<吉祥寺残日録>台風が直撃した終戦の日に「寛容」と「中庸」について考えてみた #230815

今日は終戦の日。

政府による「神の国」というプロパガンダに洗脳され、多くの国民が不敗神話を信じていた大日本帝国が、目を覆うような壊滅的な敗戦を味わってから78年が経った。

大正デモクラシーと呼ばれた平和な時代が、世界恐慌と軍部の暴走によってあっけなく崩れていった昭和初期。

あの20年間は日本の歴史にとって特異な台風のような時代であった。

例年であれば広島への原爆投下から終戦にかけてのこの夏の季節には、テレビでも多くの戦争に関する番組や企画が放送されるはずなのだが、今年は2つの台風が日本を直撃して国民の関心も台風の進路と夏休みのスケジュールに向けられてきた。

そして終戦の日の今日、台風7号が紀伊半島に上陸してお盆のUターンラッシュを直撃した。

新幹線は終日、名古屋〜岡山間で計画運休となり、関西を中心に空の便も運休が相次いでいる。

台風は当初の予報に比べて徐々に西寄りの進路を進んだため、兵庫に再上陸して台風とは縁の薄い岡山も今回は相当な風雨にさらされたようだ。

畑のトウモロコシはすでに台風6号接近時の強風で倒されていたが、今度の台風7号はさらに強い風を吹かせていると想像され、収穫直前のブドウや家屋への被害も心配される。

こうした台風のニュースを聞きながら、私は戦争のこと、戦争へと突き進んだ戦前の日本を想う。

台風が日本から遠く離れた南の海で発生した小さな渦から発達するように、昭和の戦争も発端は満州に派遣された一部の若手将校たちの野望から始まった。

しかし満州で生じた小さな渦がみるみるうちに日本列島を飲み込む台風へと成長した原因は、軍上層部と政府の優柔不断、そして戦勝に酔い過激な青年将校たちを英雄視した大衆の熱狂であった。

歴史を振り返れば、熱狂する民衆はまさに台風のように既存の秩序をぶち壊し、常識では考えられない誤った道へと社会を引きずり込むことが多い。

そして歴史に名を残す独裁者たちは、こうした群衆の熱狂を巧みに利用し煽り立て自らの野望を実現しようとするのである。

狂気を前に常識は無力であり、「正義」という言葉には諸刃の剣のような危うさがあるということを昭和の戦争は教えてくれる。

そんなことを考えていた2023年の終戦の日、日本経済新聞のサイトに掲載された一つの記事が目に止まった。

元ワシントン支局長だった小竹洋之氏が書いた『終戦の日に考えたい寛容 価値の分断越えるリアリズムを』。

私と似た危機意識を感じたこの記事を引用しておきたい。

第2次世界大戦の終結から78年。私たちは「パーマクライシス(永続的な危機)」とも「ポリクライシス(複合的な危機)」とも評される時代に行き着いた。

地政学、経済、地球環境などの危機は、そろって長期化の様相を呈する。しかも複数の危機が共鳴し、個々のリスクの総和を上回る惨事に発展しかねない。

権威主義国家が生み出す安全保障上の危機は、とりわけ深刻だ。ロシアのウクライナ侵攻は1年半に及び、中国による台湾制圧の危険さえ迫る。核開発に動く北朝鮮やイランなどを含め、世界の「火薬庫」は四方八方に広がる。

これに対抗する民主主義国家もほめられたものではない。新型コロナウイルス禍やインフレで痛手を負った米欧の内向き志向は強まり、自国第一の政治が幅を利かす。人種や性、学歴などを巡る社会の分断も深まる一方だ。

米人権団体のフリーダムハウスが世界195カ国・15地域の自由度を算定したところ、「悪化」の数は「改善」を17年連続で上回った。権威主義の伸長だけでなく、民主主義の劣化がもたらす危機も憂慮すべき状況である。

民主主義を意味するギリシャ語の「デモクラティア」は、デモス(民衆)とクラティア(権力)の造語とされる。米国のトランプ前大統領をはじめ、抑圧的で排他的な指導者が助長した権力のゆがみは看過できない。だが彼らの台頭を許した民衆の緩みにこそ、本質的な問題があるように思う。

米カーネギー国際平和財団によると、2017年以降の主要な反政府デモは、130カ国余りの累計で400件を超える。独保険大手アリアンツグループによれば、ストや抗議運動の増加と過激化が世界的にみられ、18年以降に米国やフランス、チリなどで起きた6大事件だけで合計120億ドル(約1.7兆円)の損害を与えた。

全資産の4割程度を握る上位1%の富裕層。新天地を求めた3億人規模の移民。政治や経済を牛耳る特権的なエリート……。グローバル化やメリトクラシー(能力主義)が織りなす世界の国々のかたちにいら立ち、寛容さを失う人々が増えているのは間違いない。

不満や怒りの根源が経済問題にあるのなら、まだ落としどころを探りやすい。しかし人間のアイデンティティーや価値観を巡る相違は埋めがたく、敵と味方を二分する争いに発展しがちだ。

「差別の是正か、それとも機会の平等か」――。米国では大学の入学選考で人種を考慮するアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)に対し、連邦最高裁が違憲判決を下した。黒人や中南米系の差別是正に反すると批判するリベラル派と、白人やアジア系の機会平等に資すると擁護する保守派の対立は根深い。

「石油の将来か、それとも地球の未来か」――。英国では北海の石油・天然ガス開発を推進する政府に抗議するため、環境保護団体グリーンピースの活動家がスナク首相の私邸の屋根に登り、黒い布で覆う事件が起きた。温暖化の防止を最優先する急進派は、エネルギー危機下で化石燃料への依存を絶てない当局を敵視する。

「安全保障か、それとも表現の自由か」――。スウェーデンやデンマークではイスラム教の聖典コーランを反移民集会で燃やす騒ぎが続き、イスラム諸国から猛反発を買う。こうした憎悪行為を法的に禁じ、外交問題やテロに発展するのを避けるべきだという声と、自由な言論活動を妨げてはならないという声が交錯する。

自分の生活や伝統的な文化が脅かされるのを恐れ、移民や性的少数者に不寛容になるのが右派の一部なら、人権擁護や環境保護を強く望むが故に、これらを他者に強要して不寛容になるのが左派の一部だろう。そして人々が抱える負の感情をあおり、極端な主張で民意をつかもうとする大衆迎合主義者が右派と左派の両方にいる。

私たちはどう振る舞うべきか。「不寛容論」などの著書で知られる東京女子大学の森本あんり学長(神学者)に尋ねてみた。

「寛容というのはきれい事ではない。自分とは異なる人、自分が否定するものを、渋々受け入れるところに本来の姿がある。不寛容の存在を認めない姿勢や、周囲に関心を持たない無寛容の姿勢から、真の寛容は生まれない」

「勝者が敗者をぎりぎりまで追い詰めず、カムバックのチャンスを残しておく。それが民主主義のありようではないか。アイデンティティーや価値観の問題に踏み入ると、徹底的に戦おうという方向になりがちだが、理想を性急に追いすぎないのが賢明だ」

歴代の米大統領らに並々ならぬ影響を与えた米神学者のラインホールド・ニーバーは、1944年の著書で民主主義を「光の子」、権威主義を「闇の子」に見立てた。理想主義的な光の子は、欲望や野心などの力を過小評価して愚かになり、現実主義的な闇の子の台頭を許したと説いたのだ。

民主主義国家は「賢い光の子」でありたいと、森本氏は話していた。自分が抱く理想と現実が違ってもひとまず容認し、漸進的な変化を探り続けるという「リアリズム」の追求にほかならない。

民主主義を根底で支える寛容の喪失は、悲惨な戦争を招く一因でもあった。終戦の日に際し、その復元を急がねばならぬと切に思う。日本も決して例外ではない。私たちが良きデモスにならなければ、健全なクラティアも育つまい。

引用:日本経済新聞

民主主義の劣化、右派にも左派にもはびこる大衆迎合主義。

民主主義というシステムは、多くの国民がそれを信じそれを守ろうとする気持ちを持って初めて機能するものである。

ギリシャの時代から存在するものの、真の民主主義が機能した国や期間はごく僅かに過ぎない。

それは作るのは難しく、破壊するのは容易いガラス細工のようなものである。

日本は戦後、曲がりなりにも民主主義国家として歩み、平和を享受してきた。

しかしそれは真の民主主義と呼ぶにはまだまだ未熟で、自由民主党という絶対的な与党が常に君臨し、主義主張ではなく与党であり続けるためにはなんでも取り込むという世界的にも稀な巨大アメーバー政党を軸とした日本式民主主義である。

問われるのは、私たち大衆の覚悟。

今の平和と民主主義を守ろうという強い意志が今こそ試されているんだと思う。

今年、身内の葬式が続く中で、私が子孫に伝えるメッセージにようなものを時々考えるようになった。

私は妻と共に都立多磨霊園の合同墓地に申し込んでいるので、今更自分の墓を作る気はない。

しかし、後世に残る石碑のようなものを岡山の土地に建てて、そこに分骨するのもいいかもしれないと思い始めている。

その石碑にどんな文字を刻むか・・・自分が大切にしてきた言葉を並べてみた。

平和、自由、のんびり、個性、多様性、寛容、中庸・・・。

この中でも戦争を防ぐためには「寛容」と「中庸」が何より重要であると私は考えてきた。

これらを単語を組み合わせて、子孫に遺す一つのメッセージを考えてみる。

平和に 自由に のんびりと

寛容の心をもって 中庸を歩め

これはあくまで第一案であり、この短いメッセージをさらに磨いていって石碑に刻む日が来るかもしれない。

その頃には、日本や世界の情勢もまた大きく変化していることだろう。

終戦の日の報道で、もう一つ私の目が止まった記事があった。

それはネットメディア「BuzzFeed」で配信された『玉音放送、わかりやすく現代語訳してみた。』という記事。

そう言われると、玉音放送の内容を全文読んだことがないことに思い当たった。

果たしてその現代語訳とは・・・。

私は世界情勢と我が国の現状を深く考えた上で、非常の手立てをもって事態を収拾したいと思うようになり、ここで私の忠義で善良な国民に告げます。

アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4カ国による共同宣言(※ポツダム宣言のこと)を受諾する旨を、私は日本政府から4カ国に通告させました。

そもそも日本国民が平穏な生活を送って、世界の国々と共に栄えるようにすることは、歴代天皇が残してきた手本であり、私の念願でした。以前、アメリカとイギリスの2カ国に宣戦布告した理由も、我が国が自らの力で存続することと、アジアの安定を願ったからです。他国の主権を排除して、領土を侵害するようなことは、もとより私の意志ではありません。

しかし、この戦争が始まってからすでに4年が経過しました。その間、陸海将兵は各所で勇戦奮闘し、役人たちもそれぞれの職務に励み、また1億人の国民も各職域で奉公してきました。このように各自が最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも私たちに有利に展開したとはいえず、世界の情勢もまた私たちに不利になっています。

これに加えて、敵は新たに残虐な爆弾(※原子爆弾のこと)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷しました。その惨害はどこまで広がるか計り知れません。戦争を継続すれば、我が民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊されるでしょう。そうなれば、私はどうやって我が子に等しい国民を保護し、歴代天皇の神霊にお詫びできるでしょうか。これこそが、私が日本政府に共同宣言を受諾するようにさせた理由です。

私は、これまでアジアの解放に向けて我が国と協力した友好国たちに遺憾の意を表明しないわけにはいきません。また、我が国民のうち戦死や殉職するなど不幸な運命で亡くなった人々や、その遺族に思いをはせると身が引き裂かれるような思いです。さらに戦場で負傷したり、災禍に遭ったり、家業をなくしたりした人々の生活を豊かにすることを考えると、私の心は深く痛みます。

思えば今後、我が国が受けるであろう苦難は尋常なものではないでしょう。私は国民の心中もよくわかります。しかし、情勢の移り変わりはやむを得ないことなので、私は耐えられないようなことも耐えて、我慢できないようなことも我慢して、将来のために平和を実現しようと思います。

私はここに国家体制を維持することができ、忠義で善良な国民の真心を信じ、常に国民と共にあります。もし、感情の激するままに争い事をしたり、同胞同士が互いに相手をけなし、陥れたりして、時局を混乱させ、そのために道を誤り、世界の信頼を失うようになれば、それは、私が最も戒めるところです。

挙国一致してこの国を子孫に伝え、我が国の不滅を固く信じ、国家の再建と繁栄への重い任務と遠い道のりを心に刻み、全ての力を将来の建設に傾け、道義心を向上させ、志を強固にして、我が国の美点を発揮し、世界の進歩に遅れないように努力しなければなりません。

あなた方国民は、私の思いをよく理解し、それに従って行動してください。

引用:BuzzFeed

戦後の日本人にとって、8月15日は自分の心の中を整理する大切な日である。

戦争を知る日本人の大半がこの世を去り、敗戦の教訓をどのように伝承すればいいのか懸念する声をよく聞く。

しかし戦争が地球上から消えてしまったわけではない。

戦争について知りたければ、今も戦争をしている国に行ってみればいいのだ。

戦争というものはどの国でもどの時代でも悲惨である。

学ぶ気さえあれば、戦争の理不尽さを感じることはいくらでもできるのだ。

必要なのは過去から教訓を学ぼうとする心。

若い人々の心の中にも、そうした芽が遺せればいいのだけれど・・・。

<吉祥寺残日録>自転車に乗って🚲吉祥寺も昔、戦場だった!中島飛行機とグリーンパーク野球場 #200815

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