宴のあと

三島由紀夫の「宴のあと」を読んだ。恥ずかしながら三島の作品を読むのは初めてだ。まず思ったのは月並みだが、文章のうまい作家だということ。

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「この女主人の名を福沢かづという。かづは豊麗な姿のうちに一脈の野趣があって、いつも力と情熱にあふれていた。入りくんだ心の動きをする人は、かづの前へ出ると自分の複雑さを恥じ、気力の萎えた人は、かづを見れば、大そう鼓舞されるか、却って打ちのめされるような気になるかした。何か天の恵によって、男性的な果断と女性的な盲ら滅法の情熱とを一新に兼ねそなえたこういう女は、男よりももっと遠くまで行くことができるのだ。」

この料理屋の女主人と理想肌の革新政治家が50を過ぎて結婚、担ぎ出された都知事選という宴のあとでそれぞれの道に戻っていく様を描く。発表されたのは1960年、安保闘争の最中である。
理想や情熱よりも金がものを言う日本の政治状況、保守政治。理想だけで庶民の心がわからない左派の活動。その双方への皮肉が感じられる。三島がこの作品に込めた想いは何だったのか。

三島由紀夫の「宴のあと」のラスト。三島は革新党の選挙指南役・山崎の手紙の形でこんなメッセージを書いた。

「思えばあの選挙がなかったら、あなたは幸福をえられたかもしれず、野口氏も幸福であったかもしれません。しかし今にして思うのに、選挙があらゆる贋ものの幸福を打ち砕き、野口氏もあなたも、裸の人間を見せあうことになったという点で、本当の意味で、不幸であったと言えないかもしれません。小生も永いこと政治の泥沼にまみれ、むしろこの泥沼を愛してきましたが、そこでは汚濁が人間を洗い、偽善がなまなかな正直よりも人間性を開顕し、悪徳がかえってつかのまでも無力な信頼を回復し、…丁度洗い物を遠心分離の脱水機に投ずると、あまりに早い廻転のさなかに、今投じたシャツも下着も見えなくなってしまうように、われわれが日頃人間性と呼んでいるものがこの渦中で、忽ち見えなくなってしまう、その痛烈な作用を愛します。それは必ずしも浄化ではなりますまいが、忘れてよいものを忘れさせ、見失ってよいものを見失わせる、一種の無機的な陶酔をわれわれに及ぼすのです。こんなわけで、どんなに失敗し、どんなにひどい目に会おうが、私は一生政治を離れることができそうにはありません。
あなたはやはり暖かい地と人間らしい活力へ還って行かれるべきでしたろうし、野口氏も高潔な理想と美しい正義へ還って行かれるべきでしょう。残酷なようですが、第三者の目から見ると、すべては所を得、すべての取りは塒(ねぐら)に還ったのです。」

この作品は、高級料亭「般若苑」の女将・畔上輝井と元外務大臣・東京都知事候補の有田八郎をモデルに書かれた。そして1961年、三島は有田から訴えられた。日本初のプライバシー侵害裁判の被告となったのだ。一審は三島側に80万円の損害賠償支払いを命じた。「宴のあと」裁判と呼ばれる。

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