中央アジア2ヵ国目、キルギスに入国した。
今、イシククル湖畔のホテルの庭でこの記事を書いている。
日本の猛暑を忘れるような気持ちの良い風が吹いている。

昨日は朝から晩まで、ずっと車に乗っていた。
朝アルマトイを9時に出て、西へ200キロ、コルダイという街で国境を越え、今度は東へ250キロ、途中世界遺産の遺跡にも立ち寄ったので、その距離はさらに長くなった。
そして宿にたどり着いたのは夕方6時前のことだった。
でも予想していたほど疲れてはいない。
なぜならキルギス側の国境で白タクをチャーターしたからだ。

パスポートのチェックだけの簡単な入国審査を経てキルギス側に出ると、すぐに商売人たちが寄ってきた。
多くはSIMカードの売人と白タクの運転手だ。
ネット情報では、彼らは無視してバス乗り場まで進みましょうと書いてある。
でもこの日の私は彼らを必要としていたのだ。

まずはキルギスで使えるSIMを入手したい。
手に何枚ものカードを持った若者たちが群がってきた中から、比較的英語が通じそうな男の子を選び交渉する。
LTEが使えて料金は1500テンゲだという。
およそ480円、安い!
それ以上にすでに用済みになっていたカザフスタンの通貨テンゲで買えるのが嬉しくてすぐに交渉成立。
その場でお兄ちゃんにスマホを渡し、SIMカードを交換してもらう。
ちなみにカザフスタン側では使えていたカードがわずかに移動したキルギス側では電波を受信できなかった。

こうして無事にSIMカードを手に入れた私は、次に白タク探しを始めた。
最終目的地はイシククル湖の中心地チョルポンアタのホテルなのだが、途中にある世界遺産「ブラナの塔」に寄るために白タクをチャーターするのだ。
キルギスの人たちの間ではブラナの塔はあまり知られていないと聞いていたので、ポイントはこの世界遺産にちゃんと案内してくれるドライバーを見つけることだった。
キルギス人の運転手はほとんど英語が通じない。
「地球の歩き方」に載っている塔の写真を見せながら場所を知っているドライバーを探す。
すると英語を話す若者が近づいてきて、「ブラナに行きたいのか? OK」という。
ブラナの後、チョルポンアタまで行くと伝え値段を確認する。
男は8000ソムだと答えた。
キルギスの通貨ソムのレートは現在、1ソム=1.65ソムくらいだから、1万3000円あまりという計算になる。
300キロ走ってその値段なら悪くはない。
こういう場合には、わずかな金額をけちって値切り交渉ヲするのではなく、相手の言い値で気持ちよく働いてもらうのが私のやり方だ。
私は即決し、男についていくと、駐車場に停まっていたフォルクスワーゲンに案内された。
運転手は彼の兄弟だと私に紹介しながら、彼はキルギス語でワーゲンの運転手に私の希望を伝えているらしい。
運転手は納得してワーゲンに乗れと言う。
私は言われるままにワーゲンの後部座席に収まったが、その直後、英語が話せる男がバツが悪そうに別の車に乗り換えて欲しいと言ってきた。
車の調子が悪いのでもっと大きな車に変えるというのだ。
ちょっと胡散臭い感じだが、私は長年の勘でキルギスの運転手たちにさほど危険な感じを受けなかったので、素直に応じることにした。

次に案内されたのはホンダのワゴン。
車体は古いが確かに広くて長距離ドライブには楽そうである。
ホンダの運転手も全く英語ができないため、また最初の男が私の行き先を伝えている。
運転手は納得して、私に助手席に乗るよう促した。
私は後ろの方がいいと言って、勝手に後部座席にデンと座る。
運転手もそれ以上は言わず、たくさんの車が停まっている駐車場から慎重にワゴン車を通りまで出した。

8000ソムを支払うためにまずは両替ヲしなければならない。
私はアルマトイ市内の両替屋で100ユーロをキルギスソムに替えてきてはいたのだが、9000ソムしかなく、白タクに8000払うと手持ちのソムがなくなってしまう。
その話は英語を話す男にも伝えていたため、ホンダの運転手もまず国境近くにある両替屋の前で車を止めてくれた。
とりあえずカザフスタンのテンゲを全部ソムに替えようと思った。
SIMカードをテンゲで買ったので残っている手持ちは4万2000テンゲだった。
それを全て渡すとちょうど8000キルギスソムになった。
偶然、白タクの料金と同額である。
これでアルマトイで両替した分はまるまる残ることになる。
こういう偶然もちょっと幸せな気分にしてくれるものだ。

両替を済ませた私たちは一路「ブラナの塔」を目指す。
カザフスタン側ではずっと草原が続いていたが、キルギスでは一転畑が広がっている。
わずかな距離でこんなにも環境が変わるのだろうか?
国境で手に入れたキルギスのSIMカードは快調で、ちゃんとGoogleマップで自分たちの位置が確認できた。
知らない土地では間違った場所に連れて行かれても抵抗する術がないが、googleマップがあれば間違いが指摘できる。
本当に便利になったものだ。
惜しむらくは、これが日本の技術ではないということだ。

皮肉なことに、カーナビには日本語が表示されていた。
『地図ディスクを確認しています。しばらくお待ちください。』
おそらく日本の中古車が輸出され、異国でカーナビもう作動しないまま使われているのだろう。
Googleマップと日本のカーナビ。
何だか今の日本の位置付けを見せつけられているように感じた。

片側2車線の幹線道路に出ると、運転手は100キロ以上のスピードでぶっ飛ばしながらスマホをいじり始めた。
見るとTikTokで動画を見ているのだ。
時折、電話もかかってきて、スピードを落とすことなくずっとスマホを耳に当てたまま話している。
日本なら確実にアウトだが、キルギスではこれが普通の運転マナーらしい。

Googleマップを見ていてある事に気づいた。
この道はずっとカザフスタンとの国境沿いを走っていて、左手には両国を隔てるチュー川が流れているのだ。
この川の流れが周辺の大地を潤し、カザフ草原とは違う風景を作っているのだ。
この地域は南を天山山脈、北側をその支脈で挟まれた谷のような地形になっていて、万年雪をいただいた山々から年中豊富な水が供給される。

そして、目の前に高い山が見えてきた。
ユーラシア大陸の中心にそびえる天山山脈、正確に言えばその支脈なんだろう。
キルギス東部を貫くいくつもの大山脈とそれがもたらす豊かな水がかつてこの地に権力者たちを引き寄せた。

私が白タクをチャーターしてまで訪れたかった世界遺産「ブラナの塔」は、そうした時代の痕跡である。
その塔は、南北に山脈を望む平地にポツンと立っていた。
ここは10世紀ごろに栄えたカラハン朝や西遼の都ベラサグンがあったとされる場所。
そしてすぐ近くには帝京大学が発掘を進めている突厥帝国の都もあったのだ。

だだっ広いカザフ草原よりも南北を高い山に囲まれたこの土地は都を置くのにふさわしいと権力者たちは考えたのだろう。
そして何よりここには豊富な水と、それがもたらす緑の大地がある。
この遺跡については、落ち着いてから詳しい記事を書くとして、白タクの話に戻ろう。

「ブラナの塔」の見学を終え、イシククル湖に向かおうと車に近づいた時、一人の若者が英語で話かけてきた。
最寄りの町まで乗せてくれないかというのだ。
私は構わないので運転手と交渉してくれと答える。
どうやらすぐに話がまとまったようで、若者は離れたところで様子を窺っていた仲間2人を呼んだ。
どうやら300ソムを支払うことになったらしい。
私に話しかけてきた若者はパキスタン人で、イラン人の男性とロシア人の女性と行動を共にしているという。
イラン人の男は元格闘家で日本でも試合をしたことがあると話し、カーナビに日本語が表示されているのに気づいて部分的に読んでみせた。
男性2人は中国からずっと一緒に旅をしているらしく、漢字も読めるようだ。
相当長期間の旅をしている様子だが一人で旅してる日本人には初めて会ったと言い、「あんたも一緒に旅しないか?」と誘われたが丁寧にお断りをした。
もう、そういう旅をする元気はない。

3人を町で降ろし、再び英語の通じないドライバーと2人で東を目指す。
思わぬ臨時収入を得たのに気をよくしたのか、運転手は電卓を取り出し、「マネー、マネー」と金の話を始めた。
電卓には電卓には1万5000と表示されていた。
私は取り合わずにノーと言って首を振る。
すると運転手の提示する金額が1万2000に下がった。
私は再びノーと首を振り、スマホの電卓に8000と打ち込んで運転手の目の前にかざした。
運転手は呆れたふりをして笑い、電卓の数字を1万に、さらに9000に減らしたが、私が全く取り合わないので、そのうち話すのをやめた。
こういう交渉の仕方は面白いほど世界中共通だ。
きっと人間の本質的な部分に組み込まれた駆け引きなのだろう。

そんなことをしているうちに、道はどんどん険しい山中に入っていく。
両側には木の生えていない急斜面が迫り、道は左右に激しく蛇行を繰り返す。
おまけに雨まで降り出して、運転手にも無駄話をしている余裕がなくなった。

ようやく山道を抜け、イシククル湖の端っこあたりまで来たところで、車はガソリンスタンドに停車した。
給油のため運転手は再び「マネー」と言って私の方を向き札を数えるような仕草をした。
私はここで国境で両替したばかりの8000ソムの札束をそのまま運転手に手渡す。
こういうことは過去に何度もいろんな国で経験してきた。
運転手は給油する金銭を持っておらず、客を捕まえてから客の金銭でガソリンを入れるのだ。
8000ソムを渡すと、運転手はさっきまで値上げ交渉をふっかけてきたのが嘘のように嬉しそうにトイレに行った。

ガソリンスタンドに併設されたトイレは掘立て小屋のような粗末なものだったが、道の反対側には少し立派なトイレがあり、私はそっちで用を足そうと道を渡った。
ここも有料かな、キルギスの小銭がないななどと考えながら、トイレの前に座っているおばさんに気づかないフリをしてトイレに入る。
おばさんは何も言わなかった。
世界各地の有料トイレの門番は大抵厳しい人が多くて、金を払わずに入ろうとするとすごい剣幕で怒られるものだ。
ひょっとすると、あのおばさんはただトイレットペーパーを売っているだけなのか、それともキルギスの人は気が小さいのか、その答えもわからないままお金を払わずトイレを使わせてもらった。

トイレの並びには、干し魚を売る屋台がずらりと並んでいた。
ここはイシククル湖の入口。
湖で獲れた魚はこの地域の特産品に違いない。
それにしても、日本の干物と比べるとかなり雑な感じがして買う気が起こらない。

大きな湖が見えてきた。
これが「中央アジアの真珠」とも呼ばれるイシククル湖だ。
この日は生憎の天気ではあったが、対岸の一部だけ雲の切れ間があって、そこから奇跡のように万年雪を頂いた峰々が見える。
あれこそシルクロードの旅人たちも見上げた天山山脈に違いない。
白タクの後部座席の窓にスモークが貼られているのがもどかしい。

こうして目的地のポルチョンアタが近づいてきた頃、運転手が再び電卓を取り出し新たな提案をしてきた。
自分を指差しながら「ビシュケク」と訴えている。
どうやらイシククルからビシュケクも自分の車を使えと言いたいらしい。
電卓には5000と表示されていた。
私はまたノーと首を振り、「バス」と答えると、電卓の数字は4000から3000へと下がり、最後には2000まで下がった。
それでもノーと断っていたのだが、運転手はいつまでも諦めない。
そのうち私も2000ソムならいいかという気になってきた。
ミニバスを使えばもっと安く行けるだろうが、ホテルからバスターミナルに行って、ビシュケクに着いてまたバスターミナルからホテルまで移動しなければならない。
その手間を考えたら、3000円ちょっとという要求額は高くない、と思った。
OK。
私が根負けしてそう答えると、運転手は嬉しそうにしながら、またTikTokの画面をいじりだした。

予約したホテルを苦労して見つけ出したどり着いたのは午後6時よりは少し前だった。
国境を出てから4時間半。
途中で遺跡に立ち寄って少し時間を使ったものの、運転手はおよそ300キロを3時間半で走ったことになる。
まさに激走であった。

別れ際、運転手と握手して、Google翻訳を使って時間を入念に確認した。
明日、23日、午後2時、この場所。
運転手は何度も繰り返して確認し、満足そうに去って行った。
ただ、この話には後日談があるのだが、長くなったので、また別の記事で紹介することとしたい。