生前退位

テレビニュースで驚きのニュースが流れた。

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天皇陛下が崩御を待たず、数年内に退位し皇太子に譲位したいと周囲に伝えていたというのである。実現すれば江戸時代後期の光格天皇以来およそ200年ぶりになるという。

陛下は82歳。公務の負担も重くなり、代理をたてて形ばかりの天皇位にとどまるよりも若い皇太子に託し、天皇の職務を滞りなく遂行してもらうことを選択したということだろう。陛下らしい真っ当な判断だと思う。

私が天皇という存在を最初に見たのは報道カメラマン時代、日本赤十字か何かのの大会に出席した昭和天皇を撮影した時だ。壇上中央に着席した天皇は、いつもの通り無表情に正面を向いていた。当時の総理大臣が天皇に向かって深々とお辞儀をしても、天皇は総理の方を見ることもなく正面を向いたままだった。もちろんお辞儀を返すことも微笑むこともなかった。そしてあの独特のしゃべり方。どうしてああいう話し方をするのか、あれが天皇の伝統なのか、不思議でならなかった。ただ強烈な印象として今もその光景は脳裏に焼き付いている。

そして昭和64年の天皇崩御。当時は警視庁クラブの記者だった。天皇が体調を崩してから、地方局の応援も得て、大規模な張り番が続いた。警視庁では皇室警護を担当する警衛課への取材に加え、警備本部に張り付いて24時間態勢でその時に備え情報収集に当たった。さらに宮内庁取材の応援として、交代で宮内庁クラブにも泊まった。仮眠用のサマーベッドも用意された。

そして1月7日に天皇が崩御し、48時間にわたる報道特番を放送した。CMはすべてカットされた。

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2月24日には「大喪の礼」が執り行われた。皇居から武蔵野陵まで棺が運ばれる。

過激派の革労協が東京・調布市で中央高速脇の法面に爆発物を仕掛けた。各地でゲリラ活動が繰り広げられ、警視庁クラブからの中継はバタバタだった。

そして、翌1990年1月23日に「即位の礼」が行われた。

歴代天皇の中で、今の陛下は名君として後世に記憶されるだろう。いや、記憶されてほしい。

日本国憲法に定められた「象徴天皇」のあり方を、生涯を通じて模索した。常に平和を希求し、弱者に寄り添う姿勢を一貫して貫いた。政治的な発言を控え、国際友好に務め、美智子妃とともに高い皇室人気を維持した。戦後にぎやかだった天皇制廃止の声もいつの間にか消えてしまった。

現在の皇室典範には生前退位の規定はなく、法律改正が必要になる。今回の報道はNHKのスクープのようだが、宮内庁は「そのような事実は一切ない」と完全否定した。しかしメディアはすでに規定の事実として報道している。

時代にあった天皇制とは何か。平成天皇の最後の大仕事が始まる。

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