サイトアイコン 吉祥寺@ブログ since 2016

<吉祥寺残日録>吉祥寺に引っ越してから10年!この間に世界は「前代未聞の変革を成し遂げ、歴史に残る大転換を実現」してしまった #260227

広告

アメリカのトランプ大統領は、今年の一般教書演説で誇らしげに次のように述べた。

『われわれは前代未聞の変革を成し遂げ、歴史に残る大転換を実現したのだ』

はい、はい、はい。

まさに、トランプさんのおっしゃる通り。

我々はこの1年で「歴史の残る大転換」を遂げたように私も感じる。

ただし、極めて悪い方向への大転換である。

大統領に返り咲いたトランプさんがこの1年の間に成し遂げたことは、アメリカという国家が長い年月をかけて築き上げてきた自由、民主主義、法による支配、多様性、人権重視という価値観の破壊、そして同じ価値観を共有してきた国々からの信頼と尊敬を木っ端微塵に打ち砕くことだった。

彼がこの1年好んで使った言葉と言えば、「関税」と「力による平和」。

そこに共通するのは、弱者はどんな理不尽なことでも強者に従うべきだという信念である。

不動産王として生きてきたトランプさんにとって、おそらくそれは揺るぎない信念なのだろう。

弱者に対しては力にモノを言わせて黙らせる一方で、手強い相手にはディールを持ちかけ、お互いの縄張りを認め合って共存する、そんなビジネスマン的な思考回路がこの人を突き動かしているように見える。

自らの誤りを認めることのないトランプさんの頭の中を変えるのは、もはや不可能に違いない。

しかしより深刻な問題は、そんなやりたい放題のトランプさんを止める人がおらず、周囲はトランプさんを礼賛する人ばかり。

もっと深刻なのは、人権を軽んじるトランプ的な発言や行動がアメリカにとどまらず世界各地に拡散し、特にSNS上では多数派を構成しつつあるように見えることである。

フェイクと陰謀論の蔓延、排外主義、弱者への攻撃、科学や専門知識の軽視・・・。

トランプさんが歴史に残した「大転換」とは、紛れもなく、人類が築いてきた叡智を否定し、人間が持つダークサイドを解き放ち、他者への思いやりを踏みにじり、自己の利益だけを追求することを肯定し、殺伐とした罵り合いを世界に拡散したことだろう。

損得でしか物事の善悪を判断できないリーダーの下で、社会の分断は進み、株価だけは上がっていく。

今年の2月、東京にはほどんど雨が降らず、とても暖かかった。

井の頭公園では今、河津桜が満開だ。

私が吉祥寺に引っ越してきてからこの2月でちょうど10年。

このブログを立ち上げたのもやはり10年前のことである。

そして、世界に「大転換」をもたらすことになるトランプさんが、大方の予想を覆し、初めてアメリカ大統領に選出されたのも10年前のことだった。

当時の私には、こんなにも簡単にアメリカが、そして世界が、今のような姿に変わってしまうとは想像もできなかった。

そして、トランプさんがもたらした「大転換」は日本にも確実に波及している。

トランプさんの盟友だった故・安倍晋三元総理、その後継者を自認する高市総理の人気で歴史上類を見ない大勝利を勝ち取った自民党。

既存野党の壊滅により国会の景色も一変した。

英エコノミスト紙は、高市さんを「世界で最も力を持つ女性」と呼んで特集記事を掲載した。

欧米メディアでは「極右」と評されることも多かった高市さんの異常な人気ぶりに、「日本も変わった」と感じる外国の有識者も多いようだ。

事実、日本はこれから大きな転換点を迎えることになる。

議場の大半を与党議員が占める国会議事堂、施政方針演説の中で、高市総理は高らかに宣言した。

『外交力、防衛力、経済力、技術力、情報力、そして人材力。日本の総合的な国力を徹底的に強くしていく。そのために、これまでの政策の在り方を根本的に転換してまいります。』

トランプさんが「歴史に残る大転換を実現した」と自画自賛すれば、我が国のトップはこれから「根本的な転換」を行うと宣言したのだ。

果たしてどんな日本を目指すのか?

高市さんがまず取り組むのは、2年間限定の食料品に限った消費税ゼロと給付付き税額控除である。

日本が立ち遅れた様々な問題に対して、高市さんが具体的な政策を提案して前に進めようとしているのは私も感じる。

それはそれでいいし、評価もしている。

一方で、圧倒的に少数となった野党は、高市さんが総選挙で当選した全ての自民党議員に一人3万円のカタログギフトを贈ったことを追及している。

でもこれは、私にはどうでもいい些細な話だ。

大事なのはもっと先、高市政権が本当に狙うまだ明らかになっていない「根本的な転換」の正体である。

経済を中心に意欲的な政策が並ぶ施政方針演説の中で、高市さんらしさが最も感じられるのはやはり「防衛力」と「情報力」の部分であろう。

いわゆる「三文書」の年内改訂、「航空宇宙自衛隊」への改編と「宇宙作戦集団」の編成、防衛産業の強化、インテリジェンスの司令塔機能を強化、「国家情報局」への格上げと具体的な政策転換がはっきりと打ち出された。

さらに、憲法や皇室典範の改正にも強い意欲を示し、伝統的な日本への回帰こそが高市さんが目指す「根本的な転換」の方向性なんだと私は受け取った。

そういえば、今度の総選挙で高市さんが打ち出したキャッチフレーズ「日本列島を強く豊かに」というのは、明治時代の「富国強兵」そのものではないか?

今の世界情勢に鑑みれば、私も防衛力の強化そのものには賛成であり、現実に即した国民的な議論や実戦的な準備が欠かせないと思っている。

「平和は夢想しているだけでは実現できない」ということは、世界各地の紛争地を取材してきた人間として一般の日本人よりも切実に感じているところでもある。

しかし防衛力強化というかけ声と共に、愛国心の強制や国家に対する服従を強いる空気が醸成され、国民の自由や権利が制限され、自由にモノが言えない社会に変容する危険性も考慮しなければならない。

歴史を振り返れば、そうした事例は山のようにある。

私はそれを恐れる。

現に戦前の日本がそうであったし、「富国強兵」に邁進した明治の日本もそうであった。

同調圧力の強い日本社会では、一度流れができてしまうと容易にあらがうことができなくなる。

政府の方針に従わない人間を「非国民」と呼び、社会から排除するような風潮は、まだ一部とはいえ確実にSNS上に育っている。

再びそんな日本には戻ってほしくない、私は強く思うのだ。

私たちが今味わっているような誰にも気兼ねなく自由にモノを言える社会というのは、日本の歴史上、実に稀で貴重な時代なのである。

そのことを多くの日本人が自覚してから、防衛力について議論してほしい。

「息苦しさ」とか「社会の閉塞感」などという言葉で安易に使われるが、今の日本の問題など国家によって統制された社会に比べればどれだけ幸せなことか、今のロシアや北朝鮮のような国を見れば容易に想像つくだろう。

高市さんはもちろん、そのような息苦しい社会を作る気など毛頭ないとおっしゃるだろう。

しかし、私は高市さんが施政方針演説の冒頭で使用したこの言葉がとても気になった。

『信以(もっ)て義を行い、義以(もっ)て命(めい)を成す』

その意味は、「自身の信念(信)に基づき正しい道(義)を実践し、その道義によって天から与えられた使命(命)を全うする」ということらしい。

もともとは宋の宋代の儒学者・張載の言葉だそうだが、高市さん的には戦前から戦後にかけて日本の保守思想や右翼運動に多大な影響を与えた思想家、安岡正篤氏の教えをもとにしているように感じる。

安岡氏といえば、安倍さんの祖父である岸信介元総理が彼の葬儀委員長を務めたほど、その影響力は岸さんとその流れを汲む自民党保守派の人々には受け継がれている。

安岡正篤氏は、いわゆる玉音放送として知られる昭和天皇による「太平洋戦争 終戦の詔勅」の刪修(さんしゅう)、すなわち不要な言葉を削って、内容を修正・訂正する今風に言えば校正の作業を担った人物だ。

安岡氏は強い思いと共に詔勅の中に2つの言葉を入れたという。

しかし、その後の閣議でわかりにくいとの意見が出て、「義命の存する所」という一番思い入れの強い言葉を「時運の趨(おもむ)く所」に変えられてしまい、安岡氏は戦後そのことをずっと悔いていたという。

この「義命の存する所」という言葉の由来こそ、高市さんが施政方針に入れた『信以(もっ)て義を行い、義以(もっ)て命(めい)を成す』という言葉だったのだ。

その言葉をあえて選んで演説に入れたのは、敗戦に際しての安岡氏の無念を晴らそうという気持ちが高市さんにあったからではないか、私はそう推測した。

安岡氏が体現したのは、日本古来の伝統的な精神を重視する国家主義思想「日本主義」であり、高市さんがその思想にシンパシーを抱いているのだとすれば、向かう方向は自ずから明治や戦前の日本に近いものになるのではないか。

私はそれを恐れるのである。

とはいえ、今回の選挙で圧倒的多数の日本人が高市さんを信任したのは事実であり、今も高い支持率が維持されている。

これも民主主義によって示された民意であり、もちろん、尊重しなければならない。

とはいえ、時ならぬ熱狂が生じる時、思わぬ落とし穴が待っているのも歴史を振り返ればよくあることだ。

天邪鬼な私としては、要らぬ心配をしないわけにはいかない。

たまたまではあるが、高市自民党が前代未聞の大勝利を収めたこの2月、私はずっとYouTubeである朗読を聴いていた。

島崎藤村の『夜明け前』。

保守派の皆さんが大好きな明治維新前後の日本社会の大きな変化を、木曽路の宿場町を舞台に描いた日本文学史上にその名を刻む壮大な小説である。

主人公は馬籠宿で本陣の主として街道の世話をする青山半蔵。

彼は若い頃から国学に傾倒し、尊王攘夷運動にも大きな影響を与える平田派に入門、同志とともに王政復古の実現を強く願っていた。

黒船の来航以来、江戸や京都から遠く離れた宿場町でも人の往来が激しくなり、徳川幕府のもとでの封建社会が音を立てて崩れていく様が木曽の山奥にいても伝わってくる、そんな時代になった。

大名の参勤交代が取りやめとなり、公武合体を企図して皇室から和宮様が江戸に嫁ぐ一方、尊王の志士たちが京の都へと上っていく。

やがて、政治の中心は江戸から京都に移り、大政奉還、そして半蔵が夢見た王政復古が現実のものとなった。

鳥羽・伏見の戦いに敗れた徳川慶喜は江戸に逃れて恭順の意を示し、それを追って錦の御旗を掲げた追討軍が街道を東へ下る。

こうして誕生した明治新政府には、仏教や儒教が入る以前の日本社会の再興を夢見て平田派の門人たちも参画していく。

神道の国教化を背景に全国各地で仏教寺院が破壊される廃仏毀釈運動もこうした中で起こった。

ところが薩長を中心とした新政府は時が経つにつれて、攘夷とは真逆の西洋文化の導入に邁進するようになり、古の日本に戻ることを願った平田派の面々は公職を去り、神社の宮司などにその道を求めるようになる。

半蔵も家業を息子に譲り東京に出て一度は公職に就いたものの、そこで目にした光景が自分の理想とは程遠いことに愕然として失意のうちに郷里に戻り隠居生活に入ったのだが、若き日に思い描いた理想は捨てがたく、村外れにある寺に火を放つ。

彼を師匠として敬っていた村人たちもこの行動を見て彼は狂ったとみなし、結局半蔵は家族の手で座敷牢に入れられそこで生涯を終えるのである。

誰にでも、いつの時代にも、社会への不満はあり、それを変えたいという願いがあるものだ。

その気持ちが強ければ強いほど、自分の理想と現実のギャップに苦しむことになる。

「夜明け前」の主人公、青山半蔵のモデルは島崎藤村の父親だという。

実際に藤村の家は江戸時代、馬籠宿の本陣を務めていた旧家であり、その家に残っていた資料がこの小説に単なる創作ではないリアリティーを持たせたのだろう。

高市さんやその仲間たちは、明治以来の日本を一つの理想としているように私には感じられる。

明治天皇の誕生日である11月3日を、現在の「文化の日」から「明治の日」に改称しようと画策しているのもその表れである。

今の上皇が亡くなった後、果たして「平成の日」が制定されるのだろうか?

保守派の面々からすれば、明治と昭和こそ日本が輝いた素晴らしき時代であり、大正と平成は取るに足りない忘れ去るべき時代ということなのだろう。

天邪鬼である私は、比較的平和だった大正と平成こそ、日本人にとって幸せな時代だったと考えているので、その認識の違いは如何ともし難いのである。

吉祥寺に引っ越してから10年、その間に世界は私が望まない方向に大きく変わってしまった。

ウクライナでの戦争も今月24日で丸4年を迎え、5年目に突入した。

井の頭公園ののどかな景色を眺めながら、ロシアの軍事侵攻が始まる前のマリウポリの街もこんなに平和だったんだろうなと想像する。

しかし、ロシア軍に占領されると、その町で暮らしていた子どもたちの多くがロシア各地に里子に出され、逆にロシア各地から大量の移民が計画的に送り込まれてロシア化が急速に進んでいるという。

強者が力で弱者をねじ伏せる世界。

そんな中、敗戦から80年が過ぎ日本でも、高市政権が今年「昭和100年」を祝う行事を計画しているそうだ。

昭和のはじめ、日本社会がどのように変容し戦争への道を辿ったのか、国家が国民を統制する社会がどんなに重苦しく人命を軽んじるものだったか。

「昭和100年」に当たり、戦後の経済発展を懐かしむよりも戦争がもたらした惨禍こそ、若い日本人に伝えるべき教訓なのではないのか。

国家が国民の上にあり、人権が軽視される社会に舞い戻ってはならない。

戦争に苦しみ、二度と戦争をしないと誓った終戦直後の日本人の願いを無にしてはならない。

もしも高市政権が、明治と昭和を殊更に美化し愛国心を口にする人たちと行動を共にし、国家の権限を強化して国民の権利をなおざりにするならば、私たちは警戒し抵抗しなければならない。

そんなことを考えながら、来月私は10年暮らした今のマンションから引っ越すことになる。

モバイルバージョンを終了