プラハに行くならぜひ訪ねたかった場所がヴァーツラフ広場だ。
1989年11月、「ベルリンの壁崩壊」の興奮も冷めやらないうちに革命はチェコスロヴァキアに飛び火した。私は夜のニュース番組のディレクターとして、連日飛び込んでくる歴史の激変に驚きながらVTRを編集していた。
Embed from Getty Images11月17日、カレル大学の学生たちを中心としたデモ隊を警備当局が弾圧した。場所は私たちが朝食を食べたカフェ・ルーブルの前の大通り「ナロードニ通り」だった。この衝突をきっかけに、民主化を求めるデモは瞬く間に全国に拡大。わずか1週間後の24日、ヤケシュ第一書記ら共産党幹部全員が辞任し、戦後40年続いた共産党政権はあっけなく崩壊した。
Embed from Getty Imagesそして「市民フォーラム」の代表ハヴェルが大群衆を前に勝利宣言を行なったのが、このヴァーツラフ広場だった。

広場と言っても、実際には新市街を貫く大通りで、正面の国立博物館に向かって緩やかな上り坂になっている。革命後大統領に就任したヴァーツラフ・ハヴェルが勝利宣言をしたのは、あの国立博物館のテラスだったのだろうか?
ちなみに広場の名前であるヴァーツラフは、ハヴェル大統領にちなんだものではない。初代ボヘミア王のヴァーツラフ1世(後にチェコの守護聖人「聖ヴァーツラフ」と呼ばれる)にちなんだものだ。

国立博物館前には聖ヴァーツラフ像がそびえる。
私がヴァーツラフ広場を訪れた時、「プラハの春」の写真を並べたイベントが開かれていた。

「プラハの春」の時、私は10歳。生の記憶はない。しかし、ソビエトによって共産主義を強要される東ヨーロッパ諸国の象徴として、一連の東欧革命の報道の中でしばしば登場した。
ヴァーツラフ広場に作られたステージでは、当時のニュース映像や証言が次々に映し出される。

民主化を求める市民の声を受けて成立した改革派のドゥプチェク第一書記は「人間の顔をした社会主義」を掲げ改革を進めた。そんな東欧の希望の光だったチェコスロヴァキアが、ソビエトの戦車によって踏みにじられ崩壊した。
1968年8月の出来事だ。あれから49年目の夏を迎えた。

日本人が8月になると、太平洋戦争を思い起こすように、プラハの人々は夏になると「プラハの春」の崩壊を毎年心に刻むのかもしれない。

「プラハの春」「ビロード革命」の舞台となったこのヴァーツラフ広場に、この日まったく違う種類の革命が進行していた。

レインボーカラーの旗や衣装、メイクで飾った人たちが大集合していたのだ。

私はまったく知らなかったが、この日8月12日、広場では「プラハ・プライドパレード」というイベントが開かれていた。LGBT、性的マイノリティー、すなわち同性愛の人たちが集まり、ヴァーツラフ広場をパレードするのだ。

このパレード、2011年から始まった。この年、チェコでは旧社会主義国として初の「登録パートナーシップ法」が成立。相続や病院での面会権、扶養など、配偶者としての一部の権利が認められたという。チェコはLGBTに優しい国なのだ。

話を「ビロード革命」に戻す。
Embed from Getty Images民主化運動の指導者ハヴェルは革命後、チェコスロヴァキアの大統領に就任した。さらに分離したチェコ共和国の初代大統領として2003年まで新しい国を率いた。
Embed from Getty Imagesもともと劇作家だったハヴェルは、大統領となってからもプラハ市内の居酒屋によく姿を見せたという。プラハには「ホスポダ」と呼ばれる居酒屋が無数にある。

その一つが金の虎を掲げたホスポダ「ウ・ズラテーホ・ティグラ」。

旧市街の中心にあるこのホスポダは、ハヴェル大統領はアメリカのクリントン大統領を連れてきたこともある有名店だ。

午後3時に店は開く。私は午後4時に店に入ったが、奇跡的に1席だけ空いていた。

壁には虎の絵が飾ってある。客たちのほとんどはビールだけ頼んでただひたすらおしゃべりをしている。にぎやかな店内。大声を出さないと会話が成立しない。

ビールが運ばれてきた。ガイドブックには、500mlで40コルナ(約250円)と書いてあるが、実際いくら払ったか思い出せない。
チェコは国民一人当たりのビール消費量が世界一だという。どこに行ってもワインではなくビールを飲んでいる。
これが、美味い。
この店は「最高のプルゼニュスキー・プラズドロイが飲める店」なのだという。これは有名なピルスナー・ビールの中でも最も有名なブランドだそうだ。
Embed from Getty Images大統領が気楽に居酒屋にやってきて市民と語り合う。そんな風通しの良さがハヴェル時代のチェコにはあったのだろう。
Embed from Getty Imagesハヴェル氏は、2011年に亡くなるまで、チェコの自由と良心を体現し国民に愛された。彼の葬儀はプラハ城の聖ヴィート大聖堂で行われ、翌年プラハの空港は「ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港」と改称された。
Embed from Getty Images我々が普通に享受している「自由」を得るため権力と戦い何度となく投獄されたハヴェル氏。そして自らが権力を握った後も、市民とともに生きた偉大な政治家だった。
Embed from Getty Images彼のように国民から慕われる指導者が、今の世界にどれだけいるだろうか?
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