<きちたび>徳島の旅2023🇯🇵 ケーブルカーで谷底の露天風呂!四国の秘境を堪能できる「ホテル祖谷温泉」

学生時代の仲間6人とめぐる中四国の旅。

2日目の宿泊先に選んだのは徳島県西部の秘境「祖谷渓」である。

徳島県は私にとって、全国の都道府県の中で唯一旅したことのない県と言ってもいいだろう。

高知に行く時に通過したことはあるが、徳島県を目的に旅行をしたり宿泊したことは一度もなかったと思うので、これでようやく全県制覇と言えるかもしれない。

大満足の讃岐うどんをいただいて、車は下道を南下。

四国山脈を貫く吉野川にぶつかると、深い谷に沿って山中にどんどん分け入っていく。

やがて川は支流の「祖谷(いや)川」と名を変える。

この一帯は「剣山国定公園」、道路が蛇行するたびに清流が目に飛び込み、眼前には猛々しい山々が迫ってくる。

今年の夏訪れた中央アジアのキルギスやタジキスタンを思い出すようなそそり立つ山。

岡山のなだらかな山々とは全く別物で、走るだけで心が湧き立つ美しいドライブコースである。

香川県善通寺市のうどん屋を出てからおよそ2時間弱。

ようやく祖谷渓を代表する名所「かずら橋」に到着した。

シラチクカヅラを編んで作ったこの吊り橋は、長さが45メートル、幅2メートルで、水面からの高さは14メートルあるという。

太い柱に絡みつく無数の蔓(かずら)。

近くに立てられた案内板には、この橋の由来が書かれていた。

急峻な四国山地に抱かれた祖谷地域は、屋島の合戦に敗れ逃れた平国盛と安徳帝の一行が、平家再興を願い土着したと伝わる隠田集落であり、近代まで外部との交通が隔絶されていたために、中世以来の生活様式や独特の風俗が原形に近い状態で残されている。

この祖谷地域を流れる祖谷川に、国の重要有形民俗文化財に指定される祖谷のかずら橋が架かっている。厳寒な冬の山野で採取したシラクチカズラを編み連ねて作られたこの橋は、橋床の隙間から谷底が見え、長さ45mの吊り橋の揺れと相まって渡る人に適度なスリルを味わわせる。

日本三奇橋にも数えられるかずら橋の由来には諸説あり、平家の落人が追手から逃れるために切り落とせるように作ったとする説や四国を巡行された弘法大師が困っている村人の為に作ったという説などが伝えられている。

両岸の古木に重みを託し、祖谷川の清流に影を映した悠然たるかずら橋の姿は、遠い昔の祖谷の暮らしを想い抱かせるとともに、自然と調和した美しい景観を生み出し、その強烈な個性は多くの観光客の琴線を刺激し続けている。

確かに琴線に触れる橋ではあるが、渡るためには通行料500円を払う必要がある。

私も渡ってみた。

確かに、橋床の木の間隔が広く、下を流れる清流がよく見える。

ちゃんと下を見ながら渡らないと誤って足を踏み外してしまう危険性はあるが、普通の吊り橋と比べると揺れが少なく怖さはさほど感じない。

よく見ると、橋床は鉄のワイヤーで支えられている。

「怖い、怖い」と大騒ぎしている仲間をよそ目に、片方の手すりにつかまりながらスタスタと渡っていく。

人間というのは不思議な生き物で、一度怖いと思えば足がすくみますます怖くなるが、この橋は大丈夫だと思えば何の抵抗もなく普通に歩いて渡ることができる。

周囲をゆっくりと見回す余裕もあって、もう少し後の時期なら紅葉が綺麗だろうなと思った。

かずら橋の見物を終え、曲がりくねった山道を抜けてホテルに到着したのは午後5時過ぎであった。

この地域を代表する温泉宿「ホテル祖谷温泉」。

祖谷渓の断崖の上にポツンと立つ一軒宿で、「日本秘湯を守る会」の登録旅館でもある。

部屋は新しく改装された2人部屋。

いい歳をしたオヤジたちがジャンケンで部屋割りをして、同居人を決める。

寒さ対策のためか二重になっている部屋の窓からは、祖谷の山々と深い谷が一望できた。

山の日暮は早い。

夕食を食べる前に、ホテル専用のケーブルカーに乗って谷底にある露天風呂に向かう。

傾斜角42度、170メートル下の露天風呂まで5分かけてゆっくりと降りていく。

宿自慢の露天風呂は、祖谷川の渓流を間近に見ながら湯に浸かるという贅沢なロケーション。

男女別の2つの湯船のほかに貸切風呂もあるようだ。

祖谷川の流域には昔からところどころで温泉が湧き出ていて、「フロノタニ」という地名も残っているという。

この宿も、新たに源泉が発見されたことを機に地元の有力者がお金を出して建設したものと聞かされた。

源泉かけ流しの湯は少しぬるめで、長時間浸かっていてものぼせることはないが、冬には少々寒いのではないかと心配になる程だ。

でも10月に入ったとはいえ、まだ夏の暑さが消えぬ今の時期にはこのぬるさがちょうどいい。

再びケーブルカーに乗ってホテルに戻ると、ちょうど夕食の時間。

山の幸がテーブルの上に並んでいた。

食前酒の「山桃ワイン」と共にまずは「秋の前菜盛り合わせ」。

柚子釜盛り(鹿肉の南蛮漬けカレー風味)、フルーツトマトお浸しコンソメジュレ、炙り栗きんとん茶巾絞り、無花果クリームチーズ串、湯葉の田楽・零余子真丈。

これに続いて、「大歩危祖谷のそばすべし」という椀ものが出た。

圧巻だったのはこちら。

「あめごの塩焼き」

「あめご」とは一般にアマゴと呼ばれる川魚だが、我が人生でこれほど美味い川魚は食べたことがない。

鮎に比べると大きくて身もたっぷりある。

塩加減が絶妙で、川魚特有の臭みがまるでない。

もうこの一品を食べただけで、大満足の晩餐と言っていいだろう。

翌朝7時、ケーブルカーの運行開始を待って三三五五テラスに集まる。

祖谷渓には朝靄がたなびいているものの、上空には青空が広がり、高度が高いせいか気温は低い。

とても気持ちのいい朝だ。

再びケーブルカーに乗って朝の露天風呂へみんなで向かう。

前日とは男女が入れ替わっていて、1泊で2つの露天風呂を楽しむことができる。

私たちの一行とは別に1組の老夫婦が朝一番のケーブルカーに乗っていたが、せっかく静かに朝風呂を楽しもうとされていたのに、我々のおしゃべりでぶち壊しになったに違いない。

朝食の会場は、夕食とは別の絶景のレストランだった。

和食と洋食を選ぶことができ、共通のビュッフェも付いている。

私は和食を選択したが、山の幸を使った小鉢が5つ、メインは川魚の甘露煮である。

この甘露煮も実に美味しくて、川魚もちゃんと調理すると実に旨いのだということをこの宿で教えてもらった気がした。

ご飯や味噌汁はビュッフェスタイルでお好きなものを選ぶ。

せいろの中は蒸し野菜であった。

この宿の唯一の欠点といえば、エレベーターがなく、レストランや風呂に行く際の階段の上り下りが結構大変だということだろう。

私はまだ大丈夫だが、仲間の中には足や股関節に問題を抱えている奴もいて、その点だけブーブー言っていた。

それでも、1泊3万円に値する上質な温泉旅館であり、新緑や紅葉の季節に岡山からふらりと訪ねてみたい宿であった。

午前9時ごろホテルをチェックアウト。

鳴門から淡路島を目指すチームと金比羅さんから高松に向かう組に分かれてそれぞれ車で出発した。

私は徳島に興味があったため淡路島組に参加、来た道を引き返して川井池田インターチェンジから徳島道に乗る。

このあたりは、高松と高知を結ぶ南北の道と徳島と松山を結ぶ東西の道が合流する四国の要衝。

吉野川の雄大な流れが中央構造線に沿って東に流れ、その流域には集落が続いている。

日本三大秘境とも呼ばれる祖谷とは趣がずいぶん異なる。

脇町というインターで降りた。

向かったのは徳島県西部、脇町南町にある「うだつの街並み」である。

駐車場で車を停め、案内板に従って進むと古い街並みが残る通りに出た。

倉敷と違い観光客の数は少ない。

「うだつ(卯建)」とは、2階の壁面から突き出した漆喰塗りの袖壁のことで、江戸時代は火よけ壁と呼ばれ防火の役目をするものだった。

裕福な商家が富の象徴として競って「うだつ」をあげたことから、出世できないことを意味する「うだつが上がらぬ」という言葉が生まれたそうだ。

脇町は交通の要衝として鎌倉時代から城下町として栄え、江戸時代には吉野川の舟運を利用して阿波特産の藍の集散地として発展した。

その中でも吉野川沿いの南町は商業活動の中心となり、通りに面した母屋の裏に藍蔵や土蔵という作りの町家がずらりと並んだのだ。

こちらが藍染めの原料となる「蒅(すくも)」。

まるで炭のように見えるこの無骨な塊が色鮮やかな染料となるのだ。

『蒅は、タデ科の植物である藍の葉を乾燥させ、約100日間、発酵させてできる染料です。藍の一大産地である徳島でつくられています。また、この蒅に灰汁、お酒、麩などを加えて甕の中で発酵させると染料液になり、布などを藍色に染めることができるようになります』

脇町でうだつの街をぶらぶらした後、私が友人のBMWを運転して次の目的地・鳴門に向かった。

祖谷、脇町、鳴門。

私が図書館で借りたガイドブックには、県庁所在地の徳島タウン以外に掲載されていた観光地は今回訪れた3ヶ所だけだった。

四国は交通の便が悪いため、観光客が訪れにくい場所であるとはいえ、どうも観光資源の開発が遅れている印象がある。

ただ、祖谷のようにまだ広く知られていない素晴らしい場所が眠っているのではないだろうか。

岡山から近い四国。

これまで訪れることも少なかったが、自分の足で新たな魅力を発見する旅を今後も続けたいと思った。

「ホテル祖谷温泉」
住所:徳島県三好市池田町松尾松本367-28
電話:0883-75-2311
https://www.iyaonsen.co.jp/

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