百田尚樹著「今こそ、韓国に謝ろう」の嫌な味

この本を読んでいて、とても嫌な気分になった。

保守派の論客・百田尚樹氏が書いた「今こそ、韓国に謝ろう」という本を読んでの印象だ。この本の冒頭、「まえがき」として「日本が韓国に為した悪行の数々」という文章が掲載されている。あまりに百田氏らしからぬ文章なので、ここに引用させていただく。

 

『韓国は日本に対して、この何十年も「謝罪せよ!」「賠償せよ!」と執拗に要求しています。

韓国に対するすべての補償は、1965年の「日韓基本条約」と同時に締結された「日韓請求権・経済協力協定」において、「最終的かつ完全に」済ませているのにもかかわらず、年を追うごとにますますヒステリックに「謝罪と賠償」を叫ぶ彼らの姿を見て、私はなんという品性下劣な国であり、あさましい民族であるかと呆れていました。

しかしこの数年、日韓併合の歴史を調べていくうちに、その気持ちが変わりました。

日本が朝鮮および朝鮮人に対して行なった悪行を知り、愕然としたからです。その非道の数々は、私の想像を絶するようなものばかりでした。

一つの国家と民族が、35年間の長きにわたって他国からここまでの仕打ちを受ければ、70年やそこらで忘れられるものではありません。朴槿恵前大統領が「千年恨む」と言ったのも理解できます。

私は今こそ、声を大にして言いたいと思います。

「日本は韓国に謝らなければならない!」

悲しいことに、現代に生きる日本人のほとんどが、70年以上前に、祖先が朝鮮半島でいかにひどいことをしてきたかを知りません。

まずはこれらを知ることが第一歩です。そしてそのことを深く反省した上で、私たちは韓国(および北朝鮮)に対して、心の底から謝罪しなければいけないと確信しています。

そうしてこそ、初めて日本と韓国(および北朝鮮)は真の友好関係を結ぶことができるのではないでしょうか。』

 

「2017年6月1日 百田尚樹」と書かれたこの「まえがき」の内容について、私は全面的に同意する。まさに、その通りであり、そういう気持ちがあれば日韓の問題は改善に進むだろうと思っている。

だが百田氏は、そんなストレートな人間ではないのだ。

この本、「まえがき」の殊勝な姿勢とは真反対な文字通りの「嫌韓本」だった。

かつて「誉め殺し」という言葉が流行ったが、この本はいわば「謝り殺し」ともいうべき内容になっている。文章の体裁は「日本が朝鮮に謝る」風になっているのだが、その中身は「日本が朝鮮半島で行なったことはすべて素晴らしいことだったが、残念ながら朝鮮人には理解できないことだった」という朝鮮人を蔑視したものなのだ。

たとえば、「教育の強制」の項はこんな書きっぷりだ。

 

『日本は朝鮮半島の子供たちの自由を奪いました。

その最も象徴的なものが、朝鮮人の子供たちに学校に通うことを強制したことです。

日本が朝鮮(大韓帝国)を併合したのは1910年(明治43年)ですが、その5年前の1905年に第二次日韓協約(日韓保護条約)によって朝鮮を保護国とし、漢城(現・ソウル)に統監府を置いています。当時、朝鮮半島には小学校はわずかに40校しかありませんでしたが、日本は統監府を通して、大韓帝国政府に対し「小学校を作れ!」と内政干渉とも言える命令を下しています。

現代の私が見ても、この命令の意図がわかりません。保護国とは言え、他国である大韓帝国に小学校を作っても、日本に何の利益もないように思えるからです。ただのいやがらせにしか見えません。

大韓帝国がこの命令に積極的に従わなかったのは当然です。5年後、日本が大韓帝国を併合した時でさえも、小学校はわずか60校増えただけでした。

1910年、日本が大韓帝国を併合した時、まっさきに行なったのが、朝鮮全土に小学校を建てたことです。

この理由を推測すると、日本は、朝鮮人労働者を大量に生産しようと考えたのではないでしょうか。日韓併合当時、朝鮮人の文盲率は90パーセントを超えていたと言われています。「文盲」というのは文字が読めない人のことです。戦前の「東亜日報」には、1920年代まで、朝鮮人の文盲率は80〜90パーセントであったという推計記事が載っています。

日本政府は、こんな字も読めない人間がいくらいても単純労働にしか使えないと考えたのかもしれません。実際、機械の仕様書や仕事の割り当て表が読めなくては、近代的な工場では使いものになりませんし、また計算もできないようでは、金を扱う仕事もさせられません。そこで日本政府は朝鮮半島全土に一面一校(一つの村に一つの小学校)を目標にして、凄まじい国家予算を投入して小学校を建設したのです。そして1943年までに4271の小学校を開校し、なんと目標の倍の一面二校を実現したのです。

これは決して美談などではありません。日本政府は使える労働者を育成するためにやったことで、多大な国家予算をつぎ込んだのも投資に過ぎず、いずれは日本中の工場や会社で回収できると考えたに違いありません。要するに自国のことだけを考えてやっただけのことなのです。

(中略)

考えてもみてください。子供は本来、奔放に気ままに生きるものです。勉強なんか誰だってしたくありません。それを他国が無理やりに就学させて勉強させるなどということは許されることではありません。

日本は明治以来、「富国強兵」をスローガンに、子供たちの教育に力を入れてきました。日本の急発展はそのお陰とも言えます。しかし戦後は、「子供たちの自由」をもっと尊重するようにという意見が強く打ち出されました。かつて不登校は恥ずべきこととされていましたが、現代ではそれも子供たちの自由だという見方が広まってきました。最近では、不登校の児童を無理やり学校に通わせるのはよくないこととされています。

(中略)

つまり現代の日本でも、かつての教育は厳しすぎたという見方が広まっているのです。それを考えると、日韓併合時において、それまで学校なんかほとんど存在しなかった国の子供たちに無理やり学校に通わせることが、いかにひどいことであったかわかるでしょう。これはもう人権蹂躙問題と言えます。』

 

すべて、こんな調子である。

書かれている内容についてある意味事実だとしても、その書きっぷりは韓国の人たちの感情を逆撫でするのは間違いない。素直に「朝鮮に学校教育を導入してやったのは日本だ」と書いた方がましだ。わざわざ謝る体裁を取っているために、朝鮮の人を見下した印象を強くしている。

確かに鎖国していた朝鮮を近代化させることが日本の安全保障上重要だというのが明治政府の方針だった。日本が朝鮮で行ったことのすべてが悪いことだったという韓国での見方もいただけないが、被害者の目から見るとすべてを否定したくなる気持ちもわからなくもない。

日本人として冷静に「結果として朝鮮のためになることをした日本人もいた」と事実を示すことは許されるべきだと思う。朝鮮人の中にも、日本の近代化をモデルに自国の改革を目指した人たちもいた。列強が跋扈する時代の中で、生き残りをかけた冷徹な駆け引きが行われた時代だ。

それでも、百田氏の書きっぷりは気持ち悪い。

「永遠の0」には大変感動した。あの素晴らしい小説を書いた百田さんが、こんな嫌韓本を書くとは本当に残念である。放送作家としての商売っ気が、「今こそ、韓国に謝ろう」という逆説的な体裁を考えつかせたのかもしれない。すごい才能だと思うが、このような仕事の先に何を目指そうとしているのだろうか? この本を読んで、「なるほど日本もいいことをしてくれた」とか、「百田さんも私たちに謝罪してくれた」と受け取る韓国人はいないだろう。

一方で日本では、この百田氏の本を評価する人が大勢いる。アマゾンのカスタマーレビューではおよそ8割の人が5つ星の評価を下している。嫌韓本の支持者は確実におり、最近の日韓対立でさらにその数を増やしていることだろう。

しかし、そうやって韓国を憎んで、一体何が生まれるのだろう?

私にはまったく理解できない。

 

昨日2月22日は、島根県が制定した「竹島の日」だった。竹島が島根県に編入された1905年2月22日にちなんだものだ。

1905年2月といえば、まさに日露戦争の真っ只中、奉天会戦が始まった頃だ。日本はすでに朝鮮半島からロシアを追い出し満州に進出していた。そしてこの年の11月には朝鮮を保護国にしてしまう。そんな時代に竹島を編入したという日本の主張に韓国が同意しないのは当然だろう。

百田氏はシャレのつもりで書いたのかもしれないが、「まえがき」に書かれた気持ちこそ今最も必要なのではないかと私は思う。

 

『悲しいことに、現代に生きる日本人のほとんどが、70年以上前に、祖先が朝鮮半島でいかにひどいことをしてきたかを知りません。

まずはこれらを知ることが第一歩です。そしてそのことを深く反省した上で、私たちは韓国(および北朝鮮)に対して、心の底から謝罪しなければいけないと確信しています。

そうしてこそ、初めて日本と韓国(および北朝鮮)は真の友好関係を結ぶことができるのではないでしょうか。』

 

敬意のないところには、何も生まれない。

コメントを残す