今さら「先手先手」と言える厚顔無恥な政府に頼らず、少しでも感染を広げないために各自できることを実践しよう

新型ウィルスの検査対象が広げられたことにより、次々に感染者が見つかっている。しかし、政府は検査対象を湖北省に縛ってきた方針の間違いを認めることもない。

感染症学会は今月3日の段階で、国内感染が始まっている可能性を指摘していたにも関わらず、水際作戦に固執した挙句、安倍総理は今頃ようやく招集した専門家会議で、新たな事態に対応するため「先手先手でさらなる対策を前例にとらわれることなく進めてまいります」などと平気で言っている。あまりの厚顔無恥に呆れてしまうが、そうでなければ政治家などやっていられないのだろう。

野党も野党である。安倍さんの対応もひどいのだが、桜の追求をするよりも、新型ウィルスについて政府の対応の問題点を指摘し、もっとこうすべきだと対応策を自分たちから提案して政府を追求していれば、きっと国民の共感を得られただろう。そして国内感染がさらに広がってくれば、安倍政権に対する不信感が高まることは確実で、格好の攻撃材料にできただろう。

しかし、政治家のご都合主義は日本だけの話ではない。

発生源の中国の習近平さんも、初動に問題があったという国内世論を意識して、「先月7日には感染対策を指示していた」と苦しいアリバイ作りまでして情報操作を強化し始めている。

中国以外で感染者数が増えているのは、日本のほかにシンガポールや香港に限定されていて、おそらく東南アジアの各国は出来るだけ検査をせず、感染者数を増やさない方針を取っているのだろうと勘ぐってしまう。間違いなく、新型ウィルスは世界各地に広がっているはずなのだ。

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横浜のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の集団感染でも、今頃になってアメリカが自国民を救出するためのチャーター機を用意した。アメリカに続いてカナダや香港、オーストラリアも自国民救出を進める方針のようで、各国政府も国内世論に押される形で右往左往している様子がうかがえる。それにしても遅すぎる。アメリカがチャーター機を飛ばす話は当初あったがなぜか立ち消えになった。日本政府が嫌がったからか? アメリカ政府が考え直したのかその辺りもはっきりしない。もし各国がもっと早く自国民を連れ帰っていれば、感染者数ももう少し抑えることができたかもしれない。

今さら言っても仕方ないが、クルーズ船が横浜に着岸した段階で、日本に入国する人とトランジットでそのまま本国に帰る人を仕分けして、トランジットの人は発熱していなければ本国に帰ってもらい、日本人と日本に止まりたい外国人だけを船から下ろして対応すれば、クルーズ船のスタッフも帰国できただろう。日本で発生する感染者数は大幅に減らすことができ、病床を無駄に使う必要もなかっただろう。

それにしても、政府の関係者が誰もクルーズ船に出向かず、持病の薬が何日も届かないという呆れた対応を見せられると、日本各地で感染が広がった際に起きる混乱は容易に想像できてしまう。少なくとも、早い段階で現地対策本部を作り、副大臣か政務官クラスをリーダーにして外務省スタッフも加えてきめ細かい対応をしていれば、こんな惨めな結果にはならなかったのではないかと残念でならない。いつも「私が先頭に立って」と出しゃばる安倍さんが、今回の新型ウィルス対応では現場にも行かないしリーダーシップが感じられないのだ。

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でも、そんな政府批判は事態が終息してからゆっくりやればいい。今は感染を少しでも抑えるために何ができるか、政府の指示を待つのではなく、各自の判断でできることを実践する時だ。

真っ先に検討するべきことは、不要不急の外出を減らすこと。我が家ではすでに実践している。

そのために必要なのは、企業が自社の社員に対して、明確な指示を行うことだろう。サラリーマンの場合、会社に行かなければできない仕事は実はそれほど多くはない。こういうご時世なので、多くの人が集まるイベントや取引先との会食などは控えた方がいいだろう。無駄な会議や意味なくオフィスにいる時間を減らしていくと、実は会社に行く必要がある日は驚くほど少なくなる。そうして必要な人だけが出社するようになれば、通勤電車の混雑も緩和されるだろう。

そうやって出勤しなくてもいい人が出勤しないだけなら、企業業績に対する影響は思いの外少ないと私は考えている。ただ日本の会社は、出勤しないと給料をくれないので、その仕組みを見直すいい機会かもしれない。中国では、この非常時にデジタル化や在宅勤務のノウハウがかなり進化していると聞く。日本でも真の働き方改革を進めるチャンスにしてみたらどうだろう。

「出勤する必要のない人は出勤しないでください」

企業がそう社員に指示するだけで、感染拡大はかなり抑えられると考える。

学校も心配だ。教師や生徒に一人でも感染者が出たら、たちまち学校閉鎖の動きが出てくるかもしれない。子供は新型ウィルスに感染しにくいとは言われているが、お母さん方に与える影響は甚大である。

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そして何と言っても一番心配なのが医療現場だろう。高齢化が進む日本の病院はいつも人であふれている。その多くは薬をもらいに来た人たちである。私も病院が混雑する事態を予期して先週少し早めに高血圧の薬をもらってきた。ただ、いつもの薬をもらいに行っただけでも待合室で結構待たされる。そこで感染するリスクは高い。

政府には、いつも服用している薬については一定期間、医師の処方箋がなくても薬局で買えるように特別措置を取ってもらいたい。そうして医者に行く必要がない特に高齢者を感染のリスクを減らす政策を打ち出してもらいたい。そして私たちも、不要の医者通いを減らすよう心がける必要があるだろう。

政府にぜひ急いでもらいたいのは、ネットやスマホから相談できるサイトの構築だ。電話相談では、必ず長電話をする人がいてすぐに電話回線がパンクしてしまう。本当に検査が必要な人が相談できないのだ。そこで若い人たちは出来るだけ特別サイトから相談できるような仕組みを整えることが急がれる。スマホでアクセスし、体温や症状、渡航歴などの質問に答えると、その症状に応じた診断や指示が自動で出され、新型ウィルスの検査を受ける必要がある人をある程度ピックアップできるのではないか?

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そしてメディアには、もっと働いてもらいたい。

どうも政府の発表とクルーズ船の乗客インタビューと手洗いの方法ばかりの報道が目立ち、「武漢縛り」の検査ルールは誰がどういう目的で続けていたのか、民間の検査対応はどの程度の能力があるのか、病院の受け入れ態勢や医療スタッフのキャパシティーはどの程度あるのか、など本当に知りたい情報が一向に出てこない。

「正しく恐る」と言いながら、パニックを防ぐ気遣いばかりが目立って、正しく現状を理解するための取材や政府の対策の不備の指摘や具体的な提言など本来メディアがやるべき仕事が十分になされていない気がする。

私が現役の時代には、武漢が封鎖された段階で、記者が武漢に入って現地の状況を取材しただろう。今はメディアもコンプライアンス重視になり、他者が発信した情報を集めて安全な場所からしたり顔で報道する姿勢が目立つようになった。おそらく若い記者たちは、それが自分たちの仕事だと思っているのだろう。

しかし、私はまずは現場を自分の目で見て、感じたことを発信するのがメディアの使命だと思っている。その意味で、今回日本のメディアが封鎖された武漢を取材しなかったことは残念に思う。

それに対して、海外のメディアの中には封鎖後の武漢を取材したところもある。

例えば、フランスのAFP通信だ。3人のジャーナリストが封鎖された武漢に入り数日間取材した記事がネットで配信されていた。特段すごいスクープがあるわけではないが、現場に入るというジャーナリストの基本を実践した彼らに敬意を表し、「【記者コラム】中国・武漢、コロナウイルス流行下の日々」と題された彼らの記事を、ぜひ引用させてもらいたい。

【2月7日 AFP】全世界を恐怖に陥れている新型コロナウイルス流行の中心地から、AFPの取材班が8日間にわたって報道を行った。レオ・ラミレス(Leo Ramirez)、エクトル・レタマル(Hector Retamal)、セバスティエン・リッチ(Sebastien Ricci)の3人の記者は、流行の発祥地となった人口1100万人の大都市、中国湖北(Hubei)省武漢(Wuhan)が世界から遮断された様子を映像、写真、記事で伝えた。

 3人が自らの体験を語ったのは、ここフランス南部のリゾートだ。彼らはフランス当局が準備した保養施設に収容され、死ぬこともあるこのウイルスにかかっていないことを確認するために隔離下に置かれている。

■レオ・ラミレス(ビデオ担当)

 喉が痛み始めたんじゃないか? 体温が上がっていないか? 感染したのか? 武漢で過ごした8日間、私の頭の片隅には常にこうした問い掛けがあった。

中国・武漢の病院(2020年1月25日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

中国・武漢の病院(2020年1月25日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 1月31日に南仏の保養施設に隔離されるまで、われわれはウイルス流行の中心都市を取材した唯一の国際通信社の取材班だった。2月2日までに中国だけで300人以上が死亡、1万人以上が感染。世界のあらゆる場所で感染者が出始め、パニックの種をまき散らしていた。

 この期間に私が撮影した映像は、AFPに勤めて10年間の中で最も強力な映像の一つだ。私はこのウイルス流行によって、最も悲しい顔と最も勇敢な顔の両方を見た。自らの命を危険にさらして活動する何百人ものボランティアと、ノンストップで働く医療関係者らだ。

 それには二つの課題があった。この重要な出来事を伝えることと、自分がウイルスに感染してこの出来事の一部にならないことだ。

 目に見えない敵から身を完全に守る絶対確実な方法などない。だが、ウイルスに感染する確率を低くするためにできることはある。マスクを常に着用し、手術用手袋とゴーグルを使用すること。執拗(しつよう)に手を洗うこと、規則正しい食事とビタミンを取ることだ。

中国・武漢(2020年1月28日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 われわれのホテルの入口では、ある儀式があった。体温を測定され、37度未満ならば中に入れてもらえるのだ。武漢で3日間仕事をしたところで、この儀式が怖くなった。危険が満ちたあちこちの場所で一日中働いた後、ホテルに入り、体温の検問所を通り抜けるのは最悪だった。

 ある日、最も恐れていたことが現実となった。私を測った体温計が37.6度を示したのだ。パニックになるな、体温計が間違うこともある。もう一度測ってみた。やはり37.6度。3回目も同じ結果だった。私も周りの人々も気持ちがめいり始めた。再度、今度は体温計を変えて測った。36.6度だった。誰もが少しほっとした。

(c)AFP / Hector Retamal

 日々の仕事をこなす中で、私は自分の体について非常に意識していた。咳が出そうになっても、汚名を着せられないようにと、咳を抑えた。一日中、「咳をするな、くしゃみをするな、手袋が破れませんように」と自分に言い聞かせ続けるのだ。誰かが私のジャケットにくしゃみをすれば、すぐにそれに気が付くのだ。

 毎日、私たちはホテルから手ぶらで出かけては、たくさんの情報を持って帰った。あそこから立ち去ることが本当に悔やまれた。そうしなければならないのが本当につらかった。あそこにとどまり、起きていることを記録すべきだという気持ちなのだ。

■セバスティエン・リッチ(記事執筆担当)

 われわれが武漢に到着したとき、そこはゴーストタウンのように感じられた。乗った飛行機には人けがほとんどなく、乗客はわずか30人ほどで、大半が家族に会いに来た中国人だった。彼らはわれわれを放心したような目で見据えた。まるで北朝鮮の平壌に向かう機内みたいだった。

 着陸した飛行場にも人けはなく、幹線道路は空っぽで、街には誰もいなかった。

閉鎖された中国・武漢への高速道路の入り口(2020年1月25日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 このがらんとした状況は、中国で最も重要な祝祭日である春節(旧正月、Lunar New Year)の時期だと思うといっそう際立った。いつもならば街は、祝日の準備をしたり盛大に祝ったりする人々であふれている。

 中国で10年近く仕事をしてきた私にとって、最も衝撃的で、深刻な異様さを痛感させられたのは警察だった。

 警察官たちはわれわれをほとんど無視し、仕事を続けさせたのだ。通常、警察は欧米のジャーナリストを厳重に監視し、取材を邪魔するものだ。おそらく彼らも手一杯だったのだろう。

中国・武漢(2020年1月26日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 過酷な場所に行くのが私の性分だ。アフガニスタン、イラン、クルディスタンにも行った。しばしば最も偉大な人間的温かさを目にし、最も記憶に残る人との出会いがあるのが、こういった困難な場所だ。今回は武漢だった。

武漢在住の夫婦。春節(旧正月)のごちそうを準備したが、息子は新型コロナウイルスのせいで武漢の自宅に戻ることができなかった(2020年1月24日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 ある日、われわれは地元のある家族を訪ねた。驚いたことに、彼らのアパートに招待してくれたのだ。着くと、食事が用意されていた。春節に来るはずだった息子が来られなくなったというこの夫妻は、1年のこの時を誰かと過ごせることをとても喜んだ。

 彼らはお茶を出してくれたが、われわれは初め、辞退した。外から入ってきたばかりで、2人に感染のリスクを負わせたくなかったからだ。だが彼らに何度も勧められ、われわれはついに折れてマスクを外し、一緒にお茶を飲んだ。それは本当に心を動かされる瞬間だった。人々が互いに不信を抱いても仕方がない状況にあるときに、この夫妻は温かくもてなしてくれたのだ。

 われわれは一度だけ、じかに死を目にした。私がホテルで記事を書き終えたところに、レオからひどく慌ただしい電話が来た。「この住所にすぐに自転車で来てくれ」。レオはそう言って電話を切った。ドアから出ようとしながら、彼の身に何か起きたのでなければ良いがと思った。それから副支局長が北京から連絡してきた。「すぐにレオのところに行ってくれ」。何か重大なことが起きたのだ。

 現場に着いて私が見たのは、道路に横たわる男性の遺体だった。近くには病院があった。その男性は白いマスクを付けたままだった。防護服に身を包んだ警察官がその周りに立ち、誰も近づこうとしなかった。その男性が実際にウイルスのせいで死亡したのかどうか、われわれには決して確かめることができないだろう。だが中国のような国で、病院の入口から50メートルしか離れていない路上に2時間も男性が放置されていたことが、事の深刻さを物語っている。

 武漢からフランスまでのフライトはやや非現実的だった。飛行場はまるでわれわれのためだけに建てられたかのようだった。運航表示はなく、与えられたチケットには便名はあったが目的地は書かれていなかった。乗客の中には、われわれは全員、これからサマーキャンプに行くんだ、2週間を隔離されて過ごすからね、と冗談を言う人もいた。全く話しをする気にならない人々もいた。家族を残していかなければならない人たちだ。

 これまで仕事をしているときに、振り返って考える暇などなかった。だが今はその時間がある。私の心に焼き付いて離れないことの一つは、武漢の人々の闘志だ。このような苦しい試練に直面してもなお、多くの人々は自分の生活を続けている。

フランス市民の避難者を乗せた飛行機の機内(2020年1月31日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

■エクトル・レタマル(写真担当)

 私はこれまでにも、このような取材を数多く経験した。2010年には死者9000人以上を出したコレラが流行したハイチにいた。チリでは、鉱山作業員33人が地下700メートルに閉じ込められた落盤事故を取材するため、砂漠で3か月間テント暮らしをしたこともある。

 今回最も印象的だったことの一つは、現地の人々がとても熱心に自分たちの体験を話してくれたことだ。われわれを見つけ出しては語り始めた。中国ではあまりこのようなことは起こらない。ある時は私を病院の中に連れて行って、診察を受けに来た人々が待たされている様子を見せようとしたこともあった。そこには大勢の人がいて、ひどく怖がっていた。

中国・武漢の病院(2020年1月25日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 われわれ取材チームにとっては、監獄が変わっただけだ。武漢では、冬の季節の灰色の都市に閉じ込められ、定期的に体温を測られた。

 そして今は地中海のリゾートに滞在し、警察の保護下にある。相変わらずここを出て行くことはできず、定期的に体温を測られていることにも変わりはない(今のところ問題ないが、幸運がこれからも続くことを祈っている)。

 このような取材は、絶対に忘れないものだ。しかもある意味、そのすべてが衝撃的だ。だが、仕事を続けるためには健康でいなくては。

このコラムは、レオ・ラミレス、エクトル・レタマル、セバスチャン・リッチの各記者が、ミカエラ・キャンセラ・キーファー(Michaela Cancela-Kieffer)記者およびAFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2020年2月2日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

仏南東部カリールルエにある保養施設で体温を測るセバスティエン・リッチ記者(2020年2月2日撮影)。(c)Hector RETAMAL / AFP

仏南東部カリールルエにある保養施設で過ごすレオ・ラミレス記者(2020年2月1日撮影)。(c)Hector RETAMAL / AFP

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