沖縄最大の軍用地主
沖縄にしっかりと根付いたアメリカ文化。しかしもちろん、いい事ばかりではない。沖縄とアメリカの関係は、文字通り「複雑怪奇」だ。
今回沖縄に行くにあたって図書館で何冊か本を借りたのだが、その中で圧倒的に面白かったのは佐野眞一著「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」という本だ。
佐野氏らしいディープな情報が盛り沢山だが、その中に「竹野一郎」という人物が登場する。沖縄最大の軍用地主だという。私のまったく知らない沖縄の一端がそこには書かれていた。
佐野氏の本から引用させていただく。
『 竹野の自宅は那覇市のど真ん中にある。官公街に面し国際通りまで歩いて5分という一等地である。周囲は主人の異常な警戒心を物語るように高い鉄扉と鉄条網に囲われ、屋敷の全容は隣接する高層マンションの屋上に上らない限りうかがえない。庭一面に芝生が綺麗に張られた広壮な邸宅はミニゴルフ場のクラブハウスのようだった。
竹野は高額所得者ランキングの常連メンバーである。03年度の沖縄県内法人申告所得ランキングを例にとれば、竹野が代表取締役会長をつとめる沖縄土地住宅は、沖縄電力、琉球銀行、日本トランスオーシャン、オリオンビールなど沖縄を代表する大企業に伍して、第6位(前年は4位)にランキングされている。 個人の納税額を見ても、2000年5位、02年16位、03年20位、04年20位と、常に上位入りしている。
沖縄土地住宅は竹野の自宅から300mと離れていないビル内に事務所を構える沖縄製糖の中にある。沖縄製糖は沖縄土地住宅の母体で、やはり竹野が代表をつとめる。』

私はこの竹野一郎という人物に興味を覚え、那覇のど真ん中にあるという自宅を見に行ってみた。
沖縄県庁や県警本部から歩いてすぐのところにその家はまだ残っていた。佐野氏の記述の通り、鉄の扉が入り口を塞いで中の様子を伺うことはできない。

それでも、確かに「竹野」の表札が確認できる。
佐野氏の本の続きを引用する。
『その後の調べで竹野の収入源となっている嘉手納弾薬庫地区の軍用地は、嘉手納基地全体の約19%に相当する115万坪にものぼっていることがわかった。その土地は元々、竹野の父親の竹野寛才が社長をつとめる沖縄製糖のサトウキビ畑だった。
沖縄製糖の前身は1913年に設立された台南製糖である。竹野寛才は同社の支配人だったが、同社社長でサントリー創業者の鳥井信治郎が製糖事業から身を引いたため、1952年に社長に就任した。』

家の周囲をぐるりと回ってみた。佐野氏が「ミニゴルフ場のクラブハウス」と書いた母屋が塀越しに見えた。ただ、本から想像したほどのきらびやかさはない。佐野氏の本でこの家の正体が知られてしまったため、その後あまり使っていないのかもしれない。

親が手に入れたサトウキビ畑が米軍に接収され年間20億円とも言われる地料を生んでいる。これを沖縄ドリームと呼べばいいのか? 私が竹野さんだったら自らの運命をどう感じるだろうか?
竹野氏の土地は、嘉手納弾薬庫地区という沖縄の中でも最も返還されにくい場所にあるという。
基地返還を求める声をメディアを通して聞いてきた私たちは、沖縄の人たちはみんな返還を望んでいると考えがちだ。しかし地主の本音は違う。「絶対返還されない」ということは、長期にわたって安定収入が見込まれる土地という事になり、軍用地としての価値が高いのだと言う。
こんな世界もあるのだ。
本を読んで、それまで漠然としか知らなかった沖縄の複雑さに触れた気がした。確かに街を車で走ると「軍用地買います」と書かれた看板を目にした。「基地経済」という言葉はよく聞くが、その実態を知る人は本土には少ない。
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