大正天皇

「大正」を評価する

1926年12月25日、大正天皇は葉山御用邸で崩御する。47歳の若さだった。

『歌舞音曲を停止する旨の公布がなされるとともに、国民全体が諒闇に入ることになったが、東京市内の光景は明治の終焉の時とは全く異なっていた。』

『元号が「昭和」と改められた時代は、栄光の「明治」の再来と受け止められた。

明治天皇誕生日である11月3日が、「明治節」として再び祝日となったのに続いて、いわゆる「明治ブーム」が到来し、33年からは、文部省により明治天皇が行幸の途上で宿泊したり訪れたりした場所を「聖蹟」として顕彰するキャンペーンが始められる。明治天皇を多分に意識した「強い」天皇のもと、行幸先の主要都市はもちろん、東京の宮城外苑や二重橋前広場でも、最大で十万人を超える「臣民」が天皇と相対する親閲式が、毎年のように行われるようになる。1月の陸軍始観兵式や4月の天長節観兵式、それに10月ないし11月の陸軍特別大演習では、天皇が白馬に乗ることが恒例となり、その姿が新聞に掲載されたり、記録映画が上映されることで、聖なる象徴としての天皇像が普及してゆく。石橋湛山が「真価の認められ難き者」と説いた「大正」は、しだいに忘却されてゆく運命にあった。』

大正天皇は、生まれながらに病弱であり、メンタルも弱かったのかもしれない。しかし家庭を大事にし、自由を愛する現代風の天皇でもあった。

もし大正天皇がもっと元気であったならば、ナショナリズムを煽ったり軍部が暴走したりすることに多少なりとも歯止めになったのではないかと推測する。

天皇とは、歴史的に時の権力者に利用されることが多い。その意味では、大正天皇は利用しにくい天皇でもあったのだろう。

やはり大正と平成はどこか似ている。平成の天皇も、権力者から利用されなかった。平成の天皇の振る舞いを評価する私は、大正天皇に同情する。今の時代に生まれていたら、国民に愛された天皇になったかもしれない。

明治や昭和初期のような天皇の権威を最大限に高める社会はやはり危険だ。その背景には、天皇の権威を利用する権力者が隠れている。

平成が終わり令和の時代を迎えると、明治を愛する安倍総理は早速、新天皇にご進講を始めた。令和の天皇が、権力者に利用されないことを切に祈りたい。

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