愛の暴走族

レトロなクラシック喫茶店「BAROQUE」で、北村薫・宮部みゆき編「とっておき名短編」を読む。

最初に登場する作品は、穂村弘著「愛の暴走族」。わずか4ページの短い作品だ。

とても印象的な作品だったので、そのまま書き写させていただく。

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「愛の暴走族」

何人かで夜ご飯を食べているときに、今までで一番こわかったことは何か、という話になった。地震、泥棒、金縛り、海外での盲腸の手術、恋人とベッドにいるときにお父さんが入ってきたことなど、さまざまな体験が語られた。 ひとりの女の子が、金魚のエサが増えてたことかなあ、と云った。キンギョノエサガフエテタ……、意味がわからなくて訊き返す。なんでもある晩、彼女が会社から帰ってみると、缶の中のエサが増えていたのだという。
「気のせいじゃないの?」 「ううん。その日の朝、残り少なくなったのを、缶をかんかん叩いて使い切ったから間違いないの」 「でも、それは、つまり、どういうことなの? 超自然現象?」 「たぶん…、合鍵」 「は?」
どうやら、分かれた元恋人が、彼女の留守中に合鍵で侵入して、こっそり金魚のエサを補充していた、ということらしい。
「ほかには何も異常はなかったの?」 「うん。ただ金魚のエサだけが缶の八分目くらいまで増えてたの」
そ、それは、とみんなが息を呑む。こわいね。缶の蓋をあけて、あれ? 気のせいかな、と思ってしまいそうなところが一層こわいのである。彼は補充用のエサをわざわざ持ってきたのだろうか。 同じように部屋に入られるにしても、誕生日に貰ったアクセサリを持っていかれるとか、ふたりで写っている写真を破かれるとか、その方がまだこわくないと思う。行為としては派手でも、アクセサリや写真の場合はその背後に人間的な感情がみえるからだ。 だが、金魚のエサはそういう次元を超えて、なんだかわけがわからないレベルに達している。もしかするとそれはふたりで掬った思い出の金魚なのかもしれない。だが、その場合も、金魚鉢ごと持ってゆくとか、逆に、金魚を殺してしまうとかいう方が、まだしも自然な気がする。静かに金魚のエサを補充するというのは、なんともハイレベルな暴走だ。元恋人の部屋のなかで、さらさらと缶のなかにエサを注いでいる男のことを想像してみる。口元に微笑みを浮かべた彼は既に人間を超えたベツモノになっているようだ。
そういえば、と別の女性が云った。私もいつだったか、部屋のなかにシャボン玉が浮いてたことがある。読んでた本から目を上げたら、いくつもふわふわ浮いてたの。あとから考えると、たぶんドアの郵便受けから吹き込んだんじゃないか、と思うんだけど。最初は子供の悪戯かなと思って。でも、どうも別れた恋人だったみたい。仲良かった頃、一度だけいっしょにシャボン玉したんだよね。ラフォーレんとこの歩道橋の上で。
私は彼女たちの話を聞きながら、元恋人たちは成仏できない幽霊のようだと思う。夜店で掬った金魚やいっしょに吹いたシャボン玉のことが、そんなにも忘れられなかったのだろうか。その想いがつのって彼らはベツモノになってしまった。 だが、彼らだけが特別なわけではない。恋愛の極限状態になると、追いつめられた人間は実に不思議な行動に出るものらしい。別れた恋人の家に、彼女から貰ったラブレターをそれらが入った引き出しごと返しにきた男の話を聞いたことがある。さぞ重かっただろう。それに引き出しごと返してしまったら、そのあと困るんじゃないか。だが、男の頭のなかは悲しみでいっぱいで、「そのあと」の世界など存在しないのである。
私自身も暴走したことがある。学生の頃、一緒に住んでいた恋人が深夜を過ぎても帰ってこなかった。そのとき、嫉妬の妄想に狂った私は、家中の箸をずぶずぶとぜんぶ畳に刺してしまったのだ。そして悶々と怒りながら眠りに堕ちた。明け方帰ってきた恋人は、突き立った箸たちに囲まれて眠っている私の姿をみて「ひ」と云った。
最近いちばんこわかったのは、携帯電話の留守録音に入っていたメッセージである。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああとそのひとは云っていた。  (了)

 

わずか4ページ。

このくらいの短編を、私も書いてみたいものだと思う。

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