<きちシネ>#03「二百三高地」(1980年/日本映画)

アマゾン・プライムビデオで東映映画「二百三高地」を観た。言わずと知れた日露戦争最大の激戦、旅順攻防戦を描いた戦争大作だ。

乃木大将を仲代達矢、児玉大将に丹波哲郎、伊藤博文を森繁久弥、明治天皇を三船敏郎という日本映画を代表する大物たちが出演する超大作だ。

しかし当初は、「日露戦争など誰も観ない」と言われ東映の中でも猛反対が起きた。それが実現したのはワンマンで知られた東映の岡田茂社長の最終決定だった。公開前には「戦争賛美映画」「右翼映画」との批判が出たが、結果的には興業的に大成功。日本アカデミー賞10部門に輝いた。

私の大学時代の映画だが、テレビでの大宣伝とさだまさしの主題歌はかすかに記憶に残っている。私も御多分に洩れず、学生時代は「なんとなくリベラル」だったので、こんな映画には強い嫌悪感を持っていた。

そんな映画をわざわざ観たのは、ゴールデンウィークに大連・旅順に行く予定だからだ。二百三高地にも行くことになるだろう。

ロシアが築いた当時世界最先端の軍事要塞。そこを人海戦術で攻める日本軍。貧しかった日本では人命は軽く、明治維新で出来上がった新国家は強権的だった。

日清戦争で朝鮮半島を完全に抑えた日本は、ロシアの南下を恐れた。映画の冒頭、戦争を躊躇する伊藤博文首相に児玉源太郎大将が「軍を動かすなら今しかない」と決断を迫るシーンがある。伊藤も児玉も日本にロシアとの全面戦争に勝つ国力はないと理解していた。ただ、児玉はこう続ける。シベリア鉄道が複線化するとロシアの主力がたちまち満州に現れ、日本に勝ち目はない。今なら引き分けに持ち込むことも可能で、有利な状況のうちに第三国の調停で講和に持ち込む、これが児玉の進言だった。明治天皇はそれでも和平を模索する意思を表明したが、最後は伊藤に決断を尊重した。

あの時、伊藤が開戦の判断をしなければ、日本の歴史はどのように変わったのだろうか? 本当に列強の餌食になったのだろうか?

確かに日露戦争での勝利は、アジアにおける日本の存在感を世界的なものにした。西欧列強にも勝てるという自信を多くの日本人に与えた。まだペリー来航から50年ほどしか経っていない時期だ。この50年間に、幕府が倒れ、内戦が起き、武士の社会が崩壊し、価値観の大転換が起きた。刀を捨てた大量の元武士が日本中にあふれ、その不満のエネルギーが列強への警戒心と相まって、鎖国から一転、海外侵略の方向へ180度舵を切ることになった。

あの時代の日本人たちの気持ちを理解するのは私には難しい。日本が一流国へと駆け上がるあふれるほどのエネルギーは、今の日本から見るとまばゆい気持ちになる。その一方で、十分な情報や教育が与えられない社会、盲目的に上からの指示に従う社会の恐ろしさも感じる。

あの時代の日本は、今の日本とはまるで違う。あの頃の日本人の不屈さは、今の日本人にはない。その代わり、今の日本には自由と人権、そして情報がある。あの時代の大衆は戦争を欲した。しかし敗戦を経験した戦後の日本人は、70年以上戦争をせず、その間に平和を大切にする心が育った。

この平和を壊すのは容易いのかもしれない。でも、多くの国民が平和を大切に思う間は、権力者といえども簡単には戦争を起こすことはできないと信じる。

映画「二百三高地」では、ロシア好きな小学校教師から少尉となり旅順で戦う青年に反戦のメッセージを込めている。あおい輝彦演じるこの教師は出征する前の最後の授業で、黒板に「美しい国日本・美しい国ロシア」と書き、自分が再び教室に戻るまで消さないよう子供達に話す。そんな青年が、戦場で毎日死んでいく戦友を看取り、最後はロシア兵との肉弾戦の末、ロシア兵に頚動脈を噛み切られて死ぬ。何の恨みもない人と人とが殺しあう戦場。この映画は単なる「戦争礼賛映画」ではない。

最近、日本で戦争映画が作られることはなくなった。代わりにゲームの世界では、「戦い」は日常となっている。実際の戦争もゲーム化し、遠隔操作で敵を攻撃する時代だ。人と人が殺しあうリアルな残虐性がイメージしにくくなっているのかもしれない。

しかし、攻撃される側には今でもリアルな残虐性が消えたわけではない。

この戦場の残虐性をいかにして戦争を知らない人たちに届けるか?

大きな課題である。

Yahoo!映画評価4.12、私の評価は3.80。

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