<きちたび>ルクセンブルクの旅〜「シェンゲン協定」調印の街で国境なき欧州を体感する

🇱🇺ルクセンブルク/シェンゲン 2019年8月10日

「シェンゲン協定」をご存知でしょうか?

1985年に締結されたこの協定により、締結国間の国境検査が段階的に撤廃され、「国境なき欧州」の第一歩を踏み出しました。5カ国から始まったシェンゲン協定ですが、今では26カ国に広がりました。

国境を巡って戦争に明け暮れたヨーロッパで、人と物の交流を自由にするシェンゲン協定はまさに歴史的な実験なのです。そして、この協定が締結されたのが、ルクセンブルクの国境の町シェンゲンでした。

この小さな町を訪ねると、ドイツやフランスに歩いて行ける本当に開かれた国境がそこにはありました。

路線バスでシェンゲンへ

シェンゲンへの行き方はネットにいろいろ情報が出ているので、それを参考に宿泊していたルクセンブルク市内から路線バスを使って行ってみることにしました。

参考にさせていただいたのは、「EuroTraveller」というブログの記事です。

「ルクセンブルク発半日観光に!EUの原点シェンゲンまでのアクセス方法」

ただ残念ながら、記述通りにはうまくいきませんでしたので、私たち夫婦のケースをご紹介したいと思います。

シェンゲンへの出発点は、ルクセンブルク中央駅です。

午前中ルクセンブルク市内をぶらぶらしランチを食べてからの出発でしたから、バスに乗ったのはもう午後2時半を回っていました。

乗ったのは、ブログの教えの通り、175番のバス。行き先は「Remich」という町です。

公共交通機関すべて乗り放題の1日券(4ユーロ)を購入しているため、新たに切符を買う必要はなく、ただ止まっているバスに乗り込みます。運転手が私たちの切符を確認することもまったくありません。

まあ普通の路線バスですが、ルクセンブルクのバスは地方路線でもピカピカでとても快適です。

バスは走り出すとすぐに街を抜け、広々とした田園風景が広がります。

印象的だったのは、田舎に行っても家がみんな立派で、貧しそうな建物がないことです。

さすが、一人当たりGDP世界一の国だと感心したものです。

ここで問題発生。

参考にしたブログには、40分ほど乗車し「Bech-Kleinmacher, Centre」という停留所でバスを乗り換えると書いてあるのですが、バスの前方に取り付けられたモニターにはいつまで経ってもその名前が出てこないのです。

「どうしよう? どうしよう?」と思っている間に、バスは葡萄畑の中を走り、終点のRemichに到着しました。

帰国後見つけたのですが、バスのルートや時刻は下記で検索できるようです。https://www.mobiliteit.lu/se-deplacer/horaires-et-reseaux/bus

モーゼル川遊覧の拠点ルミシュ

バスの運転手に相談すると、ここルミシュのバス停で待っていると185番のバスが来るから、それでシェンゲンまで行けると教えてくれました。

運転手の指摘通り、バス停には185番の時刻表があり、行き先の中に「Schengen」の文字があります。

ただその日は土曜日だったので、バスは1時間に1本しかありません。

気長に待つことにして、とりあえず周辺をぶらぶらします。

バス停の脇はもうモーゼル川。川の向こう側はドイツ領です。

岸辺にはびっしりと遊覧船が並んでいました。

バス停の目の前にはちょっと奇抜な建物が・・・。

インフォメーションと書いてあるので観光案内所だと思ってシェンゲン行きのことを聞いてみると、「船で行くのか?」と問います。

ここは遊覧船の案内所でした。ちょうど遊覧船が出発するところだったようです。

モーゼル川は、ルクセンブルクとドイツの国境を流れる国際河川です。

両岸の斜面にはぶどう畑が広がり、ドイツを代表するモーゼルワインの産地として多くの観光客が船遊びを楽しみます。

さらに、ヨーロッパ各国を巡るリバークルーズの寄港地ともなっているそうです。日本人には馴染みの薄いリバークルーズですが、陸地が見えない海のクルーズよりもいいかもしれません。

いつバスが来るか心配なので、街の方には行きませんでしたが、ルクセンブルク南端部では最も賑やかな町だそうで、結構いい宿もあるようです。

シェンゲンまでは9km、そしてフランスまでもあと11kmと標識には書かれていました。

ルミシュに寄港するクルーズ情報は下記のサイトが参考になります。

「CRUISEMANS」https://cruisemans.com/countries/67/port-calls

シェンゲン協定記念碑

185番のバスは定刻通り出発しました。

しかし、またも問題発生。

参考にしたブログ記事では、「Schengen, Koerech」で下車することになっていますが、その名のバス停がありません。

シェンゲンの名がつくバス停は2つ、「Schengen, Seckerbaach」と「Schengen, Ennen am Doref」。こうなったら山勘で、後の方のバス停で降ります。他の乗客もそのバス停で降りたので、これで正解だったようです。

バスのルートが変わったのか、それとも土曜日の午後だからか、どうもマニュアル通りには行きません。

でも、それが旅の醍醐味でもあります。

そこは本当に静かな町でした。

建物は立派ですが、人の気配がありません。

EUのことに多少の知識がある人であれば必ずその名前を知っているであろうシェンゲンという場所は、人口1600人のひっそりとした田舎町でした。

バスを降りた客たちの後をついていくと、モーゼル川とそこにかかる橋がありました。

そして「SCHENGEN」の看板も・・・。

川岸にはEUの旗が掲げられ、錆びた鉄製のモニュメントがあります。

これが、「シェンゲン協定記念碑」です。

シェンゲン協定が締結された時の写真でしょう。

説明書きはルクセンブルク語でよくわかりませんが、英語の訳も添えられています。

『この岸壁に停泊していた「プランセス・マリー=アストリ号」の船内で、ベネルクス経済連合(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)と西ドイツ、フランスの代表は、1985年6月14日と1990年6月19日、「シェンゲン協定」に署名した。』

1990年に署名されたのは「シェンゲン協定施行協定」または「第2次シェンゲン協定」と呼ばれます。

シェンゲン欧州博物館

記念碑からモーゼル川沿いに南に歩くと・・・

ゆっくりと遊覧船が近づいてくるのが見えました。

先ほど、ルミシュで出航を目撃した船です。やはりバスに比べて船は速度が遅いようです。

ベルリンの壁の一部も置かれていました。

1989年の壁崩壊の前後、ドイツで取材した私にとって、懐かしさを覚えます。

その隣には、古い写真とともに、ヨーロッパ統合の歴史が・・・。

1959年5月9日の「シューマン宣言」。フランス外相ロベール・シューマンがフランスと西ドイツの石炭・鉄鋼産業を共同管理することをまとめた声明です。

1951年4月18日の「パリ条約」。ベルギー、フランス、西ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、オランダの6か国がパリで調印した、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を設立する条約です。

1957年3月25日の「ローマ条約」。6カ国は、欧州経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(Euratom)を設立する条約に署名しました。

そして1985年6月14日の「シェンゲン協定」調印。

1992年2月7日の「マーストリスト条約」。現在のヨーロッパ連合(EU)の創設を定めた歴史的な条約です。

附帯議定書では単一通貨ユーロの創設も定められ、オランダのマーストリストで調印されました。

1997年10月2日の「アムステルダム条約」。「EUの新憲法」とも呼ばれ、それまでのEUの基本条約を大幅に見直し、加盟各国のアイデンティティーを尊重しながら、政治的・経済的・社会的により密接に統合された単一欧州の実現を目指すものとなりました。

そして2007年12月13日の「リスボン条約」。2004年に10カ国が新規加盟しEUが大きく拡大したのを受けて、再び基本条約を大きく修正しました。

日本ではあまり関心が持たれない欧州統合の動きですが、こうして話し合いによって具体策を一つ一つ地道に積み上げて、今日のEUができあがったのです。

もしこうした作業が世界規模で行われれば、人類はもっと進化できるだろうと、6枚のパネルを見ながら思いました。

モーゼル川のほとりには、EU加盟国の国旗が並べられた広場があり・・・

広場には、たくさんの錠前がぶら下がったオブジェがありました。

シェンゲンまでやってきた人たちが、平和を願って自分の名前を書いた鍵をかけていくのだそうです。

モーゼル川の突き出すように、「ツーリストオフィス」があったので、帰りのバスの情報を聞いてみたのですが、その時いた若い女性は残念ながら役立つ情報は持っていませんでした。

この広場に面して「シェンゲン欧州博物館」が建てられています。

博物館といっても、あまり興味を引く展示はありません。

個人的にちょっと面白かったのは、ショーケースに飾られていたたくさんの帽子。どうやらシェンゲン条約によって廃止された各国の税関職員がかぶっていた帽子のようです。

一番下に置かれていた標識は、フランスとドイツの国境にあったものでしょう。

「DOUANE」はフランス語、『ZOLL」はドイツ語で税関を意味します。

博物館の裏には昔の城館が再建されています。その庭は「国境のない庭園」と呼ばれるそうですが、さしてきれいな庭ではありません。

博物館のカフェに妻を残して、せっかくなので私は国境を徒歩で越えてみることにしました。

シェンゲン観光の公式サイトがあります。(英語)

https://www.visitschengen.lu/en/

ドイツの町ペルル

モーゼル川にかかる橋。

右手はルクセンブルクのシェンゲン、対岸はドイツのペルルという町です。

何の変哲もない普通の橋を渡っていくと・・・

橋の中ほどに、欧州旗に「ドイツ連邦共和国」と書かれた標識がありました。

どうやら、ここが国境のようです。

反対側の歩道には、ルクセンブルクの標識。

背景にはシェンゲンの葡萄畑が広がっていました。本当にきれいです。

橋の下を貨物船がゆっくりと通り過ぎて行きます。

のどかな光景。国境の緊張感は全くありません。

こうして国境検査をなくし、人や物が自由に往来できるというだけで、すごく心まで自由になった気分になります。

国が違えば、当然変わるものもあります。

たとえば自動車の制限スピード。

ドイツでは、市街地の最高速度が50キロ、市街地以外だと100キロ。高速道路では130キロの推奨速度はありますが最高速度は決められていません。さすが、アウトバーンの国です。

一方のルクセンブルクは、市街地以外が90キロ、高速道路でも最高速度が130キロで雨の日は110キロに制限されます。

橋を渡ってすぐのラウンドアバウトを左に曲がると・・・

ドイツ側の国境の町ペルルです。

町の中心部は丘の上ですが、国境近辺には大型店舗がいくつか並んでいます。

ドイツらしいきれいなお店で、国境を超えてルクセンブルクやフランスから買い物に来るお客さんも狙っているのでしょう。

川に向かって坂を下ります。

ドイツらしい端正で立派な家が並んでいます。

川の近くには鉄道の駅もありました。ペルル駅です。

この鉄道は、モーゼル川沿いの中心都市トーリアまで走るローカル線。

ちなみに、トーリアは世界的ブランド「モーゼルワイン」の中心地で、あのカール・マルクスの生まれた町でもあります。

フランスの町アパック

一旦戻って、今度は橋のたもとのラウンドアバウトを南へ進みます。

500mほど行くと、唐突にエッフェル塔が現れます。

もちろんミニチェアですが、それでも結構な高さです。

ここから先はフランスの国境の町、アパックとなります。

車の制限速度も市街地以外では80キロ、高速道路でも130キロです。

案内板に落書きがされているのも、やはりドイツやルクセンブルクとの違いを感じます。

シェンゲンからはわずかに1キロほどの距離。

10分ほど歩いただけで、ルクセンブルク・ドイツ・フランスの3カ国を旅することができる世界でも珍しい場所です。

国境のフランス側にはまだ新しそうな幼稚園のような施設がありました。

土曜日だったので子供たちの姿はありませんでしたが、ドイツやルクセンブルクの子供たちも受け入れているのかもしれません。

ルクセンブルクは不動産の価格が高いので、あえて物価の安いフランスに住んでルクセンブルクに通勤する人も多いと聞きました。ひょっとすると、そんなニーズに対応した幼稚園なのでしょうか?

その一方で、フランス側の国境で気になる光景も目にしました。

激しく焼けた小さな小屋が残されていたのです。

周囲には焼けた本のページが散乱していました。

ネットで調べてみると、ここはかつてフランス人女性が営むリサイクル図書館だったことがわかりました。小屋にはフランスとドイツの国旗が描かれ、読まなくなったフランス語、ドイツ語、英語の本を持ち寄り交換する場所だったようです。

この小屋の焼ける前の写真が載っているサイトがあります。https://www.asahi.com/and_travel/20190805/123838/

出典:朝日新聞 &トラベル

それがどうして、こんな姿になってしまったのか?

真相はわかりませんが、私は勝手にヨーロッパで広がる反移民の動きとの関連を連想してしまいました。

帰りのバスは・・・?

さて、3国の国境歩きを終え、ルクセンブルクに帰ろうとバスを探します。

私は来たルートを戻るものと勝手に思い込んでいたのですが、ルミシュ行きのバス停が見当たらないのです。

仕方なく降りたバス停「Schengen, Ennen am Doref」に行ってみると、私と同じタイミングでドイツ側から橋を渡っていた女性が声をかけてくれました。

「ルミシュ行きならもうすぐ来るよ」

バス停の時刻表にはルミシュ行きのバスが乗っていないのに、実際にはバスが走っているようです。

でも、博物館で待っている妻を呼びに行っている間に、バスは行ってしまったようです。先ほどの女性ももういません。

でも、ルミシュ行きのバスがここを通るなら、ゆっくり待つしかないでしょう。

そう腹をくくってのんびり構えると、到着時にはバタバタして気づかなかった景色が見えてきます。

相変わらず人通りはほとんどありませんが、きれいな町です。

丘の上にワイナリーがあるのにも気づきました。

ルクセンブルクのワインはほとんど国内で消費するため国際的に流通しませんが、お向かいのモーゼルワインに負けない品質だそうです。

ワイナリー巡りをする時間はありませんでしたが、丘の上に登ると素晴らしい景色とワインが待っているそうです。

シェンゲンのワインについて書かれた記事がありました。https://news.line.me/articles/oa-webeclat/b4abef016ef6

出典:Web eclat

待っていると、中国人の若い女性3人がやってきました。

しきりにスマホとバス停の時刻表を見ながら議論しています。どうもスマホの情報と時刻表の情報があっていないようです。

スペイン人らしきカップルもやってきました。彼らもバス停の時刻表を見て戸惑っています。しばらく議論していましたが、諦めたらしく去って行きました。

しばらく待っていると1台のバスがやってきました。来る時に乗った185番のバスです。

しかしバス停に書かれた情報では、185番のバスは「Ellenger Gare」行きでリミシュには行かないはずです。

それでも何か情報が得られればと思い、「ルミシュに行きますか?」と私は運転手に聞きました。

「ルミシュには行かない。待っていれば別のバスが来る」と運転手は答えます。

仕方なく、バスを降りようとした私たちに一緒にバスを待っていた中国人女性が声をかけてくれました。

「ルクセンブルクに行くんじゃないですか?」

そうだと答えると、女性は「このバスでOK」と言います。どうやら彼女たちの検索したルートではこのバスで正解なようです。

せっかく教えてくれたので、彼女たちに運命を委ねることにしました。

途中、先ほどバス停を去ったスペイン人カップルがバスに手を挙げているのが見えました。しかし、そこは止まる場所ではなかったようで、無情にもバスは通過します。

中国人3人のうち1人は少し日本語も話せるようで、「途中でバス代わります」と日本語で親切に教えてくれました。

中国人に助けられたのは生まれて初めての経験です。

バスは再びのどかな田園風景の中を走り・・・

何もないバス停に止まりました。ここが終点です。

そしてしばらく待っていると、彼女たちが教えてくれた通り、ルクセンブルク行きの175番のバスが来たのです。

やはりこんな場合、ネット情報は貴重です。

私はお金を惜しんでホテルのwi-fiだけで済ますことが多いのですが、こうした田舎に行く時ほどネット環境のありがたさを感じます。それにしても、中国人たちが利用する検索アプリの精度も大したものです。

声をかけてくれた中国人の彼女たちに心から感謝しながら、ルクセンブルク中央駅に無事に帰り着きました。

結果的には、「Schengen, Ennen am Doref」バス停から185番のバスに乗り、終点の「Ellenger Gare」で175番のバスに乗り換えるというのが私たちの帰りのルートでした。

平日ならどうなのか? 別の時間ならどうなのか?

その都度確認しながら行動する必要がありそうです。

ルクセンブルク中央駅の構内にバスのインフォメーションもありますが、もしネットにアクセスできるのであれば、Googleなどでその都度ルート検索するのが一番だと思います。

国境とは・・・?

シェンゲンは決して観光地ではありません。

でも、行く価値のある場所だと私は強くオススメします。

それほどルクセンブルクの完全に開かれた国境は、見るに値します。

シェンゲン協定を含むEUの試みとは、戦争を繰り返してきた人間たちが、話し合いによって戦争を防ぎ、統合しようという壮大な実験です。

それぞれの違いを尊重しながらも共通の利益を最大化するためには、国境検査などない方がいいという結論に達したのです。それによってヨーロッパは競争力を取り戻し、アメリカに対抗しうる巨大市場を作り上げたのです。

その動きは今年60年目を迎えました。

人と人が話し合うためには、膨大な時間がかかります。忍耐と寛容の精神、そして相手のことを思いやる想像力が必要です。

こうした努力の積み重ねをぶち壊すのは簡単でしょう。

ただひたすらに自分の利益だけを追求し、力で相手をねじ伏せる。そうした行動を続けることで、ガラスの塔は簡単に崩れ去ります。

EUは今、重大な危機に直面しています。

10月には、イギリスのEU離脱が強行されるでしょう。イタリアでも、ハンガリーでも、ポーランドでも、EUに反対する動きが活発化しています。

今のところ、要となるドイツとフランスの首脳がEU擁護の姿勢を保っているので何とか持ちこたえていますが、両首脳の政権基盤も揺らいでいて近い将来激震が走るかもしれません。

人類が歩んでいく手本としてEU諸国が統合を進化させ、新たな希望を生み出してくれることを願いながらシェンゲンの町を後にしました。

4泊5日ルクセンブルクの旅

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