<きちたび>アラビア半島の旅2023🕌サウジアラビア🇸🇦 表情豊かな砂漠を堪能できるダンマン〜リヤド鉄道の旅

アラビア半島と聞いてまずイメージするのは石油、そして砂漠ではないだろうか。

トリップアドバイザーなどを見ると、砂漠を体験する日帰りツアーなどもあるのだが、結構値段が高い。

そこで私が考えたのは、アラビア半島を鉄道で移動して途中にある砂漠を見るという計画である。

サウジアラビアには2つの鉄道路線があり、一つはメッカとメディナという2つの聖地を繋ぐ路線、もう一つは首都リヤドと東海岸の中心都市ダンマンを結ぶ路線である。

私がバーレーンから飛行機ではなくバスでサウジに入ったのも、ダンマンからの鉄道に乗ってみたいという計画があったからだ。

こちらがダンマンにあるサウジアラビア鉄道公社SARの駅である。

建物は立派なのだが町外れの不便な場所にあって、運行本数も少ないため、日本でイメージする駅前の賑わいはまるでない。

場所の下見を兼ねて、私は前日に切符を買いに行った。

建物の中もピッカピカ。

ただ、カフェがひとつあるだけで、ごはんを食べられるようなところもなければ両替所もない。

そして何より乗客がほとんどいないのだ。

旅行者にとってはあまり機能的とはは言いがたい何もないこの駅で、なぜか香水のお店だけがあって、黒い服を着た店員さんが暇そうにしているのはなんでだろう?

まさに、謎である。

チケット売り場は、そんな謎の香水屋の近くにあった。

切符を買い求める列もなく、カウンターで暇そうにしているおじさんに「明朝のリヤド行きの切符を買いたい」と告げた。

サウジアラビアの鉄道には1等席と2等席があり、午前中唯一の列車はすでに1等が売り切れだという。

日本でも大方の途上国でも値段の安い席から埋まるのが普通だが、サウジアラビアでは1等から先に埋まるのいうのがお国柄だと思った。

こちらがチケットだ。

朝の7時52分発だが、出発の45分前までには駅に来るよう書いてある。

料金は2等車のエコノミーで135リアル、おおよそ4700円だった。

翌日わかったのだが、地元の人はネットで切符を買うのが普通のようで、チケット売り場のおじさんもネットで予約したのをプリントアウトしただけだったようである。

そして2月7日、鉄道旅の当日は初めてUberを利用して駅まで行った。

わざわざ駅から一番近い宿に泊まったのだが、それでも片道3キロもあり、荷物を背負って歩くのは面倒だと感じたからだ。

初Uberは不安だったので、相当余裕をみて午前6時にホテルを出発した。

前日夕方の混雑が嘘のように道が空いていて、車はすぐに駅に到着した。

まだ出発までには1時間半以上ある。

カフェはもう空いていたので、軽い朝食をここで取ることにした。

この日の朝食はフルーツサラダとカラメル・マキアートで33リアル(1180円)。

ここもコーヒーはスターバックスが請け負っているらしい。

サウジアラビアの人は日本以上にスタバが好きなようで、飲食店は少ないのにカフェだけがやたらに多いのだ。

7時が近づいた頃から、乗客が徐々に集まり始める。

みんな車で駅に乗り付けて、男女とも民族衣装に身を包んだ人が多い。

彼らは迷わず1等車専用のラウンジに入っていく。

そして私と同様、ラフな服装の人たちはロビーの椅子に座って待つのである。

外国人の旅行者もいれば出稼ぎ労働者風の人もいる。

だから1等席から先に埋まるんだと合点がいった。

サウジの人たちは普段から高級車に乗るのが当たり前で外国人労働者などと同じ席には座りたくないという人が多いに違いない。

カフェから行き交う人々を観察しながらそんな想像をめぐらしているうちに改札が始まった。

出発時刻まではまだ30分以上ある。

切符やスマホの二次元バーコードを読み込み、改札はスムーズに進んでいく。

どうせこの駅から午前中に発車する列車はこれ1本なんだから、急いで乗客を乗せなくてもいいのにと感じたが、どうやら駅員たちが乗客を急かせるには理由がありそうなことがこの後わかる。

改札を抜けると、もうそこはホームだった。

ホームの床にも石のタイルが敷き詰められていて、スーツケースを引く人にはありがたいだろう。

ホーム入り口の天井にはエキゾチックなシャンデリアが。

やはりこの秋は何かお金をかける場所が違っている気がして仕方がない。

これが私たちが乗り込む列車。

車両はスペイン製だと何かに書いてあった。

さて、指定席のはずだが私の席はと確認すると、SEATの欄に「D51」、TRAINの欄に「5」と書いてある。

日本風に解釈して5号車に乗ればいいんだなと思って車両を探すと、各車両には数字ではなく、アルファベットが書かれている。

つまり、私はD号車に乗るということかとホームにいた職員に確認すると、「そうだ」という。

D号車の前には女性のグループがいて、ポーターを何人も使って大量の荷物を積み込んでいた。

彼女たちも1等車が買えず、やむなく2等車に回ってきた口だろう。

そしてようやく荷物の積み込みが終わり、彼女たちの後ろから乗り込むと、私の席であるはずと61番にすでにおばさんが座っていた。

おばさんは私に気づき、「あんたこの席?」というようなことをアラビア語で言った後、「あんたそこに座りなさい」的なことをジェスチャーでアピールする。

ちょうどそこは向かい合わせの席で、私の席の方が進行方向に向かっているのでこっちがいいという意味だろうと理解し、私がおばさんの向かいの席に座ろうとすると、今度はポーターの一人がカタコトの英語で「男と女が相席はできないから、あんたあの辺の空いた席に移ってよ」と言うではないか。

確かに、厳格なイスラムの国では男性と女性は同席しないと聞いたことがある。

後方の方は席がいくつも空いていて、私もずっとおばさんと向かい合っているよりあっちの席の方がいい。

そこで一旦棚に上げた荷物を下ろし、後方に移動する。

どこに座ればいいか迷っていると、おじさんが「どこでもいいからとりあえず座って後で調整すればいいから」とアドバイスしてくれた。

これって、指定席の意味あるのかなあ?

乗客はその後もばらばらとやってくる。

その度に席の調整が行われるのだが、必ずしも指定席を持っている方が強いわけではないようだ。

どちらかと言うと先に座った者が強く、後から来た人は不満げに別の空いた席に座っている。

発車間際私の席にも男性が来たが、何も言わずに私の隣に腰を下ろした。

この人の切符がその席だったのか、それとも窓際の私が座っている席かはわからないが、たぶん私の席だろうなと思いつつ、私は窓側の席を譲らなかった。

午前7時52分、列車は静かに動き出した。

発車のベルはならない。

車窓から、丸い建物が頂上に置かれた小山が見える。

レーダーサイトだろうか。

それにしても、列車が定刻に出発したのは奇跡のように感じる。

発車間際にやってくる客も日本のように駆け込む感じはなく、ダラダラとホームを歩いてくるのである。

45分前集合というローカルルールは、決して急がないアラブ人の行動スタイルを踏まえての定時運行の知恵なのだと感心した。

ダンマン駅を出た列車はしばらく作業場や倉庫、産廃処理場のようなところを進む。

行けども行けどもゴミが散乱した風景が続き、砂漠をイメージいていた私はがっかりした。

砂漠らしい景色に変わってきたのは、出発から30分ほど経った頃だっただろうか。

線路脇に砂の崖のようなものが見え始め、その先の風景を隠してまるで砂場の中を列車が走っているような気分が味わえる。

砂の崖はどんどん近づいてきて、列車が砂を巻き上げて視界が悪くなり始めた。

そうしてようやく砂漠気分が盛り上がってきたところで、列車は最初の停車駅アブカイクに到着した。

ホームにテントが張ってあるだけの簡素な駅。

乗降客もあまりいなかったが、列車はこの駅に10分間停車した。

アブカイクを出発した直後、砂漠の中に岩山が見えてきた。

なかなかの迫力、映画「アラビアのロレンス」で見たような風景だ。

走る列車の中から、しかも窓ガラスは汚れてうすぼんやりした風景でピントを合わせるのも難しいので、ただひたすらに写真を撮りまくる。

やはり頑張って窓側の席を死守してよかった。

だって、私以外誰も窓の外なんて眺めていないのだから。

そもそももらっていた指定席は反対側だったので、窓に光が当たって撮影には不向きだっただろう。

その意味では私の席を奪ったおばさんに感謝しなければならない。

砂漠の中にポツンと工場が見えてきた。

この辺りの砂漠は硬そうなので工業用地としても利用できるのだろう。

引き込み線もあるので、かなり大がかりな工場と思われる。

水の確保を中心にインフラの問題はあるが、何かを建てようと考えた時、土地の確保に苦労するということはこの国の場合、あまりなさそうに思える。

岩山地帯は形を変えながら10分以上続き、一口に砂漠と言ってもいろんな砂漠があるんだなあと思う。

おそらくこのあたりの地層は古く、かつては山だったところが風化してどんどん砂になったんだろう。

街が見えてきた。

ヤシの木が植えられた大きな屋敷も見える。

ここが2番目の停車駅フフーフだ。

フフーフは昔から有名なオアシス都市で、大規模なヤシのプランテーションのほか、近くには世界一の埋蔵量を誇るガワール油田があるという。

その関係なのだろうか、線路脇ににはいくつもの石油タンクが並んでいた。

線路も何本も敷かれていて、ひょっとしてこの地に優先的に鉄道が建設されたのも、乗客を運ぶためではなく石油のためなのかと思い至った。

私は石油のおこぼれでこうして砂漠見学ができているのかもしれない。

こうして午前9時20分、列車はフフーフ駅のホームに停車した。

待合室にはたくさんの人がいたが、列車が到着しても誰も立ち上がろとしない。

別の列車を待っているのだろうかと不思議に思いながら窓の外の様子をうかがっていると、列車が到着して数分経ってから何かのきっかけで全員が立ち上がり、列車に乗ってきたのだ。

再び席の調整が始まる。

とは言っても、今度は先に座っている方が圧倒的に強く、この駅から乗ってきた乗客たちは空席を探して別の車両へ流れたりした。

ひょっとして座席指定があるのは始発駅だけで途中の駅で乗る人は席が空いていたら座れるという自由席扱いなのかもしれない。

停車中、椅子の隙間からちらっと見える美しい女性に気がついた。

目だけが見える「ニカブ」という民族衣装を着ていたが、その唯一見える目元が魅惑的で思わず写真を撮ってしまった。

今回の旅の途中、彼女のような目元美人を何人も見かけた。

若い頃ならもっと興奮しただろうが、60代ともなるとあくまで目の保養、男はいくつになっても美人にはついつい目がいってしまうものである。

ところが、この後で車内販売のコーヒーを飲むために、彼女が顔を覆っていた黒い布を外した瞬間があった。

するとどうだろう、さほど魅力的ではないのだ。

つまり鼻や口が見えない方が美しく見えるということなのだろう。

日本でもコロナ禍でマスク美人という言葉がよく使われたが、イスラムの衣装にも単に顔を隠すという意味だけではなく、女性を美しく見せるという狙いもあるのかもしれない、彼女を見ながらそんなことを考えたりした。

列車はフフーフ駅に13分間停車した後、再び静かに動き出した。

ここから終点のリヤドまではもう街もなく、ノンストップで砂漠の中をひた走る。

フフーフの街は崖に囲まれている。

すぐ近くに砂漠があって、そそり立つ崖があって、緑のプランテーションがある。

かつて展示会であった観光局の人が「フフーフがオススメ」と言っていた意味が少しわかった気がした。

こうした風光明媚な場所だからだろうか。

砂漠の中にポツンと立つテントをいくつも見かけた。

クウェートで聞いた話だが、アラブの人は何もない砂漠にテントを張り、そこでキャンプをするのが好きなのだそうだ。

ここは眺めもいいからわかる気もするが、もっと何もない荒地のような場所でもキャンプをする。

そこで何かをして遊ぶわけではなく、大きなテントの中で家族全員で食事をして、ひたすらおしゃべりをするのが楽しいのだそうだ。

やはり遊牧民の血が騒ぐのだろうか?

砂漠の中に今度は広告の看板が立っていた。

なんでこんなところにと思ったが、鉄道と並行して砂漠な中を1本の道路が走っているのだ。

時折、トラックなどが走っているのが見える。

ガソリンスタンドなどはほとんど見かけなかったので、もし車にトラブルが起きれば結構大変だろうなと要らぬ心配などをする。

9時50分。

ラクダがいた。

この辺りのラクダはヒトコブラクダで、ラクダ飼いに付き添われて一群で砂漠を歩いている。

周辺には餌になりそうな草もまったく生えておらず、なんでわざわざこんなところで遊牧しているんだろうと不思議になる。

ここまで通ってきただけでも、もう少し草が生えた場所もあったのに、人間様が付いてるのにどうしてだろうと思ったのだ。

ひょっとするとラクダ飼いにも縄張りというものがあるのかもしれない。

人間には知恵もあるが、縄張り意識も強いのだ。

続いて、パイプラインらしきものを発見。

広大な砂漠ではあるが、人間の手が入っていない手付かずの砂漠というのは意外なほど少ないように見える。

これも鉄道沿線だからで、線路から離れれば見渡す限りの砂漠にもお目にかかれるのだろうか?

10時6分、再び遠くにラクダの姿が見える。

今度は砂山がバックなので、まるで平山郁夫さんの絵画のようだ。

本当にいろんな砂漠がある。

今度は砂漠の中にポツンと1本だけ木が生えている。

植物というのもしぶといもので、少しでも水が確保できる場所には何かしらの植物が生きている。

植物を見ると、雨が降った時のどこが川になるか、どこに水たまりができるかがわかる。

こうした植物がラクダを生かし、アラブの民を長年守ってきたのだ。

そう考えると、植物もラクダもアラブの人もみんなすごい生命力だと感心してしまう。

10時21分、窓のすぐ外側に壁が迫ってきた。

タモリさんが喜びそうな地層が剥き出しになっている。

おそらくはこの鉄道を通す時に山を削った切り通しだと思うが、地層の重なりを見るとさまざまな岩石が堆積してこの砂漠が作られたことがわかる。

11時を過ぎると、砂の色が変わってきた。

リヤド近郊にある観光名所が確か「赤い砂漠」と言ったと思うが、まさに赤い砂漠である。

1台のショベルカーが何やら作業をしていた。

出発直後から時々砂の処理を行っていると思われる重機を目撃したが、何もせず放置しておくと、きっとあっという間に線路は砂に埋もれてしまうのだろう。

日本でも雪国の人が雪と格闘するように、砂漠で生きる民は常に砂と戦う運命なのだ。

赤い砂漠はしばらく続き、次第にやだらかな砂丘へと変わった。

光線の具合で写真ではよくわからないが、風の吹き付けるままに柔らかそうな砂の凹凸がどこまでも広がっている。

これぞまさに私たちが抱く砂漠のイメージそのものである。

もしもコマーシャルの撮影に来ているのなら、ここで迷わず列車を止めカメラを回すに違いない。

赤い砂漠は30分ほど続いて、再び白っぽい色に変わった。

ずっと泣いたり眠ったりを繰り返していた前の席の子供が椅子の隙間から私を見つけた。

明らかに親たちとは違う雰囲気の人間に興味を持ったようで、じっとこちらを見つめている。

アラブ人の子供は総じて可愛い。

非常食として持っている薄いチョコレートをひとつ差し出すと黙って取った。

これで少し静かになるだろう。

日本人の親ならばどんな奴がくれたのか、お礼を言いつつ相手を観察したりするものだが、その夫婦は振り返りもせず、降りる際に父親の方が私に微笑みかけただけだった。

このあたりも文化の違いなのだろう。

リヤド到着時刻の11時54分が迫ったが、列車はまだ砂漠の中を走っていた。

それでもリヤドが近くなったのか、砂漠でキャンプするテントや車の数が増えてきた。

このあたりの砂漠には結構草が生えていて、先ほどのラクダたちに食わせてやりたいほどである。

やがて木が生えている場所に家らしきものもポツリポツリと見え始める。

久しぶりに人間の気配が濃くなってきた。

立派な断崖も見えてきた。

トリップアドバイザーでリヤドの有名観光地である「世界の果て」という崖のツアーに申し込もうとしてうまくいかなかったことを思い出した。

あれってまさか後で料金だけ請求されることないよなといささか心配になるが、どうせ似たような景色なんだろうとも思った。

こうして、列車は20分遅れで終点のリヤド駅に到着した。

砂漠のさまざまな表情を堪能した4時間半の旅だった。

とは言っても、砂漠を楽しんでいたのはこの車両で私一人だけ、他の乗客たちはいびきをかいて寝ていたり、ずっとパソコンをしていたりで、ほとんどの窓にはカーテンが下されたままだった。

歩くのが嫌な女性たちは荷物と一緒にカードで出口に向かう。

アラブ人はよく食べ、運動はしないのが普通らしい。

だから平均寿命は短いという。

それでも若い人は昔よりスリムになったというが、時にはびっくりするような人もいる。

女性たちの黒い服は素顔だけでなく、彼女たちの体型も完全に隠しているのである。

恐ろしや、恐ろしや。

ついでながら、リヤド駅到着後にもちょっとした話があった。

駅前にタクシーが何台も止まっていたので、これでホテルまで行こうと思ったら、タクシーの運転手は何を思ったのか知り合いらしき男に声をかけ、あいつの車で行けといった仕草をする。

よく見ると緑色をした正規のタクシーはみんなここでは乗り合いのようで、客と運転手があちこちで交渉している。

相乗りも面倒だしホテルに辿り着ける気がしないので、まあ白タクでもいいかと納得して男の後をついて行く。

男はいい加減そうな中年オヤジで、英語はまったく通じない。

幸いダンマンではまったく機能しなかったSIMがリヤドでは復活したので、Googleマップを見ながら行き先を伝える。

走り始めた後で、いくらだと聞くと、100リアルだという。

日本円にすると3000〜4000円程度なのでいいかと思ったが、よく考えると私はその時50リアルしか持っていなかった。

仕方なくおっさんに50リアルを渡してカッコこれしか持っていない」と伝える。

どうせ白タクなんて値段があってないようなものだ。

するとオヤジはもっとよこせと言うので仕方なく使い残しの10バーレーンディナール札を渡す。両替するとそれだけで100リアルほどになるので、私としたら150リアルの大盤振る舞いである。

オヤジは受け取った札をしげしげと眺めながら思案しているようだった。

そのままはっきりした決着がつかないまま、タクシーはGoogleマップの誘導のおかげで無事ホテルに到着した。

ここでオヤジは意を決したように、これじゃ足りないともっとよこせとジェスチャーで訴える。

私はこれ1枚で100リアルなんだと繰り返し、ありがとうどうせ言って車を降りた。

私が歩き去るのを見極めてオヤジは諦めたように走り去った。

あの後、どこかで10ディナール札をリアルに両替しただろうか。

両替すれば私が言ったことが嘘ではなかったことがわかってもらえたはずなのだが・・・。

若き日に取材先の途上国で何度も経験した白タクとの攻防。

まさかこんなところで対戦するとは思いしなかった。

この後すぐに私もサウジリアルに両替しようとしたが、サウジにはあまり両替屋がなくて、結局ATMでキャッシングすることになったのだった。

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