歳をとったせいだろうか?
このところ、大相撲にはまっている。場所が始まると、なるべく早く帰宅し、帰れない日には大相撲を録画するようになった。
そして、国技館で大相撲を見てみようと思い立った。
ダメ元でネットで予約して見たら、抽選で当たった。
令和になって最初の場所となる大相撲夏場所14日目。2階のイスB席5100円が2席だ。
ということで、生まれて初めて国技館で大相撲を観戦することになったのだ。
JR両国駅
総武線に乗って両国駅に着いたのは、午前10時40分。
大相撲は朝早くからやっていることも今回初めて知った。妻はそんな長時間見たくないというので、一人で朝から出かけた。
両国駅には、白鵬と武蔵丸の額。相撲の町としての演出がしっかりとなされている。
大昔、好きだった三重ノ海の額も飾られている。
渋いなあ。
両国駅に付属する施設「両国〜江戸NOREN」では、ちょうど相撲甚句が披露されていた。
相撲甚句というのは、大相撲の巡業などで披露される七五調の囃子歌である。「どすこい」の合いの手が入るのが特徴で、珍しいので動画を撮影した。
日本相撲甚句会が行う公演は、場所に合わせて土日の午前10時45分から始まるそうだ。たまたま私がその時間に通りかかったというのは、かなり運が良かったということだろう。
この施設、2016年にオープンしたまだ新しい複合施設で、土俵や観光案内所のほかに、12の飲食店が入居している。外国人観光客の姿もたくさんある。
両国駅から国技館に向かう道端にはいくつかの露店が並んでいたが、その中に「Abema TV」のブースがあった。アベマでも大相撲中継をやっているのを初めて知った。それも序の口の取り組みから中継しているという。
両国国技館へ
そこを過ぎるとすぐに色鮮やかな相撲のぼりが目に飛び込んでくる。
力士の名前には黒星を連想させる黒色は使わない、スポンサー名には赤字を連想させる赤色は使わない。昔の人の縁起担ぎは徹底している。
今場所前半で俄然注目を集めた小兵・炎鵬ののぼりがひときわ目立つように立っていたのも、さりげない演出だろうか?
そして国技館のシンボル「太鼓櫓」。
高さは16mあり、1995年に現在の鉄骨製の櫓に変わった。
反対側から見ると、その構造がよくわかる。
この櫓にはエレベーターが設置されていて、呼び出しが2人エレベーターで櫓のてっぺんに登り、太鼓を打つ。下からは人の姿が見えないので、本当に人が太鼓を打っているのか疑いながらその音を聞いた。
当日券と再入場
国技館の敷地内に入るためには、入場券が必要。もぎり台に座っているのは親方たちだ。
「暴力団または暴力団関係者の入場はお断りします。」
八百長疑惑などで揺れた角界は、暴力団との縁を切るために努力しているようで、場内アナウンスでも何度も同じ文言が繰り返されていた。それだけ、暴力団とは深い関係があったということだろう。
前売券は連日完売。国技館の収容人数は1万人なので、1回の場所だけで15万人を動員する計算だ。ある意味、すごいコンテンツである。
わずかながら当日券(2200円)が用意されているのだが、このチケットの入手は極めて困難で徹夜で並ぶのが当たり前なのだという。
毎朝7時45分から当日券の販売が始まるが、7時ごろには整理券が配られ、1人1枚に限り購入できる。つまり、家族や仲間の分も買おうと思ってもできない強気の商売なのだ。
「再入場」と書かれた矢印がある。
一度敷地内に入っても、一回だけなら再入場が認められる。朝から来て、お昼ご飯を外に食べに行くことも可能なのだ。
矢印の方向に進むと、「一時外出手続所」と書かれたテントがあった。
入場券を持って、ここで手にスタンプを押してもらうと外出ができるそうだ。
ちなみに、このゲートは力士たちが入退場する場所でもあるので、時間がうまく合えば、人気力士と一緒に再入場することも可能である。
天皇と神社
正門の脇には、「御製記念碑」がある。
1955年 5月24日、昭和天皇が蔵前国技館で10日目の相撲を観戦した際に詠んだ歌が石碑に刻まれている。
「ひさしくも 見ざりしすまひ 人びとと 手をたたきつつ 見るがたのしさ」
天皇が本場所を観戦するのは史上初のできごとだった。昭和天皇の相撲熱はその後さらに高まり、1970年からは年に 2回、85年と86年は 3回国技館で相撲を観戦している。 最後は崩御の2年前1987年 5月16日( 7日目)で、昭和天皇の戦後本場所観戦は実に40回に及んだそうだ。
敷地内には2つの神社もある。
左が「豊国稲荷神社」、右が「出世稲荷神社」だ。豊臣秀吉とゆかりのある神社のようだが、相撲との関連は調べてもよくわからなかった。
国技館の正面には、横綱白鵬と鶴竜の等身大パネルが並び、記念撮影の場所となっている。その横には、遠藤関にお姫様だっこしてもらうパネルもある。
さあ、国技館の中に入ってみよう。
相撲の歴史
正面入り口に掲げられた「国技館」の看板。
私が入場したのはまだ、午前11時前。この時間にやってくる人はまばらだ。
本当はここですぐに自分の席に向かい、始まったばかりの序の口の取組などを見ていたのだが、土俵に関係する内容は長くなるので別の記事に譲り、ここでは国技館で私が面白いと感じたことをまとめて書くことにする。
たとえば、こちら。
あまり注目する人はいないが、エントランスロビーには、相撲の歴史を描いた4枚の絵が描かれている。
まずは、「国譲りの力くらべ」。こんな説明書きが添えられている。
『 相撲、力くらべの起源としてよく知られている神話が、和銅5年(712)に編纂された「古事記」に載っています。
皇室の祖、太陽の神とされる天照大神は、葦原中国(日本の古称)を譲るようにと大国主命に迫りましたが、なかなか事がすすみませんでした。そこで天照大神は建御雷神を遣わしました。稲佐の浜(島根県出雲市)に降り立った建御雷神に対し、大国主命の子である建御名方神は力くらべを望みました。両者の力くらべは建御雷神が勝利し、国譲りは平和に行われました。この話は、大和朝廷による国家統一の過程を神話にしたものと考えられています。』
「野見宿禰と当麻蹴速」。「のみのすくねとたいまのけはや」と読む。
『 養老4年(720)に完成した歴史書「日本書紀」に載っています。当麻村(奈良県葛城市)の当麻蹴速は剛力の持ち主で、強い者と力くらべをしたいと言っていました。これを聞いた垂仁天皇は、まわりの者に蹴速と並ぶ人物がいるかと尋ねました。すると出雲国(島根県)に野見宿禰という者がいることがわかりました。出雲国からやってきた宿禰は、垂仁天皇7年7月7日に蹴速と対戦し勝利しました。勝った宿禰は蹴速の土地を賜り、垂仁天皇に仕え、今でも相撲の神として祀られています。』
続いては、「相撲節」。「すまいのせち」と読む。
『 相撲節とは、天皇が宮中で相撲を観覧する儀式のことで、奈良時代にはじまり平安時代に制度化され、400年に渡って催されました。朝廷の権威を示し、作物の豊作を祈る行事で、舞楽なども伴う毎年7月に行われる古代国家の一大イベントとして隆盛を極めました。
相撲を披露したのは全国から集められた相撲人たちです。上京した相撲人は、本番の前に行われる「内取(うちとり)」(稽古)で実力がはかられ、最強のものは「最手(ほて)」、次に強いものは「脇」と呼ばれました。当日は約20番の取組が行われ、現在と異なり土俵は存在しなかったため、勝負は相手を投げる、あるいは手や膝を地面につかせることで決着しました。「まわし」ではなく前を覆う部分の幅が広い「とうさぎ」が使用されており、現在の大相撲とはだいぶ様相が異なりますが、髪をつかむことや相手を殴ることが禁じられ、勝負がもつれた場合「論」(物言い)が行われるなど、一定のルールができあがりました。相撲節の開催により、人々が見て楽しむ競技としての相撲が成立したのです。』
なるほど、これは知らなかった。
信長と相撲
そして4枚目は、「織田信長と相撲」。
『 相撲を愛好する戦国大名は多く、織田信長も近江国(滋賀県)でしばしば観覧しました。「信長公記」によると、元亀元年(1570)に常楽寺で相撲を催し、抜群の強さを誇った鯰江又一郎と青地与右衛門に太刀・脇差を与え、両者を召し抱えています。また天正6年(1578)には安土城に近江国や京都などから1500人を集めて相撲を催し、行事の木瀬蔵春庵・木瀬太郎太夫も登場しています。まだ土俵はありませんが、この絵からは現在の大相撲に近づいている様子がよくわかります。
神社やお寺の建設・修復を目的とする勧進相撲は室町時代から行われ、戦国時代に盛んとなりました。徳川幕府による「平和」がもたらされると、庶民の娯楽として相撲が一層親しまれるようになります。江戸時代前期には土俵が成立し、それまではなかった「寄り切り」「押し出し」などの技も誕生しました。中期には江戸・京都・大阪の三都をはじめ、全国各地で相撲が盛んに催され、「大相撲」と呼ばれるようになります。こうして成立した大相撲は、現在も江戸時代の様子をとどめながら、世界中の人々に親しまれているのです。』
こうした説明書きを読んでいる人はあまり見かけなかったが、相撲の歴史がある意味よくわかるロビーになっているということだ。
天皇賜杯
ロビーの突き当たりには、千秋楽の表彰式で登場する様々なトロフィーが展示されている。
中央に置かれているのは、幕内の優勝者に贈られる「天皇賜杯」。重さは、29kgだそうだ。
その後ろに見えるのが優勝旗で、優勝力士は表彰状と副賞1000万円を受け取る。
さらに・・・
「内閣総理大臣杯」。こちらは、重さ40kgあるとされる。
千秋楽でトランプ大統領を国技館に招いた安倍総理は、自らこの重い総理大臣杯を朝乃山に手渡した。
そしてトランプさんもこの日のために、アメリカ合衆国大統領杯をわざわざ用意し、自ら土俵に上がって巨大なトロフィーを渡した。
外国からの賞品という意味では、他にもいろいろ展示されている。
手前のティーカップはハンガリー、その右隣はフランス、後ろの段の左からタイ、ブルガリア、そしてメキシコのレリーフが並ぶ。
魔法のランプみたいなのは、アラブ首長国連邦で・・・
このギリシャ彫刻のようなトロフィーはモンゴル・・・
そのモンゴルの影に隠れるように置かれていたのが、中国から贈られた「中日友好景泰藍杯」だった。
中国がトロフィーを出しているのはちょっと意外だった。いつの時代なのだろう?
賞品は梅干し
一方、地方からも個性的な賞品が出されている。
福井県は梅干し・・・
大分県は椎茸・・・
福島県は、赤べこと米俵・・・
そして東京都は、なぜかライオンの置物だった。
北村西望作の獅子奮迅像だそうだ。長崎の原爆祈念像で知られる北村氏は長崎出身、なんでだろう?
優勝力士に贈られる賜杯に比べて、三賞のトロフィーはありふれていた。
角界の厳然としたヒエラルキー、待遇の圧倒的な格差には驚かされる。
午後のロビー
ちなみに、朝方は閑散としているロビーも、十両の取組が始まる午後2時ごろからは混雑してくる。
何やら行列ができていると思ったら・・・
力士と合成写真が撮れるサービスだった。
ロビーの反対側では、日本相撲協会の公式マスコットキャラクター「ハッキヨイ!せきトリくん」の着ぐるみとの記念写真を撮るサービスが行われていた。
黄色いのが「ひよの山」、赤いのが「赤鷲」というらしい。
ものすごい商魂を感じる。
相撲茶屋
そんなロビーから、観客席を取り囲むように廊下が一周している。何があるのか、試しにぐるっと回ってみた。
ロビーから左手に行くと、こんな賑やかな通路がある。
いわゆる「相撲茶屋」、現在では「相撲案内所」と呼ばれる店が並んでいる。
相撲茶屋とは、大相撲の本場所において、入場券の売買仲介や会場での接客・案内を行う店舗のことだ。たとえば、入場券の仲介についてウィキペディアではこのように書かれている。
『 相撲茶屋は枡席などの上等の席について日本相撲協会からの委託により入場券の販売権を持っており、その割り当ては慣例によりそれぞれの縄張りが定まっている。例えば、現在両国国技館には約1500の枡席があるが、そのうちの70%から80%が相撲茶屋の持分として売りさばかれる。さらに、その一割以上を最大手の「四ツ万」が「保有」しており、他の相撲茶屋はこの席を売ることはできない。』
なるほど・・・。
一旦建物から出て、通路の反対側を見てみる。
私が入場した正面入口の左手に「案内所」と書かれた別の入口がある。ここが「相撲茶屋」で席を予約した客が使う入口だ。
この通路には20の相撲茶屋が並んでいる。
すべての茶屋は「国技館サービス株式会社」という会社が運営しているというのだが、ウィキペディアによれば、2番は元横綱柏戸・鏡山親方の未亡人、3番は春日野親方の義妹、14番と17番はそれぞれ出羽海親方の長女と次女が女将を務めていると言う。何だか不思議な世界。利権や闇の臭いがプンプンする。
相撲茶屋を利用する客は、この入口から入り、注文した店に行くと、出方と呼ばれる店の人が席まで案内してくれる。客には、湯茶・弁当・取組表・土産物が提供され、必要なものがあれば何でも出方が調達してきてくれる接待つきだ。
その代わり、客は出方に祝儀を渡す慣例があるという。ちょっと面倒だ。
力士弁当
さらに、左回りに進むと、売店がある。
相撲の決まり手が描かれていて、実に様々な相撲グッズが売られていた。
たとえば・・・お弁当。
定番の幕の内弁当だけでなく、力士の名前がついた弁当が並ぶ。
白鵬弁当は、鶏の竜田揚げ、揚げギョーザ、海老のチリソース、ゆで卵、野菜塩ゆで、三色豆、ミニトマト、ご飯に梅干しが入って1150円。
鶴竜弁当は、ロースとんかつ、牛サイコロステーキ、ポークウィンナー、ゆで卵、野菜塩ゆで、三色豆、ミニトマト、ご飯と梅干し、しば漬けが入って1150円。
豪栄道弁当は、牛焼肉、牛肉コロッケ、串カツ、ポテトサラダ、ミニトマト、海苔入り玉子焼き、きんぴらごぼう、ご飯と梅干しが入ってやはり1150円だ。
こうした力士弁当は、力士本人がプロデュースする。
高安弁当は、さばの味噌煮、チキン南蛮、海鮮蓮根はさみ揚げ、切り干し大根、きゅうり醤油漬け、三色豆、ミニトマト、ご飯と梅干し。
今場所途中休場となった貴景勝弁当は、ビーフカツ、ちくわの磯辺揚げ、煮卵、えのきバター、ブロッコリーのガーリック揚げ、煮物野菜、くるみ小女子、ご飯と梅干し。さすが、芦屋育ちのおぼっちゃまだけあって、お弁当のメニューも洗練されている印象だ。
相撲グッズ
力士のラバーマスクが2600円。
栃ノ心ははっきり分かるが、その隣は稀勢の里のようだ。その隣は遠藤?そして誰?
「令和元年 大相撲」と書かれたうちわが650円。
このほかにも令和関連のグッズもかなり作られている。
軍配も売られている。
普通のものは870円だが、木村庄之助の軍配は10800円だ。木村庄之助は行司の最高位だが、何が違うのだろう?
拍子木も売っていて、3800円だ。
白鵬と稀勢の里の手形がプリントされた「飾り盆」は2160円。
手形の色紙なら、330円で買える。
名物やきとり
私は後ほど、国技館名物の「やきとり」(650円)と缶ビールを買った。
やきとりは国技館の地下で作っているのだと言う。
焼鳥が3本とつくねが2本。
焼鳥は大ぶりで、タレの味がしっかりしみている。
つくねも柔らかく、ビールとよく合う。
他の弁当と比較はできないが、やきとりはオススメだと思う。
生写真
売店から左回りでさらに進む。
向こう正面の裏手では、力士の生写真を販売していた。
種類は400以上、力士たちが並んだ令和の人文字写真もある。
小さい写真は1000〜2000円、大きな写真は2000〜4300円だった。
力士を間近に見る
廊下をさらに進んで西の土俵裏には中継車が並び、その前を力士が歩いている。
相撲を終えた力士が国技館を去り、これから相撲を取る上位力士が歩いて国技館に入る。力士が出入りするのは、正門より両国駅に近い南門だ。
南門からの通路で待っていると、贔屓の力士にすぐ近くから声援を送ったり、写真を撮ったりできるのだ。
午後2時半ごろ私もこの場所に行った。
幕内力士がやってくる時間だからだ。
まずやってきたのは栃ノ心。大関復帰の10勝を目の前に連敗し厳しい表情だ。
続いて、千代丸。
近くのおばさんたちが、「あれ、クッタの人じゃない」と話していた。コマーシャルの威力がやはりすごい。
北勝富士が来た。闘志を表に出すが、ちょっと落ち着きがない。応援しているのだが、今場所も負け越しだ。
今売り出し中の竜電。千秋楽で10勝目を挙げ、技能賞を獲得した。
イケメンなので、この調子でいけば今後もっと人気が出そうだ。
そういえば、こんな人もやってきた。
高須クリニックの高須院長。
高須クリニックは角界の貢献している「維持員」という特別な資格を持つため出入り自由。アベマTVの解説者も務めている。
そしてやってきました、逸ノ城。
門の外には、入場できない人たちが集まり、敷地の外から力士たちに声援を送る。
今場所はケガで途中休場したので、「逸ノ城が見られない」と残念に思っていたが土俵に戻ってきた。
大きな体と小さなハート。私はなぜか逸ノ城が好きなので、目の前を歩く逸ノ城の写真を何枚も撮ってしまった。
国技館ちゃんこ
話がそれてしまったが、国技館の話に戻そう。
1階の廊下をグルっと回って正面に戻ると、何やら行列ができていた。
「これは、何だ?」と思ったら、こんな案内板が立っていた。
お昼の12時から地下の大広間で、ちゃんこが食べられるようだ。
しかも300円。
クッタのCMに出演する千代丸関の写真入りポスターには、「千代丸も大好き!九重部屋特製の塩ちゃんこ」と書いてある。日替わりで、各部屋のちゃんこ長監修のちゃんこ鍋を300円でいただくことができるのだ。
これは体験せざるを得ないと思い、行列に並ぶ。地下に降りる階段に行列が続くが、流れは予想したよりも早い。
私が並んだのは12時20分ごろだが、食べ終わった人が次々に階段を上がってくるのだ。一体、どんな仕組みになっているのだろう?
大広間に入ると、そこにも行列は続いていた。
大広間の中は、こんな感じ。白いクロスがかけられたテーブルがずらりと並び、ちゃんこを受け取った人たちは空いた席に座って食べる。
行列の先端でテーブルに座ったおばさんに300円を支払い・・・
厨房の出口で、次々に出てくるちゃんこの器を受け取る。まるで炊き出しや配給のようだ。
ちゃんこを大広間の外に持ち出すことは禁止、お酒などちゃんこ以外の販売も一切ない。
そして、食べ終わった客は自分で食器をゴミ箱に入れ大広間を出て行くのだ。
徹底したセルフサービス。回転は驚くほど早い。
ちなみに、この大広間のちゃんこ鍋は、食べログにも「両国国技館 地下大広間」として掲載されている。
そして、肝心の「九重部屋特製塩ちゃんこ」がこちら。
野菜たっぷり、塩味もしっかりしていてとても美味しい。
ちょっと塩っぱいので、ビールやご飯が欲しくなる感じだが、300円は極めてリーズナブルだろう。
相撲博物館
塩ちゃんこをいただいた地下大広間から階段を上がった所に出入口があり、そこから外に出た所に「相撲博物館」がある。
ちょうど引退した稀勢の里の特別展が行われていたので、拝見することに。
入館料は無料。ただ残念なことに撮影禁止だ。
特別展では、稀勢の里が現役時代に使用した着物や化粧まわしなどが展示されていて、入門時代から引退までをまとめた懐かしい映像も見ることができた。
若い時の稀勢の里は精悍で、もし白鵬がいなければ立派な日本人横綱になっただろうと、人間の運命のようなものを感じた。
国技館では今も多くの稀勢の里グッズが販売されている。
悲願の横綱昇進を果たした直後に大怪我に見舞われ苦しんだ稀勢の里。横綱としてほとんど活躍できなかった稀勢の里だが、そのもがく姿が多くの人の心に残った。
相撲は人生の味がする
私が座った2階正面席の上には、稀勢の里の2枚の優勝額が掲げられていた。
そして稀勢の里の前に山のように立ちはだかった稀代の名横綱・白鵬。
その横には、稀勢の里が力士生命を断たれる大怪我をした因縁の相手・日馬富士の肖像画も掲げられている。
私は日馬富士があのような格好で角界を去ったのを本当に残念に思う。モンゴル人力士たちはみんな驚くほど巧みに日本語を操る。異国で横綱にまで上り詰めにには想像もできないほどの努力が必要だっただろう。
大相撲には、そんな力士一人一人の人生が見える。うまく行くときがあれば、うまくいかない時もある。そんな力士たちに自分の人生を重ねながら、贔屓の力士に声援を送る。
相撲は昔からおじいさんたちの愛するスポーツだった。自分がおじいさんになった今、その味わいが少しわかるようになってきた気がする。
相撲は人生の味がする。だから、今は野球やサッカーよりも大相撲が好きかもしれない。
この日観戦した相撲の話は、次の記事で書くことにしたい。

