天安門事件と香港

天安門事件30年

先週6月4日で、天安門事件から30年を迎えた。

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そうか。あの激動の1989年から今年でちょうど30年に当たることに今頃気づいた。昭和が終わり、天安門事件が起き、ベルリンの壁が崩壊した1989年から30年が経ったのだ。

北京の天安門広場は静かだった。公安警察が目を光らせ、メディアの取材も規制された。

天安門事件を報じる海外のテレビはその項目になった瞬間に遮断される。中国にしかできない芸当である。

こうした徹底した報道規制によって、中国国内では天安門事件を知らない世代が確実に増えてきているそうだ。伝えないこと、知らないことは恐ろしいことだ。30年、50年と情報を伝えなければ、事実を知る世代が世を去っていく。するとどんな事実もなかったこととして消えていってしまうのだ。

香港返還の際に約束した「一国二制度」にもそんな中国の気長な戦略が潜んでいる。たった50年猶予期間を与えるだけで、世代は一巡する。若い世代を少しずつ少しずつ同化させ、気づかないうちに香港を中国に飲み込んでいく戦略だ。

香港の100万人デモ

そしてかつて天安門事件の被告たちも逃げ込んだ香港は、ゆっくりゆっくりと中国に飲み込まれようとしている。

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事件から30年目の節目となる4日、香港では大規模な追悼集会が開かれ、主催者発表で18万人が集まった。香港でもこのところ集会に集まる人の数は減少傾向にあったが、今年は少し事情が違う。

香港政庁が推し進める新しい条例に対する危機感が市民の間に広く浸透していることの表れだという。

中国本土に刑事事件の容疑者を引き渡せるようにする「逃亡犯条例」の改正案だ。

イギリス領だった香港は、中国の中央政権と敵対し敗れた人たちが逃げ込む避難場所だった。そこではイギリス流の言論の自由が認められてきた。

天安門事件だけでなく、国共対立や文化大革命でも多くの活動家や市民が香港に逃げ込んだ。いわば、香港は亡命者でできあがったような街なのだ。

だから、逃亡者を中国に引き渡す新しい条例案は、当局が予想した以上に香港市民の本能を激しく刺激した。

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9日に行われた条例改正に反対するデモには103万人が集まり、香港の街を埋め尽くした。

1997年の香港返還後、最大のデモとなった。

100万人デモというと、私は1986年のフィリピン革命を思い出す。マルコス政権に反対して大統領選に立候補したコラソン・アキノ女史の集会に参加するため、100万人の人々がみんな黄色のTシャツを着て街を占拠した。

あの時の熱気は今でも忘れない。

市民の熱量が政権を倒す様を、私は自分の目で見た。

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夜に入り、デモ隊の一部は警官隊と衝突した。

こうした一部の行動は、活動の足を引っ張るので、個人的には残念だった。むしろ、100万人でもを継続すること、これこそが政権にダメージを与え、条例案撤回に繋がる道だと思う。

鄧小平と習近平

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鄧小平は、50年かけてそんな香港をゆっくりと飲み込むことを考えた。いかにも中国的な時間を味方につける大国のやり方だ。

しかし習近平政権は、ここに来て強引に香港の中国化を進めようとしている。まだ返還から20年余りしか経っておらず、イギリス統治時代を知る世代が現役でたくさん残っているにも関わらず、どんどん圧力を強めている。

今年の年越しに訪れた香港では、中国の高速鉄道の駅が開業し、香港の中に中国の出島ができあがっていて驚いた。ごちゃごちゃした香港の街の中で、高速鉄道の駅周辺だけが、いかにも中国的な巨大再開発が行われ、どでかいショッピングモールに変身していた。

民主化を求めて香港に暮らす人々にとって、ジリジリと詰め寄ってくるそうした中国の影は恐怖なのだろう。

一方で、親中国派の人たちも確実に増えている。いずれ香港は中国の一部になることは決まっている以上、中国に刃向かうことは自分や家族の未来を危うくするというのは誰しも考えることだろう。

いい仕事に就いたり、出世するためには、親中国の方が有利に違いない。権力は経済的な利益を使って民衆を切り崩すというのは、世の古今東西を問わない普遍的なやり方である。

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