<吉祥寺残日録>トイレットペーパー #200303

62歳になったのを機に、新しい試みを始めようと思う。

<吉祥寺残日録>というシリーズを始める。

日々の出来事の中から気になったことを、できれば毎日綴って行く。

テーマは決めない。

字数も少なく、書くのが苦にならないようにしたい。

「残日録」というタイトルからお分かりのように、先日たまたまBSフジで放送していた「三屋清左衛門残日録」という藤沢周平原作の時代劇を見たことがきっかけである。

普段時代劇など見ない私だが、どういう訳かチャンネルが止まり、見始めると隠居した武士の心情が妙に今の自分と重なった。

多くのサラリーマンが好きな作家として名前をあげる藤沢周平だが、私はこれまでまったく縁がなかった。

時代劇を見ながら、「これか」と思った。

忙しい現役時代には考えもしなかったような心境が、一線から退いた時に初めて理解できる、私もそんな歳になったのだろう。

大相撲が好きになり、地味な時代劇に心を動かされる。

子供の頃に見た、「おじいさん」の行動パターンはこういうものだったのかと、今頃になって気づかされる。

でも、そこに寂しさはない。

現役時代、実力以上に頑張ったり、多くの失敗を重ねたりして、懸命にもがいてきた。

そしてようやく、少し静かな時間の中に身を置くことができる境遇になったのだ。

時代が大きく変わっても、人間の営みというのは大して変わらないものである。

在宅勤務で時間があるので、妻のお供でスーパーに買い出しに出かけた。

連日テレビを賑わわせているトイレットペーパーや消毒液の欠品を自分の目で初めて確認した。

吉祥寺の西友はかなり大きなお店だが、トイレットペーパーが並んでいた棚は気持ちいいほどすっからかんだった。

パニックでトイレットペーパーが無くなるといえば、長年「石油ショック」と同義語であり、あの頃の日本人は民度が低かったという蔑みの気持ちを込めて取り上げられることが多かったが、あれから半世紀近く経っても結局人間の本質は何も変わっていなかったということを、新型コロナウィルスが明らかにした。

未知の病気が発生した時、大昔から人間は感染した人たちを迫害し、差別し、殺して焼き払ってきた。

今やインターネット時代になり、もっと人間は賢くなったかと期待したが、デマはネットで瞬時に広がり、むしろ昔よりもタチが悪くなった印象である。

中国でも韓国でも、ヨーロッパでも、コロナに怯える人間たちが醜い争いや差別を繰り返している。

デマだとわかっていてもトイレットペーパーを買ってしまう人間の行動は、どんな時代になっても変わることはないのかもしれない。

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