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<きちたび>アウシュヴィッツに行って来た③ 地下監獄とクレマトリウム

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アウシュヴィッツ強制収容所の続きだ。

第7ブロック

大量の遺品が展示された第5ブロックを出て、「第7ブロック」へ。

アウシュヴィッツで命を落とした人たちの写真が並ぶ。

この写真の中に、強制収容所を生き延びた人は一人もいない。

一人一人に人生があった。

一人一人に未来があった。

第7ブロックには、彼ら囚人たちが暮らした収容所の部屋が再現されている。

初期の囚人たちはコンクリートの床に敷かれた藁の上に寝かされた。40−50人でいっぱいの所に約200人が寝かされた。

次に三段ベッドが導入された。一段に2人寝ることが多かったという。

第11ブロック

そして、ガイドは「第11ブロック」に進む。

ここは「死のブロック」と呼ばれた。

第11ブロックは収容所内で隔離されていた。入り口には当直の親衛隊員の勤務室がある。

収容所内では地下抵抗活動が続き、「死のブロック」は収容所内の中央刑務所の役目を担った。

ナチス親衛隊は、強制収容所内での抵抗活動や、逃亡・犯行計画などの容疑をかけられた政治犯たちをここに収監した。

政治犯を裁く臨時裁判所も設けられ、2−3時間の公判で数十か百数十回の死刑判決を下した。

死刑判決を受けた者は、この洗面室で服を脱ぎ、銃殺が行われる「死の壁」に向かった。

地下監獄

このブロックの地下には監獄があった。

抵抗活動や規律違反で取り調べ中の囚人たちを閉じ込めていた。

収容所当局は「地下室の清掃」と呼ばれた定期的な選別を行った。選別された囚人たちは銃殺または懲罰班に編入された。

そしてこの「18番」には餓死刑を言い渡された被収容者が収監された。

1941年、他の囚人の命を救うため自ら死を選び、のちに列聖されたマクシミリアン・マリア・コルベ神父もこの牢で亡くなった。

今もこの18番には花が飾られていた。

そのほか地下監獄には、暗室で酸素不足で窒息死する牢屋、わずか90センチ四方敷かない小さな地下室など、特別な懲罰が課される囚人たちもいた。

さらにここにはむち打ち台や吊るし上げ用の柱、移動絞首台なども置かれている。

そしてこの地下監獄で1941年9月、チクロンBを使った集団殺人の実験が行われた。

約600人のソビエト軍捕虜と250人のポーランド人受刑者がこの薬剤によって殺され、ここからガス室を使った計画的な大量虐殺が始まったのである。

死の壁

そして、この第11ブロックと第10ブロックの間にあるのが「死の壁」だ。

他の建物とは違い、この2つのブロックの間だけ高い壁で仕切られている。

この壁の前で、数千人が銃殺された。

死の壁に面した窓には目隠しが施された。処刑を見られないようにするためと言われている。

その目隠しされた第10ブロックでは、ドイツ人の産婦人科医によって、ユダヤ人女性囚に対する不妊処置の人体実験が行われた。

点呼広場

「死の壁」を離れ少し歩くと、小さな監視塔が見えて来た。脱走者を見張る他の監視塔に比べ規模も小さく作りも可愛らしく見える。

しかし、ここが「点呼広場」と呼ばれる公開処刑の舞台だった。

親衛隊員はこの広場で点呼を行い、収容人数を確認した。点呼は時に何時間にも及び囚人たちを苦しめた。

そして広場に立てられたこの鉄棒のようなものは、公開処刑を行うために設けられた。

1943年、仲間の脱走を手伝ったという容疑で12人のポーランド人が絞首刑となった。

「鉄線に行ってくる」

「止まれ!」と書かれたドクロマークの看板。

ツアーはここで鉄条網の外に出る。

二重に張り巡らされた有刺鉄線には、常時電流が流されていた。

強制収容所の極度の抑圧に耐えきれず絶望した囚人の中には、電気の流れる鉄線に自ら飛び込み感電自殺する者もあった。

囚人の間では「鉄線に行ってくる」と呼ばれたそうだ。

鉄条網の外側には、収容所司令部やSS管理局、病院などがあった。

クレマトリウム

そして・・・

1本の煙突が立った盛り土のようなものが見えてきた。周囲には樹木が茂り、のどかな風景に見える。

この施設は「クレマトリウム」と呼ばれる。火葬場という意味だ。

アウシュヴィッツ最初の焼却施設で、1940年から43年まで使われていた。一昼夜に340体の遺体を焼却できたという。

クレマトリウムの中に入る。

入り口を入ってすぐ、だだっ広いコンクリートの部屋がある。ここは火葬する前の遺体安置所だった。

ナチスはこの部屋を、大量殺人を目的とした初の「ガス室」に変えた。

天井には、チクロンBを内部に噴霧する噴出口があった。ナチスはこの小さな部屋で、一回に数百人を殺戮した。

ナチスはさらに大規模なガス室をビルケナウ強制収容所に開設し、ユダヤ人の大量虐殺活動をそちらに移したため、このガス室は徐々に使われなくなった。

黒く汚れたレンガの壁を抜けて、次の部屋に進む。

そこには2基の焼却炉が置かれていた。当時はドイツ製焼却炉3基があったといい、戦後2基が復元されたものらしい。

それぞれの炉に2−3の死体を一度に入れ、1日に350体を焼却した。

ビルケナウにより大規模な焼却炉が建設されると、5つのクレマトリウムで1日に4576体の遺体を処理できる能力となり、この最初の焼却炉は次第に使われなくなった。

アドルフ・ヘスの絞首台

初めポーランド人から始まり、取り調べ、裁判、処刑という一応の手順が踏まれていた収容所が、ユダヤ人絶滅という狂気の指令の中で、機械的に選別し効率的に殺戮する殺人工場へと変貌していった。

戦争は常に、人間の狂気をエスカレートさせていくのだ。

クレマトリウムの前には、一つの絞首台が残されている。

1947年4月16日、アウシュヴィッツ強制収容所の元所長ルドルフ・ヘスの処刑が行われた。

ヒトラーの狂気がなければ、ヘスもこのような大量虐殺に手を染めることはなかっただろう。

次回は、第二強制収容所ビルケナウについて書く。

<関連リンク>

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アウシュヴィッツに行ってきた② 鉄条網と赤い靴

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<参考情報>

私がよく利用する予約サイトのリンクを貼っておきます。



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