きくかけ離れてはいるものの、南アジア一帯の数百万の人々の日常生活に今も依然として影響を及ぼしている。
🔸紀元前900年頃 バンツー族の移住
西アフリカ東部でバンツー語を話す人々の移住は、サハラ以南で暮らす無数のアフリカ人の生活様式に大きな変化をもたらした。紀元前3000年頃にはバンツー族の一部が小規模の移住を始めたが、紀元前900年頃にアフリカで鉄の冶金技術が発達すると、急激に移住の速度が早まった。バンツー族とともに、バンツー語、鉄の冶金技術、農耕と牧畜が伝わる。紀元前1000年頃までに、バンツー族の治める土地がアフリカ南部全域に出現し、鬱蒼とした密林や乾燥した砂漠以外で農耕と牧畜が営まれるようになった。
🔸紀元前850年頃 チャヴィン文化の南米統一
チャヴィン・デ・ワンダルの崇拝と祭礼用の建造物群の建設は、紀元前850年頃から現在のペルーのアンデス高地で始まり、南米最古の宗教的な統一権力となった。チャヴィン・デ・ワンタルは、政治的な中心地ではなかったが、アンデス各地の農民が遠路やって来て、豊作を願い供物を捧げる聖地だった。500年あまりかけて建造された神殿の周囲の集落は、最盛期には約42万平方メートルもの広がりを見せた。
🔸紀元前800年頃 「易経」の成立
『易経』は中国最古の古典であり、完全な形で残っている世界最古の書籍でもある。紀元前800年以前に占いのマニュアルとして編纂された『易経』は、人間が制御できることと、できないことの相互作用を説いた哲学書でもあった。『易経』は、実線と破線を組み合わせる六爻(こう)からなる六十四卦の紹介と解説から成る。爻の二種類の線は、様々な生命や宇宙、自然の力を表している。卦の解釈に常に含まれるテーマは、変化の不変状態、陰と陽という古代理念の動的バランスだ。儒教と道教の考え方に影響を与えた『易経』は、中国の思想史の中で傑出した思想だった。
🔸紀元前800年頃 「ウパニシャッド」の編纂開始
インドの『ウパニシャッド』は一連の奥義書から成る。元になったヴェーダの教えにドラヴィダ人の信仰が融合し、ヒンドゥー教が成立する過程で編纂された。編纂が本格化したのは紀元前800年ごろで、歴代のインド思想家の哲学思想を集めている。やがてウパニシャッドを解釈して様々な思想が派生し、後のヒンドゥーの教義や神秘思想に取り込まれた。そうした思想には、輪廻、カルマ、瞑想的なヨガ、禁欲主義、菜食主義、ブラフマンと呼ばれる宇宙我などが含まれた。
🔸紀元前800年頃 ケルト族の出現
紀元前800年頃、共通の宗教と美術様式、言語を持つ農耕部族であるケルト族が現在のオーストリアに出現した。ハルシュタットと呼ばれる初期の集団は、曲線の抽象図案を施した青銅や金、銀、鉄の金属装飾品の加工に優れていた。ケルト族は欧州で最初に鉄を使い始めたため、高性能の武器や輸送手段を使って大陸全域に進出した。やがてブリテン諸島から小アジアまで広範囲に定着し、ガリアやゲール、ガラテヤやブリトンと呼ばれる民族を形成した。ケルト族とともに、「オークの木を知る者」を意味するドルイドと呼ばれる祭司が儀式を執り行う、多神教の自然信仰も広まった。紀元前1世紀、ローマ帝国の拡大によってケルトの文化は西欧の僻地に追いやられるが、ケルト文化の遺産は今もかなりのものが残っている。
🔸紀元前776年 最初のオリンピック開催
世界初のオリンピック大会は、紀元前776年にギリシアで開催された。オリンピックは、その300年前、ミケーネ文明が原因不明の滅亡を遂げてほぼ孤立状態だったギリシア人が、地中海世界で再び台頭するきっかけとなった。最初のオリンピックは、古代ギリシア域内で商業と政治の中心地として機能し始めたばかりの都市国家(ポリス)間の競技だった。ギリシア人はほどなく都市国家の外に進出するようになり、造船技術の進歩により海に向かい、地中海や黒海一帯に植民都市を築いた。ギリシア人入植者は沿岸部に築いた植民都市すべてに、自分たちの言語や文化、芸術や建築、宗教、さらには食習慣をも広めた。
🔸紀元前656年 楚の方城構築
中央集権国家の周王朝が崩壊した後、中国に誕生したいくつかの地域国家の一つ楚は、紀元前656年頃に「方城」と呼ばれる常設の長い砦を築いた。この土と石で築いた最古の城塞はその後数百年にわたり、中国全土にさらに増えた各地の国家で構築されるようになった。中国の地域国家は、馬も有能な軍隊もほとんど持っていなかった。そのため、政治的な境界線という概念を持たない、俊敏で勇猛な周辺遊牧民の騎馬部隊から身を守る手段として、こうした城塞を築いたのだ。
🔸紀元前650年頃 最古の本格的な硬貨鋳造
最初に本格的な硬貨鋳造に着手したのは、紀元前650年頃のリディア王国だった。リディア王国は、金を産出するトルコ西部のパクトロス川沿いに位置した。リディア王国は、初めてエレクトラムと呼ばれる金と銀の合金を小さな豆形にして用いた。この豆形の金に、発行した為政者のシンボルを刻印し、価値を保証した。これが世界初の本格的硬貨の誕生であった。リディアの交易相手だったギリシア人は、いち早く硬貨の実用性に気づき、紀元前6世紀の終わりまでに、地中海一帯の植民都市で銀の硬貨を鋳造した。ペルシア、インド、中国もほどなく、硬貨の鋳造を始めたため、貴金属がユーラシア全域で通貨として受け入れられた。
🔸紀元前612年 アッシリア帝国の崩壊
メソポタミアのアッシリア帝国は、スキタイと呼ばれる遊牧騎馬民族が首都ニネベを占拠したことが主な原因で、紀元前612年に崩壊する。スキタイ人は戦利品を満載し、現在のウクライナとロシアの草原地帯の西部に王国を移した。100年以上にわたり徐々に定住したが、半遊牧民は、支配層のためのクルガンと呼ばれる墓を除き、都市も永久構造物もほとんど造らなかった。優秀な冶金技術を持ったスキタイ人は、精巧な宝石や金をはじめとする貴金属の宝飾品でクルガンを埋めた。
🔸紀元前600年頃 ゾロアスター教とジャイナ教の誕生
紀元前600年前後、当時の国際都市に暮らしていたカリスマ的人物の思考から、数多くの宗教や哲学が誕生した。中でも後の宗教に影響を及ぼしたのが、ペルシアのゾロアスター教と、インドのジャイナ教だ。二人の教祖の教えを今も奉じているのはイランとインドのわずかな信徒のみだが、その教えの一部は、世界の5大宗教に取り入れられて残っている。
🔸紀元前600年頃 北米アデナの墳丘墓建設
北米大陸東部のオハイオ川流域を中心にアデナ文化が栄え、紀元前600年頃までに、その支配者を埋葬するための円錐形墳丘墓の建設が始まった。アデナ文化は最終的に、ロッキー山脈から大西洋まで、カナダからメキシコ湾までを交易ネットワークで結んだホープウェル文化に取って代わられる。数百年にわたり栄えたアデナとホープウェルの墳丘墓は、北米東部の森林地帯に点在している。
🔸紀元前500年代 アテネの民主主義

とりあえず、キリがないのでアテネに民主主義が芽生えたところから次回に譲ることとする。
こうして世界規模で古代史を辿ってみると、人類の誕生から民主主義の誕生まで、実に長い年月をかけてゆっくりと進化してきたことがわかる。
学校で習った4大文明に比べ、それ以外の地域では聞いたこともないような人々の営みがあった。
そして、馬の家畜化であったり、青銅や鉄を扱う技術を手に入れた者が、それまでにない強力な武器を使って周辺の人々を征服する歴史の繰り返しである。
そして勝者は、紙や文字を使って自らの視点から歴史を記録し、叙事詩を後世に残した。
私たちが学んだ歴史とは、そうした目に見える資料だけを繋ぎ合わせたものであり、所詮は勝者の歴史。
そして後の世の権力者や宗教指導者が都合よく歴史を語り継いできたのだ。
しかし、こうした紀元前に生まれたさまざまな発明や思想が現代人に無意識のうちに影響を与えていることもわかる。
私たちが生きる現代社会を正しく理解するためには、自分とは異なる民族や宗教に伝わる歴史も知らなければならない。

ちなみに、戦前の日本では日本の始まりは紀元前660年とされた。
初代神武天皇が即位したとされる年だがこれはあくまで神話のお話、実際には縄文時代から弥生時代に移り朝鮮半島から渡来人が大量に渡ってきて勢力図が大きく塗り替えられた時代であった。
こうして改めて世界の歴史を俯瞰してみると、新たな気づきも少なくない。
縄文人のように、世界史に登場しない人々の方がひょっとすると幸せな人生を送っていたのかもしれないと、学生時代には考えもしなかったことを思うのもシニアの学びの面白さであろう。
<吉祥寺図書館>ジョン・ヘイウッド著「世界の民族・国家興亡歴史地図年表」(2011年/イギリス/日本語版2013年柊風舎)