<吉祥寺残日録>65歳の誕生日プレゼントは中央アジア旅行!未踏のカザフスタン・キルギスタン・ウズベキスタンへ #230302

今日は私の誕生日。

ついに65歳、前期高齢者の仲間入りだ。

明日には母が90歳の誕生日を迎えるため、今日これから岡山へ飛んで母の卒寿をお祝いするつもりである。

ということで昨夜、妻と2人で一足早い誕生日祝い。

コロナ禍の中でオープンした「和こん」という和食屋さんに初めてお邪魔した。

このお店のことは、別に記事を書くことにするが、やっぱり高齢者ともなれば、こういう落ち着いた雰囲気で、あれこれ考えなくてもおまかせで出てくる料理屋さんというのはありがたい気がする。

さて、私の65歳の誕生日プレゼントの話である。

前々から温めていた中央アジアへの旅行について、妻の了解を得るべく、誕生日を前に切り出してみた。

つい先日、サウジアラビアで熱を出して急遽片道の航空券を買い直して緊急帰国したばかりだ。

何事も慎重な妻のこと、反対されるだろうと思っていた。

ところが・・・妻は何も言わずあっさりと認めてくれたのだ。

これも、前期高齢者となった効能だろうか。

妻の気が変わらないうちにと、早速いつもの予約サイト「エクスペディア」で航空券を予約した。

旅行の時期は、農作業が少し余裕が出る8月の後半に決めた。

中央アジアは冬寒いので、夏の方がいいだろうと思ったのと、7月まではいろいろと畑仕事が混み合っているのでお盆明けで以前からルートを調べていた。

メインとなるフライトは、韓国インチョン空港経由でカザフスタンのアルマトイに入り、帰りはウズベキスタンの首都タシュケントからやはり韓国経由で成田に戻ってくるという変則ルートにした。

航空会社は韓国のアシアナ航空で、料金は13万6840円だった。

アルマトイやタシュケントの往復と料金はさほど変わらないので、一番スムーズな旅程を考えて、8月後半で比較的安そうな日程を探ったところ、8月20日出発、29日帰国のスケジュールとなった。

ちょうど10日間、9月にブドウの収穫が控えているので、このくらいがちょうどいいところだろう。

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最初に降り立つ予定のアルマトイは人口153万人、カザフスタン最大の都市で1997年までは同国の首都だった。

学生時代には「アルマアタ」と習ったがあれはロシア語での呼称で、キエフがキーウに変わったようにソ連崩壊後にカザフスタンが独立してからアルマトイまたはアルマトゥなどとカザフ語で呼ばれるようになったようだ。

語源は「リンゴの里」である。

正直な話、中央アジアというとシルクロードという印象ぐらいしかなく、一般の日本人同様、私もこのエリアに関する知識は恐ろしく乏しい。

カザフスタンで何をしようかと考えた時、真っ先に思いついたのはかつてのソ連の核実験場「セミパラチンスク」だった。

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ソビエト連邦時代、実に456回もの核実験が行われたセミパラチンスクがカザフスタン国内にあることを知っていたが、一体どこにあるのか、現在はどのような状態なのかをネットで調べてみた。

すると、セミパラチンスク核実験場は、カザフスタン北西部のセメイという町の西方にあり、世界でも珍しいツアーが実施されていることがわかった。

トリップアドバイザーによれば、アルマトイからは鉄道か飛行機でセメイの街まで行くことができ、その街からは核実験場跡地の2日がかりの現地ツアーが存在するようだ。

詳しいガイドの説明付きで料金はなんと20万円。

参加したい気持ちはあるのだが、20万円と聞いてちょっと引いてしまった。

とりあえずセメイまで行くと、もっとお手軽に実験場跡地に行く方法もあるのではないかと思い、もう少し時間をかけて調べてみることにした。

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もう一つのオプションは、新しく築かれた首都アスタナに行ってみること。

経済的に豊かな新興国では新しい首都を建設することが流行っているようだが、カザフスタンも1997年にこの街に首都を移転した。

新首都建設にあたっては、国際コンペで1位となった日本人建築家の黒川紀章さんが都市計画案を作ったことでも有名だ。

写真を見る限りでは、とても人工的であまり魅力的な街には見えないが、ここが首都になってから多くのカザフ人がこの街に移り住み、かつてロシア系住民が多かったカザフスタン北部でも民族構成が大きく変化するという成果もあったようだ。

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カザフスタンの次に訪れる予定なのは、南隣にあるキルギスタン。

国土の40%が標高3000メートルを超える山国である。

首都ビシケクに飛行機で入るつもりだが、その後の予定はこれから考えるつもりだが、行ってみたいのは北東部にあるイシク・クル湖。

標高1600メートルにある世界第2位の大きさの高山湖で、「中央アジアの真珠」とも呼ばれているという。

琵琶湖の9倍の面積を持つこの湖の南側には万年雪をいただく天山山脈があり、夏にはリゾート地として賑わうのだそうだ。

ソ連時代にはこの湖周辺には外国人は立入禁止になっていたそうで、当時はこの湖に魚雷の実験施設があったらしい。

キルギスには温泉もあって、この国では豊かな自然を楽しむのが一番良さそうである。

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そして3番目の訪問国となるのがウズベキスタン。

中央アジア諸国の中でも最もシルクロードの面影を強く残している国である。

首都タシュケントは人口219万人を抱える中央アジア最大の都市だが、街にはソ連時代に作られた豪華な地下鉄が走っていて、ロシア風の整然とした新市街の広がっている。

新市街の中心には、ウズベク族の英雄ティムールの銅像が立っているという。

チンギス・ハーンなどモンゴル勢力に比べて日本では知名度が低いが、モンゴルがユーラシア大陸を席巻した後、このティムールがサマルカンドを首都にモンゴル帝国の半分ほどの大帝国を築いた。

一方で、ウクライナへの軍事侵攻後ロシアから脱出する優秀なIT技術者を国を挙げて受け入れて、IT立国を目指しているという情報を最近知ったので、そうして雰囲気も感じられればと思う。

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そして最終目的地はサマルカンド。

「青の都」として知られるシルクロード観光の中心都市である。

「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる鮮やかなブルーのタイルに彩られたイスラム建築の数々は、中国の陶磁器とペルシャの顔料が出会って生まれたもの。

まさにシルクロードの賜物なのである。

先日クウェートを訪れた時にも、現地で知り合った日本人女性から「サマルカンドにはぜひ行ってください」と言われ、この街に3泊してゆっくりとシルクロードを味わいたいと思っている。

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カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン。

いずれも私が初めて訪れる未踏の国だ。

「スタン」とはペルシャ語で、「〜の国」を意味するという。

カザフスタンではカザフ人が69.6%、キルギスタンではキルギス人が73.8%、そしてウズベキスタンはウズベク人が84.3%を占める。

いずれもトルコ系の遊牧民族を祖先に持つ民族だが、中国やモンゴル、ロシアなど長く他民族の支配下で生きてきた人たちである。

今もソ連時代からのロシアとの関係は続き、一帯一路を押し進める中国との関係も強まっている。

その一方で、西側諸国との関係にも心を砕き、複雑な国際情勢の中で微妙なバランスを保とうとしている。

これまでほとんど知らなかった中央アジアの国々は、今後ロシア、中国、インド、イランなどの大国に挟まれたその地政学的な位置から国際政治の中で重要度が増してくる可能性もあるだろう。

この旅をきっかけに、私の知識の空白地帯が少しでも埋まればと思っている。

これが私の65歳の誕生日プレゼント。

また少し、私の中で世界が広がって広がっていくことだろう。

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