<きちたび>中央アジアの旅2023🐪 ウズベキスタン🇺🇿 出国時に必要とされた滞在登録「レギストラーツィア」、私はノーチェックだった

10日間にわたって中央アジアを駆け回った旅行も終わり、ウズベキスタンを出国したのは8月28日のことだった。

サマルカンド滞在中、私はある驚愕の事実を知った。

ウズベキスタンの出国時には、宿泊した全てのホテルから発行された滞在登録「レギストラーツィア」が必要だという情報である。

これは外国人を管理するためにソ連が採用していた制度で、それが中央アジア、特にウズベキスタンで残っているというのだ。

私が持参した少し古い「地球の歩き方」を見ると、確かにこう書いてあった。

ウズベキスタンでは、宿泊する町すべてでこの滞在登録をしなければならないことになっている。ホテルやB&Bに泊まった場合は、パスポートを預けた際に自動的にやってもらえるので、特別に自分で何かする必要はない。これを済ませたという証拠に、スタンプが押された小さな紙が必ずもらえる。この紙は滞在登録した証しなので、絶対になくしてはいけない。宿泊期間が記入されているので、延泊するときなどは書き加えてもらうことを忘れずに。

ウズベキスタンでは外国人の違法滞在が問題となっており、出国時や町なかでの取り締まりも厳しい。また前日に宿泊したホテルの滞在登録がないと宿泊自体断られることもある。なお違法滞在が見つかった場合、多額の罰金もしくは国外強制退去の罰が科せられる。

引用:「地球の歩き方 中央アジア 2017~18」より

おいおい、やばいよと思った。

なぜならタシケントで宿泊したホテルからそんな紙切れ受け取っていなかったからだ。

慌ててネットでウズベキスタンの「レギストラーツィア」について調べてみる。

「地球の歩き方」のweb版に2023年最新版として『ウズベキスタン旅行の際の滞在登録(レギストラーツィア)について』という記事が載っていた。

おそらく皆さんが思っている以上に快適な旅行ができるはずのウズベキスタンですが、大きな落とし穴が一つあります。それが、旅行者が各都市に泊まる度に行わなければならない「滞在登録(レギストラーツィア)」。ガイドブック『地球の歩き方』にもしっかりと説明が載っており、何だこのいかにも旧ソ連らしい面倒な制度は…と思った方も多いのではないでしょうか。
この滞在登録、登録済みと証明する紙がなければ出国どころか次の宿すら泊まれなかったとか、いややってなかったけど余裕で出国できた、実質もう機能していなさそうとか、ネットにはあらゆる体験談が飛び交っています。実際のところはどうなのか、私の知りうる限りの情報をお伝えします。

まず前提として、滞在登録の制度は現在でも生きています。2020年にこの制度を廃止するという話もあったのですが、コロナ禍でうやむやになってしまったようです。滞在登録に不足分が見つかると、数千ドルの罰金を請求される場合もあるとのこと。というわけで、ウズベキスタン旅行の際は必ず全てのホテルで滞在登録をしてもらうようにしましょう。
といっても大方のホテルでは特別な手続きをする必要はなく、チェックインのときにパスポートを預けるとこの紙切れを渡されて終了、ということがほとんど。この紙切れを出国まで必ず携帯しておいてください。

引用:「地球の歩き方」web版

おいおい、やっぱり紙切れは必要ということじゃないか。

こんなことなら、もう少しちゃんとガイドブックを読んでおくべきだった。

後悔先に立たず。

ということで、対策を考える。

私が出した結論は、タシケントでの乗り換え時間にホテルまで行って「レギストラーツィア」をもらってくるということだった。

帰国の日、サマルカンドからタシケントへの国内線が到着するのが午後4時半過ぎ、そして仁川空港行きの国際線が出発するのは午後10時の予定だ。

市内まで行って空港に戻ってくる時間は十分にある。

しかもタシケント空港は国内線と国際線のターミナルがとても離れていて連絡バスもないため、いずれにしてもタクシーか車を捕まえて客が自分で移動するしかないらしい。

ということで、タシケント空港に到着した私は、再びロシア版の配車アプリ「Yandex Go」を使い、宿泊した市中心部の「ハンプトン・バイ・ヒルトン・タシケント」に向かった。

ホテルに着くとフロントに直行して、「レギストラーツィアをもらっていないので発行してほしい」と依頼した。

対応したスタッフは、別に謝罪するわけでもなく、必要ないですよとも言わず、私の宿泊日を確認して事務的に「レギストラーツィア」をプリントしてくれた。

これが「レギストラーツィア」。

サマルカンドの宿でもチェックアウトの際しっかりもらったので、これで必要な2枚が揃ったことになる。

これで堂々と出国審査に臨める、そう思ったらホッとしてホテルのロビーで紅茶を飲みながらゆったりと時間調整ができたのだ。

タシケント空港へは再び配車アプリを使う。

夕方ということか、なかなか車がつかまらない。

ようやく車に乗って空港に向かうと夕方のラッシュにはまって車が思うように走らない。

それでも時間に余裕を持ってホテルを出たので、空港に着いたのは出発時刻の3時間前だった。

私が乗る予定のアシアナ航空のカウンターの前には白いポロシャツに白いキャップを被ったお揃いの人たちが長い列を作っている。

何じゃこりゃ。

前日、アシアナ航空のアプリからオンラインチェックインを試みたのだが、仁川〜成田間のボーディングパスはすぐに得られたのに、タシケント〜仁川間はなぜか出てこない。

仕方ないので、このカウンターで手続きせざるを得ないのだ。

少しカウンターが空くのを待ってから並ぼうと、ちょうどカウンターを見下ろす位置にあった椅子に腰掛け様子を伺う。

予想通り、長い列はなかなか前に進まない。

さらに後から来た客が並ぶものだから、当分この列が解消することはないだろう。

こうして1時間以上、椅子に座ったまま待ち、白い軍団の姿が見えなくなってからカウンター前の列に並んだ。

そしてようやくチェックインが終わり、問題の出国審査に進んだ。

ところが、である。

係官は私のパスポートをチェックしただけで、「レギストラーツィア」のレの字も言うことなく審査は終了したのだった。

あれ?

拍子抜けもいいところである。

ネット情報に撹乱されてわざわざホテルに取りに行ったのに、全くの無駄足だったというわけだ。

配車アプリの料金は安いので、往復でせいぜい1000円ほどの出費だったが、この「レギストラーツィア」騒ぎには大きなモヤモヤが残った。

この制度はもう廃止になったのか? それともたまたま運が良かっただけなのか?

それさえわからないのが、こういう国に共通する難解さである。

こうして無事に中央アジアを出国することになった私は、空港の免税店で家族へのお土産としてパッケージがかわいいチョコレートを4箱買った。

裏を見ると、「MADE IN UAE」と書かれていた。

中央アジアの土産としてアラブ首長国連邦のチョコを買って帰るというのもなんとも微妙な感じだ。

でもまあ、機内ではゆっくり寝て帰ろう。

ところが、そうすんなりは行かなかった。

タシケント発のアシアナ航空便は、乗客がなかなか揃わず出発が40分も遅れた。

仁川空港での乗り換え時間は45分しかない。

これは致命的な遅れである。

CAの言うことを聞かず、通路をうろうろしておしゃべりするおじさんたち、勘弁してくれよ。

仁川空港に到着した時には、乗り継ぎ便の出発時刻を過ぎていた。

これはヤバい。

今日中に日本に帰れるだろうか?

飛行機を降りると、地上係員が焦った顔で待っていて、成田行きの客を集めて「急いで」と一声かけて走り出した。

私は走って後を追うが、客の中には高齢者も結構いる。

ちょうど添乗員付きのシルクロードツアーの客が20人ほど一緒の便に乗っていたため、アシアナ航空が急遽成田行きの便の出発を30分遅らせたようなのだ。

ラッキーである。

もしも彼らが一緒でなければ、乗り継ぎ便は時刻通りに出発していただろう。

大いに焦ったが、なんとか急いでトランジットエリアを抜けて成田行きの飛行機に駆け込んだ。

出発が遅れ機内で待たされた他のお客さんたちの視線が冷たい。

こうして仁川発成田行きのアシアナ航空機はおよそ1時間遅れでようやく飛び立ったのである。

ごめんなさいね。

でも私たちのせいではなく、中央アジアの人たちがちゃんと席につかなかったのが原因なのだ。

この便は最新のエアバス機だったため、ちゃんとシートにモニターもついていた。

ただ、深夜便だったのにあまり眠れず映画などを見る気になれなかった。

そのため航路図などをぼんやり眺めていたのだが、さすが韓国の航空会社だけに地図にははっきりと「独島」が常に表示されるようになっていることに気づいた。

日韓の領土問題も尹錫悦政権の誕生で当面は穏やかになっているが、こうしたちょっとした所で消えない争いのタネが残っていることを感じる。

あんな島、さっさと韓国にあげてしまえばいいのにと私は常々思うのだが、そんなことを言うと怒る日本人もきっとたくさんいるのだろう。

しかし、紛争はどちらかが譲歩しない限り、永遠に終わることはなく、その火種を悪用しようという野心家がいずれ現れることになるのである。

飛行機はおよそ1時間遅れで成田空港に到着し、私は京成スカイライナーで吉祥寺の家に帰った。

中央アジアの旅はとても楽しかったが、日本に帰ってホッとしたのも事実である。

タジキスタンでお世話になったガイドさんが「日本はとてもeducatedな国だ」と言ったのがとても印象に残った。

「educated」、教育された国民、まさにそうである。

彼が印象に残る日本人像と言えば、サッカーの試合後ゴミ拾いをする日本人サポーターの姿だという。

確かに日本人はよく教育され、統制された国民である。

その点、中央アジアの人はいまだに行列に割り込みはするし、道路では譲らないし、剥き出しの人間性が残っている。

でも、教育された日本ばかりで暮らしていると大事なものを見失う気もする。

いろんな国に行って、いろんな価値観に触れ、時に怒り、時に困惑しながら生きる意味を考える。

これからも私は元気が続く限り、そんな旅を続けたい。

日本に帰ってきてもうすぐに次の旅行の計画を立て始めている。

中央アジアの旅2023🐪

コメントを残す