<吉祥寺残日録>定年後を考える😄 古いパスポートや昔の手帳を引っ張り出して海外渡航歴を一覧表にまとめてみた #221102

昨日は一日曇っていたが、今日は打って変わって秋晴れの気持ちのいい日だ。

ベランダから眺める井の頭公園も、いつの間にか彩りを増し、11月に入っていよいよ東京も秋本番を迎えたようだ。

昔ならこんな日に家にいるなんて考えられなかったが、昨日から始めた作業の続きで気がつけばもう午後3時である。

一体、何を始めたかと言うと、これまでの行った国を一覧表にまとめること。

どの国にいつ行ったのか、パスポートのスタンプや古い手帳の記述を元に表に書き起こしているのだ。

まず最初に解読に取り組んだのは、昔のパスポート。

大学生だった1977年にインドに行くために作ったのが最初のパスポートである。

日本のパスポートは昔からほとんど表紙のデザインが変わらず、時代によって青だったり赤だったりする。

そして昔のパスポートは今よりもひと回り大きかったことにも改めて気づかされた。

大学3年生の時に、1年間休学して一人で回ったラテンアメリカ旅行。

この頃はどこの国も出入国時にスタンプが押され、ビザが必要な国も多かった。

しかも中南米の国々はどこもスペイン語とポルトガル語が公用語なので、スタンプがアルファベットで書かれていて判読しやすいのだ。

ところが、バンコク特派員時代に回ったアジアの国々になると、さまざまな文字が登場して中には全く判読不可能が国も出てくる。

最も難しいのはアラビア語で表記された中東の国々。

文字が読めないだけでなく、数字も違うのでネットで数字や月の名前などを検索しながら照合を進める。

それでも出入国のスタンプが押されている間は照合ができたのだが、パリ特派員時代になるとヨーロッパの統合が進み、EU域内の移動はパスポート上に全く痕跡が残っていないのだ。

長旅の後で厳しい入国審査が鬱陶しいので簡素化されて本当に助かったが、後から記録をたぐろうとすると逆に不便でもある。

若い頃は行ったことのない国々のビザをもらうのが嬉しくて、まだ行くとは決まっていない国の取材ビザを申請して、何かニュースがその国で起きるのを待ったものだ。

当時の取材手帳を読み返してみると、仕事とは関係のないワクワクした日常が溢れていた。

私はニュース取材が好きというよりも、未知の国に足を踏み入れることが何よりも好きだったんだということがわかる。

経験を積んで、外国を旅行することに慣れてしまうと、手帳の記載も事務的となっていた。

ベテランになるということは、仕事の勘所を外さない安定した仕事はできるが、人の心を打つような感動的な記事はワクワク感を持った若い記者の方が書けるんじゃないかと思った。

こうして出来上がったのが、こちらの一覧表。

まだ日付がはっきりせず抜けているものもあるが、概ね私の海外渡航歴が一目でわかるようになった。

これまでに最も多く渡航した国は、特派員として駐在したタイとフランスを除くと、フィリピンの12回、続いてスイスの11回、イタリアの10回と続く。

やはり特派員時代に取材で通った国が多い。

逆に少ないのは、アフリカや中東の国々、中央アジア、カリブ海なども空白地帯として残されている。

ヨーロッパや東南アジアに比べると交通の便が悪く、政治状況や治安に問題がある国も多いが、そこはかつて危険な現場を何度も踏んできた経験と勘を頼りに少しずつ渡航先を増やしていきたいと思っている。

まずは来年2月に予約した中東旅行。

サウジアラビアを中心に、クウェートとバーレーンが新たな渡航先として加わる予定だ。

これまでに行った国の数は東ドイツや香港、マカオを加えると92。

とりあえずは数年以内に100カ国踏破を達成するつもりだ。

果たしてどんなワクワクが待っているのか、昔の手帳を読み返していると自然と好奇心が蘇ってくる。

<吉祥寺残日録>昔の取材資料を整理していると、忘れていた「若気の至り」があふれ出す #211211

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