<吉祥寺図書館>船戸与一著「満州国演義① 風の払暁」(2007年/日本/新潮文庫)

年末に訪れた図書館で何気なく目についた。

私はどうも小説は苦手だ。だから、ほとんど読んでいない。

でも、「満州国演義」というタイトルに惹かれたのだろう。

船戸与一著「満州国演義① 風の払暁」。

この作品は、作家・船戸与一氏が「週刊新潮」に連載し、途中から書き下ろしに変わった大作である。

満州事変から終戦までの歴史を、架空の4兄弟を主人公にして描く。

長男は奉天領事館の参事官、次男は「緑林の徒」と呼ばれた馬賊の首領、三男は関東軍の士官、四男は無政府主義に傾倒した学生という設定だ。

しかし、この時代を彩った多士済々の名前も実名で登場する。

田中義一、石原莞爾、板垣征四郎、大川周明、頭山満、甘粕正彦・・・

船戸氏は、2015年、9巻に及ぶ「満州国演義」を書き上げて間もなく亡くなった。文字通り、心血を注いだ遺作である。

私はもともと日本が戦争に突入していくこの時代に関心を持っていて、いくつかの本も読んだ。だから、ある程度の歴史は理解しているのだが、こうして小説の形にしてもらうことで、時代の空気というかこの時代に生きた日本人たちの心情や葛藤がリアルに感じることができる。

個人の思想や意思とは別の次元で、めまぐるしく変わっていく社会情勢。

明治以降の「尊王攘夷」と「文明開化」という二大潮流が、この時代には「大アジア主義」と「国際協調」の政争となって日本社会を揺るがしていた。

韓国併合を行った日本は、日露戦争の勝利によって満州に権益を得る。

勢いづく軍部、特に若手将校を中心とする関東軍は、日本国内の窮状を救い唯一の策として「満蒙領有」を既定路線として追求していく。

今と違い、血の気の多かった当時の日本人たちは、それぞれの考えを主張しながら、新天地としての満州に様々な夢や思惑をめぐらせていった。

多感な青年たちにとって、明治維新のような血がたぎる時代だったのだろう。

「昭和維新」という言葉が語られたのも、ある意味、時代の空気をよく表している気がする。

今の日本人には皮膚感覚として理解しにくいところがあるが、当時の日本人、特にエリート階層の青年たちにとっては、欧米の力を排除して、満州や中国をどうしていくのかは誰もが考えるテーマだったことがこの小説を読んで感じられる。

ある意味、今の日本人よりもスケールく活力みなぎった日本人たちがそこにはいた。

だが、その結果がどうなったかは、私たちはみんな知っている。

作者の船戸与一氏は、小説の中で、こんな一節を残している。

日本人はいま論理というものから遠ざかろうとしている。一時的な感情のみが行動の基盤になりつつある。

宋雷雨の運転するフォード車の後部座席でそう思いながら敷島太郎は煙草に火を点けた。法や論理が無視される風潮は九ヶ月ちょっとまえの張作霖爆殺からはじまったと思う。国家の基本たる統帥権が干犯されたのだ。それに較べれば、他のことはすべて些細なものとしか映らないだろう。じぶんは情緒にたいする論理の優位形を信じつづけて来た。それがいま現実のまえに粉々にされようとしている。太郎は苦々しさとともに吸い込んだけむりを静かに吐き出した。

まるで今の時代を描写したような記述にも感じた。

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