<きちたび>沖縄本島の旅 2020〜辺野古の海は今どうなってる? レンタカーで現地に行ってみた

🇯🇵 沖縄/名護市 2020年7月8日

コロナ禍の沖縄へ2泊3日の旅。

あまりウロウロするのも気がひけるので、基本的にはホテルで過ごしていたのだが、最終日チェックアウト後に夕方の飛行機まで時間があったので、辺野古まで足を伸ばしてみることにした。

言わずと知れた、普天間基地に代わる新しい基地の建設が進められている現場だ。

宿泊していた恩納村のホテルを出て、名護方面に向かって一般道を北上する。

沖縄サミットが開かれた2000年ごろ、この辺りはよく取材で走り回ったが、当時はこんな立派な道路はなかった気がする。

辺野古への移転を進めるため、政府がかなりの予算を沖縄北部に投入していることが伺える。

道中、ダンプカーの姿も目立つ。

辺野古に限らず、沖縄本島北部地域では公共工事が盛んに行われているだろうと推察された。

沖縄自動車道の終点となる許田の交差点を右折して、西海岸から東海岸へと抜け、東海岸を少し北へ進むと・・・

「辺野古」と書かれた看板が見え始める。

とはいえ、辺野古のどこに行けばいいのか?

観光地でもないので案内板などはどこにも何もない。

グーグルマップを開いてみると、海沿いに「辺野古フェンス前」という文字を見つけた。テレビでよく記者がリポートしている場所だろうと目星をつけて、その位置をカーナビに登録する。

カーナビの指示に従って集落の細い道を入っていくと、道は砂浜で行き止まりとなった。

浜辺には誰もいない。

砂浜の先には確かにフェンスがあり、そのはるか向こうに大型クレーンの姿が見えた。

間違いない、ここがテレビによく登場する辺野古の建設現場を望む「フェンス前」なのだ。

金網のフェンスは海まで続き、手前の浜には反対派が立てた「アベ政治を許さない」というノボリが立っていた。

「違法工事をやめろ!」「大浦湾をこわすな」という旗も見える。

大浦湾は、新基地建設予定地の北東側部分に当たり、ここに軟弱地盤が見つかった。

そして私が写真を撮っていると、フェンスの向こうから1人の警備員が姿を現しゆっくりと近づいてきた。

何か注意されるのだろうかと思いながら写真撮影を続けたが、私に何か言葉を発することはなく、私が何かおかしなことをしでかさないか監視しているだけのようだった。

フェンスには、こんな警告文が貼られている。

「第1区域は常時立入禁止区域となっており、基地司令官の許可を得ることなく立ち入った場合、日本国の法令による処罰の対象となり得ます。なお、違反行為は日本国警察又は海上保安本部に通報することになります」

正確にはわからないが、「第1区域」というのはこのフェンスの向こう側、つまり「キャンプ・シュワブ米軍基地」に隣接する砂浜と海を意味しているようだ。

このフェンスの向こうは米軍基地、アメリカが管理するエリアということになる。

英語と日本語が併記された警告文であった。

「基地司令官の許可なく、下に示す水域へ立ち入る行為、及び本掲示又は関連構造物を撤去する行為は禁止されており、日本国の法令による処罰の対象となりうる。違反行為は日本国警察又は海上保安本部に通報する。 海兵隊太平洋基地」

こちらは米軍が設置したものなのだろう。表現がストレートでわかりやすい。

そして新基地建設が予定されている海域はすべて「臨時制限区域(常時立入禁止)」に設定されていることも地図で明示されていた。

さらに、こんな警告文も貼ってあった。

「米軍施設の上空やその周辺においてヘリやドローンを飛行させることは、重大事故につながるおそれのある大変危険な行為ですので、行わないで下さい。実際に、米軍ヘリが衝突を避けるために回避を余儀なくされる等、米軍航空機の航行の安全に影響が生じるような事案が発生しています。こうした行為により、航空機の安全な航行を妨害したとき等には、法令違反に当たる場合があります。」

こちらの警告文には、「防衛省・警察庁・国土交通省・外務省」と掲示した主体が書かれていた。

日本側が掲示したものは、米軍のそれと比べて表現がマイルドに感じる。

そんな警告文を確認した上で、改めて建設現場の方向を見る。

丘の上に立っている施設は、アメリカ海兵隊の基地「キャンプ・シュワブ」だ。基地名は沖縄戦で戦死した24歳のシュワブ一等兵に由来しているという。

広さは20.63平方キロ、東京ディズニーランド44個分の広大な敷地だ。

クレーンが動いているエリアは、キャンプ・シュワブの南側にあたり、この海域で現在埋め立て工事が行われている。

私がいるフェンス前から1キロほど離れているだろうか?

波消しブロックに阻まれて、この浜からは工事の進捗状況は確認できない。

情報によれば、工事関係者にコロナ感染者が出た影響で4月17日から6月11日まで工事は一時中断された。

この南側エリアの埋め立てが終了するのは来年の9月の予定だが、コロナの影響で工事は少し遅れているという。

フェンスの前に立って反対側を向くと、そこは「辺野古の浜」。

地図上では海水浴のマークがついているが、この浜でわざわざ泳ぐ人は誰もいなかった。

浜の隣には小さな港があった。

基地ができる前の辺野古は、きっと静かな漁村だったのだろう。

浜を離れて辺野古の集落にやってきた。

ここには以前来たことがある。

確か沖縄サミットの頃だっただろうか?

「WELCOME 辺野古社交街」と書かれた看板。

「キャンプ・シュワブ」ができた直後の1960年代には、米兵たちで賑わう歓楽街だった。

「辺野古社交街」の場違いな看板の下には、「アップルタウンの由来」と書かれた看板が立っていた。

1957年、辺野古集落の後方にあったこの丘陵地で宅地開発が行われ、その事業に協力してくれた米軍のアップル中佐の名前をとってこの一画が「アップルタウン」と命名されたということが書かれている。

そのアップルタウンには、英語の看板を掲げたバーやスナックが軒を連ねたが、今ではすっかり寂れてしまった。

写真撮影している私の脇を5人ほどの中年男性がアップルタウンに入っていった。

辺野古新基地に反対して座り込みをしている人たちが昼飯を食べに行くのだろうと推測した。

かつて米兵で賑わった街は、今では基地反対の人たちで細々と命を繋いでいる、そんな光景に見えた。

辺野古集落から国道329号線を北に向かって車を走らせた。

右手にはずっと「キャンプ・シュワブ」のフェンスが続く。

そして正門近くの道の反対側には・・・

車道沿いに基地反対のノボリがずらりと並び、その奥の木陰に、反対派の人たちが抗議の座り込みを続けている仮設小屋がかなりの距離続いていた。

おそらく工事車両の出入りをチェックしているのだろう。

平日なのに、結構な数の人が集まっているのが見えた。

基地の前を抜けてさらに進むと、大浦湾の対岸から「キャンプ・シュワブ」を望むことができる海岸にたどり着く。

砂浜には波消しブロックが積まれた味気ない浜ではあるが、ここから工事現場を見ることができる。

埋め立て現場までの距離は2−3キロあるので、よくは見えないが、望遠で撮影すると仮設で作られた護岸の上をダンプカーが走っているのが確認できる。

「キャンプ・シュワブ」の建物の手前、すなわち軟弱地盤が見つかった大浦湾の海域には様々な船が止まっているが、オレンジ色のシルトフェンスが張られているだけで大掛かりな工事はまだ行われていない。

それでもクレーン船では海底の土砂を採取しているような様子も見える。

あの辺りに問題の軟弱地盤があるのだろうか?

その沖合では、シルトフェンスの外側に何隻かの小舟が浮かんでいた。

漁船なのか、それとも反対派の船なのかは不明だが、今も両者の睨みあいは続いているのだろう。

アップで撮影すると、ボートに乗った人が傘をさしているのが見えた。

沖縄はもう梅雨が明け、強烈な夏の日差しが降り注いでいる。

工事をする人たちも工事を監視する反対派の人たちも、沖縄の太陽からは逃れられない。

ジュゴンが棲息すると言われる大浦湾。

この自然を人間が破壊したのは残念なことである。「最低でも県外」と昔の総理が約束したにも関わらずなし崩し的に進められる工事に、沖縄の人たちが強い不信感を抱くのはとてもよく理解できる。

しかし、と私は思うのだ。

すでに工事が始まっている以上、普天間基地をあのまま放置するよりはひとまず辺野古に移転した方がベターではないかと・・・。

在日米軍は未来永劫、沖縄にいることはないのではないか?

「世界の警察官はもうやらない」というトランプ大統領の考え方は、決して奇異なものではない。アメリカという国は、かつては「孤立主義」を標榜していた。「自国ファースト」の内向きな風潮が強まる世界で、いつまでもアメリカが日本を守ってくれると考える方がむしろ奇異なのだ。

悲惨な沖縄戦、そして戦後はアメリカの施政下に置かれた沖縄。

「どうして沖縄ばかりに負担を押し付けるのか」というあまりに当然な主張に明確な答えを出せずにここまで来た日本。

溜まりに溜まった矛盾が、辺野古に凝縮している。

「イージス・アショア」は中止できて、なぜ「辺野古移転」は白紙撤退できないのか?

中国の海洋進出が日に日に強まってくる中で、我々は土台から自国の安全保障政策を見直さざるを得ない時期を迎えているのではないか?

様々な思いが頭をよぎる。

そんなことを考えながら国道329号線を南に戻ると、辺野古集落のはずれに立派な建物が建っていた。

路肩に車を止めて確認すると「GODAC」と書かれていた。

「GODAC」とは「国際海洋環境情報センター」の略称で、国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の情報発信拠点として、2001年この辺野古の地に開所した。

なぜこんな人のいない場所に情報発信拠点を作ったのか?

考えられるのは基地建設の環境整備として地元にお金を落とすことだ。

事実、2018年の1年間に「GODAC」を訪れた人はわずかに2万2000人あまり。情報発信拠点としてはあまりに費用対効果が悪い。

残念ながら飛行機の時間が迫っていたので、「GODAC」の内部を見る時間はなかったが、辺野古には日本人が直視することを避けてきた矛盾がいっぱい詰まっているように見えた。

東京に戻る飛行機の窓から偶然、辺野古を見ることができた。

着々と進む埋め立て。

テレビで見慣れた光景だが、自分の目で見るとやはり違う。

辺野古移転に賛成の人も反対の人も、無関心な人も、一度辺野古に足を運び、その海を見ながら日本の未来と私たちの進むべき道について自らの頭で考えていただきたいと思った。

平和は、いつかは破られる。

歴史を少し学べば、平和というものはいかに簡単に失われるかがわかるはずだ。

もし平和な生活を守りたいならば、私たち自身の問題として真剣に向き合わなければ、知らない間に失われてしまう日が必ずやってくるのだから・・・。

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