三男夫婦に頼まれて昨日は妻と二人、孫の子守りに行ってきた。
生後9ヶ月になる男の子。
これまで母親と離れたことがないので、きっと大泣きされるだろうと覚悟して三男のマンションに乗り込んだ。

お昼前にお邪魔して、三男夫婦としばらく一緒に赤ん坊と遊んだ後、お昼寝をしている間に二人は外出していった。
寝ている孫の様子を遠隔で監視できる小型モニターを置いていってくれた。
こんなものなくても子供が起きれば泣くからすぐにわかるのにと思うが、今時の親は子供の様子をこうして見守るのかとそれはそれで面白かった。

起きてぐずる赤ん坊を抱き抱え、なるべく母親の不在を悟られないようにおもちゃで気を引く。
まだ一人で立つことはできないが、足の力がだいぶついてきて支えて立たせてやると機嫌がいい。
妻と代わる代わる孫の相手をしているうちに、こっちが眠くなってくる。
「ちょっとお散歩でも行こうか」と、孫を抱いてマンションの近くを散歩する。
三男からは自宅が好きな子で外に連れ出すと泣くと聞いていたのでちょっと心配したが、外に出た孫はあたりをキョロキョロと見回して興味津々の様子だ。
見るもの全てが新鮮、まさに好奇心の塊のように見える。
この子が大人になる頃には、どんな世界が待ち構えているのだろう?
そんなことを思う。
今から20年前には、スマートフォンもSNSも存在しなかった。
それを考えると、20年後には想像もできない変化が彼を待っているに違いない。
それはいい変化なのか、それとも・・・。

今月はいろいろ変な事件が起きる。
今月8日、銀座のど真ん中で白昼堂々高級腕時計を扱う店が仮面をつけた強盗に襲われた。
店内でショーケースを叩き割る犯行の様子を多くの人がスマホで撮影するという前代未聞の事件だった。
犯行グループは赤坂のマンションに逃げ込み、そこで4人全員が逮捕された。
逮捕されたのは全員16〜19歳の少年で、当初は今流行りの闇バイトに応募した若者たちだと見られていた。
ところが捜査が進むにつれ、4人のうち3人は横浜の不良グループの仲間で背後に指示役はおらず、全国で発生している組織的な強盗事件とは異質な犯罪である可能性が高くなっているという。
匿名性の強いSNSを悪用して闇バイトに応募した若者たちを実行犯として利用する強盗事件を真似て、不良グループたちが主体的に強盗事件を起こし、捕まった時には闇バイトに応募したと嘘の供述をして罪を軽くしようと画策する、本当に変な時代になったものである。

長野県中野市では25日、31歳の男が散歩中の女性2人を刃物で殺害し、駆けつけた警察官2人も射殺するという事件が起きた。
青木政憲容疑者は市議会議長の息子で、反抗後自宅に立て篭もり自殺を図るも失敗し12時間に及ぶ籠城の末逮捕された。
子供の頃には明るい性格だったが、高校大学で孤立し実家に戻って農業を手伝っていたという。
近所づきあいもほとんどなかったというこの男は、殺害した女性たちに「ひとりぼっちだと悪口を言われた」と犯行の動機を口にしたそうだ。

周囲とうまくコミュニケーションができない男は自分が社会から孤立していることを誰よりも気にしていて、被害妄想に陥っていたのだろうと専門家は犯行動機を推測するが、きっとこの男なりの理屈もあったのだろう。
地元の有力者の息子がなぜ凶行に及んだのか?
誰の解説を聞いても不可解な謎が残る。

謎という意味では、18日に意識不明で発見された市川猿之助さんの事件も謎だらけだ。
回復した猿之助さんの供述によれば、「前日に死んで生まれ変わろうと家族で話し両親は睡眠薬を飲んだ」という。
亡くなった両親は司法解剖の結果、向精神薬中毒と判定された。
猿之助さんの言う通り、両親が自主的に多量の薬を飲んだ可能性が高いと見られる。
家族で心中を図ろうとして猿之助さんだけ生き残ってしまったというのが今のところの見立てだが、なぜ一家が死を選ぼうとしたのかどうもしっくりこない。
女性週刊誌に掲載された猿之助さんのハラスメントの記事が原因とする説のほかに、父親の体調不良、母親の近所トラブルなど、有る事無い事メディアが書き立て、無責任なSNSが勝手な憶測を垂れ流している。
このような意味不明な事件が続くのはなぜなのだろう?
最近こうした解せない事件を取り上げる際、便利に使われる言葉がある。
それは、「生きづらさ」という言葉だ。
今の日本社会はとにかく「生きづらい」のだそうだ。
メディアでもSNS上でも、今の社会は生きづらいというのが当たり前の認識になっているように思える。
でも本当に今の日本社会はそれほどダメな社会なのだろうか?
世界の国々と比較しても、今の日本ほど自由にものが言える国はさほど多くはない。
政府批判をしても逮捕されないし、天皇家のゴシップだって週刊誌が平気で書き飛ばしている。
ものが言いづらいと感じる人が多いとすれば、それは社会の目を気にして自主規制しているに過ぎない。
過去の日本社会と比べても、今の方がずっと自由だ。
国際的には遅れていても、日本でも女性やマイノリティーの権利が徐々に認められ、昔よりは堂々と発言できる環境が整った。

長年テレビ業界のタブーだったジャニーズの問題もついに白日の下に晒されようとしている。
問題となっているジャニー喜多川氏の性加害問題については直接知らないが、私もテレビ局時代、ジャニーズに限らず芸能界の闇を垣間見ることは少なからずあった。
芸能界の歴史を遡れば、テレビ誕生以前の興行の世界につながる。
多くの地方では地元のヤクザが興行を仕切り、芸能人はそうした地方の興行を回るいわゆる「どさ回り」だった。
そうした古い体質を引きずった芸能界のドンたちの影響力は今も健在だ。
所詮サラリーマンに過ぎないテレビマンに対し、あちらは人気タレントの出演を人質に時には脅しも厭わない百戦錬磨の猛者たちである。
人間としての迫力が違う。
報道上がりの私などには理解できない芸能界の掟がたくさんあるようで、制作局のプロデューサーたちは常に芸能界のパワーバランスに気を配っていた。

しかし、ジャニーさんが死に、姉のメリーさんも亡くなって、娘のジュリーさんが社長になったタイミングで過去の問題が噴出した。
ジュリー社長が謝罪の動画を発信したこと自体、芸能界では歴史的な出来事と言えるだろう。
これまでジャニーズ事務所は、自分たちの意に沿わないテレビ局からは所属タレントを引き上げると平気で脅してきた。
ジャニーズの中にも派閥があり、SMAPや嵐といった超人気者をキャスティングしようと思ったら、同じ派閥の売れないタレントも抱き合わせで使わないといけない不文律があった。
これは何もジャニーズに限ったことではない。
さらに言えば芸能界に限らず、政界でも財界でも学会でも、昔は日本社会のどこにでもドンと言われる大物がいて自由にものが言えない雰囲気を醸し出していたのだ。
そうしたしこりが時代と共に少しずつ取り除かれていって、今は「軽量級の時代」になった。
もしもそんな「軽量級の時代」に「生きづらさ」を感じる人が多いのだとすると、きっとその原因はインターネットにあるのだと思う。
SNSやYouTube上にあふれる普通の人々の声。
昔ならば、周囲の人の噂話しか耳に入らなかったものが、インターネットの普及によって日本中の見ず知らずの人々からバッシングされる社会になった。
ネット上でいくらバッシングされても無視すればいいのだが、ネットで話題になった事柄をメディアがまた取り上げて大騒ぎするものだから大して重要でもない話が国を揺るがす大事件のように報道されてしまう。
そのため、今の日本人はネットでバッシングされないように言動に気をつけて、なるべく人と同じ行動をとるように神経を使うようになった。
それこそが「生きづらさ」の正体なのではないかと私は思う。

岸田総理の息子である翔太郎秘書官が首相公邸に親族を集め記念撮影したとしてバッシングを浴び更迭されたのも、ある意味こうした「生きづらさ」の影響のように思う。
もちろんその行動は軽率であり批判されても仕方ないと思う一方、それほどめくじらを立てるほどの問題なのかとも私は思うのだ。
誰かに迷惑をかけたわけではなく、おそらく翔太郎氏以外にもこの階段で記念撮影をした人はたくさんいたに違いない。
総理の息子だから標的にされたのだろうが、若者は馬鹿者、その場のノリでこのくらいのことはしでかしてしまうものだろう。
今の日本社会がもし本当に「生きづらい」のだとすると、それは政治や法律の問題ではなく私たち自身の不寛容さに端を発しているんだと思う。
もう少しみんな自由にのびのび生きようよ。
他人の言動を細かくチェックしてケチをつけるのではなく、お互いのやりたいことを尊重して自由にのんびりと楽しく生きることに集中した方がいい。
私の孫が大人になる頃、そんな成熟した日本社会になっていてくれれば・・・。
幼子の子守りをしながら私はそんなことを夢想していた。