<きちたび>ルクセンブルクの旅2019🇱🇺 欧州の小国はどうして「一人当たりGDP世界一」になったのか?

ルクセンブルクの決断

「ルクセンブルクを知るための50章」には、経済発展のヒントとなる記述がいくつか見つかった。

ルクセンブルクが第二次大戦後に行った第一の決断、それは永世中立国を捨て、西側の資本主義陣営に属することだった。様々な国際機関に創設時から参加して国際協調に積極的に関与し、NATOに加盟することで安全保障のを得る道を選んだ。

ちなみに、「欧州統合の父」とも呼ばれるフランス外相ロベール・シューマンはルクセンブルク生まれである。

第二の決断は、輸出の88%を担っていた基幹産業の製鉄業を国家の管理外に置く決断をしたことだ。つまり、シューマン・プランを受けて、1952年に設立した欧州石炭鉄鋼共同体に参加しただけでなく、その本部をルクセンブルクに誘致し、小国ながら他の加盟国と平等な権利を得たのだ。これによって、ルクセンブルクの製鉄業がフランス、ドイツという大きな市場へのアクセスを可能にし、それから30年間、国の発展を支えた。

さらに、1965年に欧州共同体(EC)が発足すると、欧州司法裁判所や欧州投資銀行などの諸機関の誘致にも成功し、ブリュッセルやストラスブールとともに統合欧州の中心都市の地位を確保した。

このように国を開くことによって、ルクセンブルクは、製鉄業を中心に高い経済成長を遂げる。その中心となったのが1911年創業のアルベット社、世界最大の製鉄会社「アルセロール・ミタル」の前身となる会社である。

金融環境の整備

しかし1973年のオイルショックを受け製鉄業は一気に冷え込んだ。

ただ、それを見越してルクセンブルクでは1950年代から徐々に産業多角化政策がとられ、外国企業の誘致を積極的に行い、第三次産業の育成にも力を注いだ。

その代表例が第三の決断、金融環境の整備だ。ちょっと専門的なので、具体的な施策については本から引用しておく。

まず、1929年の持株会社制度による、非居住者たる法人に対する非課税措置である。かかる低税率政策は、イギリスの年金基金を引き寄せるなど、海外および近隣諸国の発展と切り離せない。1988年には、「譲渡可能証券への集合投資事業」(EUの法律に従って設立・運用されている投資ファンド)UCITSに関する欧州委員会指令を真っ先に自国の法律に組み入れたことが、ファンド管理の発展のもとになり、今日の経済的成功につながったとされる。UCITSはEU加盟国のイニシアティブに基づくファンド商品であるが、ルクセンブルクの大きなヒット商品となった。

1990年には、ドイツ国内の規制上の制約を嫌った同国の銀行から巨額の流入があり、また適合した金融商品を提案する金融会社が創設された。これまで以上に洗練されているのに、反対に規制が少ない投資信託が、保険や再保険と同様に、ルクセンブルク国家から大いなる支援を受けた。すなわち、ルクセンブルク国家は、支援的かつ革新的な財政政策を積極的に推進する一方、規制の枠組みを迅速かつ不断に改変することも可能とした。UCITSのルクセンブルクから世界への流通戦略は、とりわけ中国、韓国、マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナム等との二重課税防止条約ネットワークの構築により、重要なアジア市場に効率的に浸透した。

また、利子源泉税とキャピタルゲイン課税を免除したことが、後述の銀行守秘義務と相まって、プライベートバンキング(億万長者向けの金融サービス業)の呼び水となり、独仏等の近隣諸国はもとより、EU外からも富裕層の資金を取り込んでいった。

二つ目のステージは、1960年代にオフショア(非居住者間の金融取引を国内市場と切り離し、制約の少ない自由な取引として認める市場のこと。租税優遇などにより金融機関以外の企業の誘致も目的としているタックス・ヘイブンとは少し異なっているが、タックス・ヘイブンがオフショア金融センターであることが多い)のユーロダラー市場(アメリカの銀行に対する要求払い預金が種々な通貨圏の経済主体間で取引される市場)やユーロポンド市場(非居住者向け債権の市場)が出現したことである。

ユーロダラー市場やユーロポンド市場のように、各種の規制から除外されて自由に取引できる国際金融市場(ユーロ市場)に本拠を置いた欧米の銀行は、1960年代後半から1970年代にかけて、とりわけ1973年の石油ショック後に原油収入が増加したことで大きく成長した。原油輸出国と同輸入国の間ですこぶる不均衡となった資金需要はユーロ市場で取り扱われ、そのために必要な資金仲介は国際金融機関が遂行した。ロンドンが国際金融機関のためにユーロダラーを供給することに特化する一方で、ルクセンブルクは政府があまり干渉せずにそれらの通貨の管理を行わせた。

最後に、厳格な守秘義務を貸したことである。これは、1981年に銀行法で法制化されたものである。守秘義務違反は懲役刑に処せられる。銀行のこの義務により、ルクセンブルクの銀行に資産を預けている非居住者は税務当局に保有資産を捕捉されず、前述の非課税措置により利子課税も受けない。これによりプライベートバンキングが隆盛に向かうこととなった。もっとも、銀行守秘義務は廃止されたので、非居住者にとってのうまみも相当下がったと思われる。

2010年代半ばにおいても、同国は米国に次いで世界第2位の投資ファンドセンターであり、EUで最大のキャプティブ再保険(グループ会社を含む特定の親会社のリスクを専門に引き受けるために、当該親会社により海外に設立される再保険の子会社)市場であるとともに、ユーロ圏内随一のプライベートバンキングセクターになっている。加えて、「投資ファンド」の運用拠点としての業務や「カストディ業務」(投資有価証券の管理・保管業務)でも、国際的に重要な地位を占めている。

ルクセンブルクが国際金融センターとなり得た理由のうち、最後に一つ忘れてはならないのは、多言語使用、すなわち同国民のほとんどがマルチリンガルだということである。私が赴任していた1990年代後半、現地ローカル幼稚園ではルクセンブルク語が用いられるが、小学校に上がると、算数や理科のような理系教科はフランス語で、社会科のような文系教科はドイツ語で教えるようになる。従って、小学校を卒業する段階で最低3ヶ国語の使い手となる。中学校と高校では英語が必修となり、それ以外にも他のラテン系言語やオランダ語なども習得する。かかるマルチリンガリズムが、国際金融業務を行うにあたって外国人を相手にする際に大きな強みとなることは言うまでもない。

「ルクセンブルクを知るための50章」より

専門的で私にはよく理解できない部分も多いが、小国ならではの小回りの良さと決断の速さ、そして独自の多言語環境を活かして金融業を育てたことは理解できた。

現在ルクセンブルクでは、金融部門がGDPの4分の1、税収の3分の1を占めているという。

ルクセンブルクについては、こちらの記事もどうぞ。

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