中国のアモイはまさに「天然の良港」である。広い入江が内陸に入り込み、その入り口にフタをするようにアモイ島が浮かんでいる。
そしてその脇にちょこんと浮かぶ小島は「コロンス島」と呼ばれている。漢字では「鼓浪嶼(ころんしょ)」と書く。
成田からアモイに到着後、ホテルにチェックインだけ済ませる。
ホテルは、街一番の繁華街・中山路に面する「イビス スタイルズ XM 中山 ホテル」。
荷物だけ置くと、すぐにタクシーでフェリー乗り場に向かった。
「東渡国際フェリーターミナル」。最近整備されたアモイの新たな海の玄関口だ。
中国でブームの巨大なクルーズ船も停泊していた。
ここからは私が向かうコロンス島だけでなく、台湾側の前線基地だった金門島や台湾の本島行きのフェリーも出ている。
中国らしい不必要に広いターミナルビル。その一角にあるチケット売り場は意外に空いていた。それでも混乱し大声で喚いているのはさすが中国だ。
ガイドブックを示しながら一番早いフェリーの切符を買う。
往復で50元、約1000円だ。
このターミナルには昔のコロンス島の写真が飾られていた。
アヘン戦争で敗れた清は、1842年にイギリスとの間で南京条約を結び、アモイ港など5港の開港を認めた。これを機に、アメリカ・フランスなどにも同様の譲歩を行い、中国は列強の餌食となっていく。
そして1902年、コロンス島は列強による共同租界地に定められ、イギリス・アメリカ・フランス・日本・ドイツ・スペイン・ポルトガル・オランダなどの国が次々に領事館や教会、学校、病院などを設立した。この状態は、1942年の日本軍による占領まで続いた。
午後4時10分発のフェリーに乗って島に向かう。
アモイの高層ビル群が湾を取り囲む。
本当に中国の高層ビル群は数え切れない多さだ。高層住宅がぎっしり林立する様子は地震国日本から見るとちょっと怖いほどだ。
植民地時代の風情が残るコロンス島の向こうにも超高層ビルが見える。
船はおよそ20分でコロンス島に着いた。もう夕暮れが迫っていた。
コロンス島には3つの埠頭がある。一番アモイ島に近い埠頭は数年前にアモイ市民専用となった。そして私たちが着いたのは島の中心部から一番遠い不当だった。
島内は歩いて回るのが基本。海沿いの遊歩道を歩くと砂浜のビーチが現れた。
記念写真好きな中国人たちはカラフルな布を風になびかせながらポーズをとる。
日本人にとっては特に珍しくもない砂浜だが、中国の内陸部から観光に来た人たちには私たちが感じないような開放感があるのかもしれない。
道沿いでは様々なものが売られている。海産物や・・・
ヤシの実。そうここは亜熱帯、緯度は石垣島とほぼ同じ。台北よりも南なのだ。
海沿いの遊歩道を離れて坂道を登る。目指すはコロンス島の最高峰、日光岩だ。最高峰と言っても高さ92m。大したことはない。
これが日光岩だ。元は「晃岩」と呼ばれていた。
1647年この岩に登った鄭成功が、そこからの眺めが日本の日光に勝るものだとして「晃」を二文字に分けて「日光」岩と呼んだそうだ。
しかし、望遠レンズでのぞいてみると、ここも多くの観光客に占領されていた。
もちろん登らない。人混みは嫌いだし、もともと目的地はここではない。私が行きたかったのは日光岩の脇にある「鄭成功紀念館」だった。
しかし・・・
閉まっていた。
開館時間は午後5時まで。私がたどり着いたのは午後5時8分だった。
間に合わなかった。
この博物館の主人公、鄭成功は、1624年現在の長崎県平戸に生まれた。父は中国人、母は日本人だった。7歳の時、父に連れられて福建省に移る。父の鄭芝竜はアモイなどを根拠に密貿易をしていた。いわゆる「倭寇」である。
明が滅んで満州族の清が中国北部を支配すると、鄭成功は明の再興を目指して清と戦った。南京で敗れると、今度は台湾を統治していたオランダと戦い、これを駆逐して反撃の拠点とした。こうして漢民族国家再興のために生涯を捧げた鄭成功は、中国でも台湾でも「国姓爺」と呼ばれ、孫文・蒋介石と並ぶ「三人の国神」として尊敬されている。
そして日本でも近松門左衛門が書いた「国性爺合戦」の主人公として、浄瑠璃や歌舞伎で親しまれてきた。日中で共に愛されている稀有な人物なのだ。
私はこの秋、平戸を訪ねて鄭成功のことも少し調べたいと思ったのだが、台風でかなわず、コロンス島ではぜひこの紀念館を訪れたいと思ったのだ。
どうも私は鄭成功と相性が悪いらしい。
仕方ないので街を歩く。租界地の頃の街並みが今も残る。
教会もあちらこちらに残っていた。
そこは中国人たちの絶好の記念撮影スポットになっている。新郎新婦が文字通り雑誌のモデルのようなポーズで写真に収まる。コロンス島は中国にいながら、ヨーロッパの雰囲気が味わえる人気スポットなのだ。
そこには植民地にされた苦い思い出はあまりないように見える。「反日」のイメージが強い中国人は過去を忘れないのかと思ったが、欧州に対する恨みは残っていないのだろうか?
登る気も起きなかった日光岩も、シルエットになるとそれなりに絵になる。
午後6時前にはすっかり日が暮れる。二人のおばあさんがトボトボと路地を歩いていた。
海岸線に出た。海の対岸はアモイの街だ。
岬の先端には、巨大な鄭成功像が立っている。高さ15.7mあるという。
せっかくなので鄭成功像の足元まで行ってみることにした。「皓月園」という公園の中にあるため、入場料は15元だ。
足元から見上げる鄭成功。正直、よく見えない。
中国人がこの英雄に寄せる気持ちについても、結局はよくわからなかった。日本に帰ったら「国性爺合戦」を読むか浄瑠璃でも見に行ってみよう。
すっかり暗くなり、対岸のアモイの街がきらびやかに輝き始めた。
この光景を目当てに、夜のコロンス島に渡ってくる地元の人が多いようだ。
すっかり暗くなった公園を出た瞬間、なんと鄭成功像がライトアップされた。暗闇に浮かび上がる漢民族の英雄。その見つめる先には光り輝く超高層ビルだ。
鄭成功が見つめる未来は何なのか? ちょっとシュールな光景である。
夜のコロンス島はまた一味違う。吹く風は爽やか。11月とは思えない、丁度いい気候だ。
建物や街路樹もライトアップされ、昼間よりも街がきれいに見える。風に吹かれながら、ゆっくりと路地を歩くのは気持ちがいい。
飲食店や土産物屋が立ち並ぶエリアに人が集まる。中国の繁華街に比べれば、人の数も多くなく適度な活気だ。
この島で夕食を食べようと思い店を探していると、こんな店を見つけた。
店の前に並べられた土鍋。「廈門姜母鴨」と書かれている。
何だかよくわからないが、生姜を使った鴨料理、しかもアモイの郷土料理だと解釈した。
漢字は意味を表す。正確にはわからなくても、ある程度の想像がつくところがありがたい。
店に入る。言葉はまったく通じない。だが幸い、写真入りのメニューがあった。
指で指せば、意思は通じる。
まずは表で調理していた鍋がすぐに運ばれてきた。
「特色姜母鴨」(68元=約1300円)。鴨が山盛りだ。予想通り、生姜もたっぷりと入っている。味は思ったほど濃くなく、まずまず美味い部類に入るだろう。
ビールを1本。「雪津啤酒」という知らないビールだったが、まあ普通だ。
昔、中国のビールはぬるくてまずくて飲めたものではなかった。今は普通のビールになった。
そして最後に「牡蠣のお粥」。全部で108元だった。
お粥は特に美味くもないが無難な選択だった。
食事を終えて、アモイに戻るためフェリー乗り場に向かう。来た時は山越えのルートだったが、トンネルを発見した。人がぞろぞろと入っていく。ここを抜けると山を登らず、フェリー乗り場につけるのではないか? とりあえず入ってみた。
トンネルの中は思ったより明るい。そして壁にはこんな文字が書かれていた。
「国防施設」。「防空」の文字もある。このトンネルは間違いなく「防空壕」なのだ。
アモイの沖合わずか5kmには、台湾領の金門島がある。中台の緊張が高かった時代には、ここは文字通り最前線だった。
そして、このトンネルを抜けると不思議な世界が待っていた。
ひらがなで「めしや」と書かれた暖簾。
看板には漢字とひらがなで「深夜食堂しんやしょくどう」と書かれている。
安倍夜郎の漫画「深夜食堂」は小林薫主演でドラマ化されたが、日本だけでなく韓国やここ中国でも大ヒットした。中国版のドラマや映画も作られている。東アジア全体に通じる世界観が「深夜食堂」というのは興味深い。
さらに進むと、ちょっと怪しげな中国の夜が続く。千と千尋の世界にでも迷い込んだ気持ちになる。
進むほどに人が減っていく。悪い予感が胸をよぎる。
何と、フェリー乗り場はすでに閉まっていた。
時間は午後7時50分。慌ててガイドブックを開くと、午後6時台でこちらの埠頭から出るフェリーは終了すると書いてあった。夜間は、中心部に近い埠頭から乗れるらしい。
いつもながら、私の悪い癖だ。ガイドブックを適当にしか読んでいない。知っていればわざわざ島の反対側まで歩いてくる必要もなかったのだ。
仕方なく来た道を戻る。
途中どこかで路地を間違えたらしく、先ほどとは違うトンネルが目の前に現れた。
こちらのトンネルは狭い。そして通行人が多い。どうやらこちらの方が近道のようだ。
壁にはたくさんの落書き。こういうのは世界共通だ。
トンネルを抜けるとコロニアル風の建物を利用したオシャレなレストランや・・・
小洒落たショップが軒を連ね、トンネルの向こう側とはだいぶ趣が違う。
ようやく埠頭のゲートに着いたのが午後8時23分。食堂を出てから1時間以上、夜のコロンス島を彷徨ったことになる。
ちょうどフェリーが止まっている。「ラッキー」と思って桟橋を小走りで駆けていくと、突然ブザーが鳴り、私の目の前で無人のゲートが自動的に閉まった。
おいおい、客がまさに乗ろうとしているのにゲートを閉める奴がいるのか?
中国には、いるのだ。
なんか今回の旅はついていない。私一人を埠頭に残し、フェリーは無情にも遠ざかっていった。
次のフェリーが来たのは20分後だった。
夜のフェリーからは、高層ビルに映し出されるプロジェクションマッピングがあちこちに見えた。
中国の夜は、日本に比べてはるかに派手だ。日本もかつてはネオンサインがきらめいていた。昭和のエネルギーがなくなってしまったのか、それとも先進国になったということなのか?
夜のフェリーは繁華街に近い、昼間は市民専用となる埠頭に接岸した。ここからならホテルまで歩いて帰れる。
アモイ随一の繁華街、中山路。夜の中山路は昼間以上の賑わいとなる。
コロニアル風の建物はすべてライトアップされ、とても華やいだ雰囲気だ。海風が気持ちいい。道沿いの店もまだ閉まる気配はない。道ゆく人々の表情もとても明るい。
今、中国の人たちは幸せなのだろう。少なくともここにくる人たちはそうだ。
私は2つの買い物をした。
怪しげなコンビニ?「便利屋」でミネラルウォーターを1本(1元)。
そして、マンゴ屋で「カッティングされたマンゴ」(15元)だ。
このマンゴは、今回の福建旅行で間違いなく一番美味しかった食べ物だ。
こうしてアモイの最初の夜が暮れた。
コロンス島について多くを語ることはできないが、夜のコロンス島、特に観光客があまり行かない島の裏側の夜はちょっと面白かった。昼間のコロンス島よりも面白い気がする。
本当はもう少しこの島の歴史に触れたかったのだが、これもまた旅である。
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<参考情報>
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