日本には、何にでも「三大○○」というのが存在する。
当然のことながら「日本三大桜」があるらしく、たまたま朝の情報番組でそれを知って行ってみようと思った。
選んだのは中継に登場した「山高神代桜」。
山梨県北西部の北杜市にあるという。
日帰りで出かけるにはちょうどいい距離だと思い、天気予報を確認して、昨日の朝6時台の電車に乗った。

立川駅で特急に乗り継ぐ予定だったが、ホームで特急券を買おうとすると何と満席。
いつも中央線特急は空いているという思い込みがあったが、朝の特急は下りも混んでいるようだ。
予定を変更して、立川から高尾まで行って、7時39分発、各駅停車の小淵沢行きに乗り継ぐことにした。
若い頃にはこんなかったるいことは耐えられなかっただろうが、今は時間だけはたっぷりある。
到着時間は特急利用と1時間も変わらないので、特急料金を節約したと思ってのんびり電車の旅を楽しむことにした。

東京はこのところ天気が悪く、大月あたりまで山に雲がかかっている。
こういう天気も嫌いじゃない。
考えようによっては快晴の空よりも旅情を誘う。

この季節、車窓からはたくさんの桜を目にする。
停車した駅にも桜の並木が。
こうした車窓の風景を楽しむなら各駅停車という選択肢はむしろありだ。

甲府盆地に入ると、晴れ間が現れ、車窓を流れる満開の桜に太陽の光が当たる。
きれいだ!

桜だけじゃない。
山梨といえば桃、桜よりも濃いピンク色をした桃の花が沿線のあちらこちらに咲いている。
ただピンクに混じって白い花も咲いていて、調べてみるとスモモやサクランボは同じ時期に白い花を咲かせるのだそうだ。

神代桜の最寄駅、日野春に到着したのは10時前だった。
小さな駅だが、十数人ほどの観光客がこの駅で降りる。
この季節の観光客は私同様みんな神代桜がお目当てに違いない。

北斗市の観光サイトを見ると、日野春の駅からはタクシーで15分と書かれている。
駅前には2台だけタクシーが停まっていたが、いずれも予約の車で、予約していなかった客はタクシーの運転手と押し問答を始める。
私は最初からタクシーではなく歩くつもりだったので、運転手さんに「歩くとどのくらいかかりますか?」と聞くと1時間半ぐらいとの答えが返ってきた。
この辺りまで来ると晴れ間が広がり、春のうららかな陽気の中をのんびり散歩しながら目的地に向かうのも悪くないと思った。

Googleマップを頼りに歩き始めると、駅からは九十九折りの下り坂になっている。
遊歩道のようなものはないので、車道の端を気をつけながら降りていく。
道路脇の側溝には山から湧き出した清水が流れ、ウグイスなどのさえずりも聞こえる。

途中、こんな看板が立っていた。
『自然記念物 日野春のオオムラサキ及び成育地』
どうやらこのあたりは、国蝶「オオムラサキ」の繁殖地のようである。
「オオムラサキは、各地に分布しますが、この地域は他の地域と比べて生息密度が高く全国的に有名です」
調べてみると、オオムラサキの姿を見られるのは6月から7月の短い期間のようで、死ぬまでに一度見てみたいものだと山を降りながら考えた。

山を降ると、そこには釜無川が流れていた。
釜無川とは、日本三大急流の一つ富士川の上流部の名称らしい。
南アルプスに源を持ち、笛吹川と合流して富士川となり駿河湾へと注ぐ。
釜無川を渡ると道は平坦となり住宅地を抜けて行く。

途中、バス停を見つけた。
韮崎駅行きのバスが通っているようだが、11時18分の次は15時までバスはなく、ちょっと使えそうにない。

桜が満開の小学校の脇を抜け・・・

水仙が咲く水路を越え、道は徐々に上り坂になる。
歩いている間に暑くなってきて、着ていた上着を脱いでリュックにしまう。

桜が咲く急な坂道で幼稚園児たちとすれ違う。
引率の保母さんに「神代桜ってこの先でいいんでしょうか?」と聞くと、笑顔で「このまま真っ直ぐです」と教えてくれた。
この急坂をチビたちを連れて歩くのはなかなか大変だ。

そのまま進むと、田んぼの向こうにたくさんの桜が見えてきた。
あれが目的地、山高神代桜に違いない。
日野春駅を出てからちょうど1時間、タクシー運転手が言うよりも30分も早く到着した。

神代桜があるのは、日蓮宗のお寺「実相寺」の境内。
実相寺は日蓮上人を開祖とする歴史あるお寺で、武田家につながる山高氏が居住していたことからこの辺りはかつて山高村と呼ばれた。

境内に入るといきなりたくさんの桜が迎えてくれる。
お目当ての神代桜は本堂の脇にあり、山門から本堂にかけての参拝道沿いが全て桜並木となっているのだ。

さらに、桜を背景にして手前には8万本とも言われるラッパ水仙が植えられていて、白や黄色の花と桜のコントラストを楽しむことができる。
桜の名所と言われるだけあって、確かに見事ではあるが、私にはいささか派手すぎる気がした。

境内を進んでいくと、右手に立派な枝垂れ桜。
これは日蓮宗の総本山身延山久遠寺にある有名な「身延山しだれ桜」の子桜なのだそうだ。
昭和52年、1977年に植えられたので、子桜とはいえもう半世紀を生きた立派な大木である。
このように、実相寺の境内には名だたる桜の銘木の苗木が植えられ大きく育っているのだ。

枝垂れ桜の枝先が参拝道にかかるのを防ぐように鉄製の柵が設置されている。
私は巨樹が好きだ。
桜の巨木に包み込まれるようにして順路の案内に従って先に進む。

こちらの桜にも何やら案内板が設置されている。
『神代桜の宇宙桜』
宇宙桜って何だと思って案内文を読んでみると、こんなことが書かれていた。
「神代桜の種は、地元武川小学校の児童により採取され、全部で118粒の種子を、平成20年の11月に、アメリカのNASAから、スペースシャトルに乗って、宇宙に旅立ちました。そして宇宙ステーションに乗り、約8ヶ月間、無重力の中で過ごし、平成21年7月に若田光一さんの手によって、地球に戻りました。その種子を全部植えて様子を見ましたが、2粒が発芽しました。その内の1本が境内地にあります。そして珍しいことに、花びらは通常5枚ですが、一部に6枚の花びらが見つかっています。仏教の中には、六道といって6つの世界があるといわれます。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、そして、もう一つが天上界。地球を離れて天上の世界を回った種が、6枚の花びらをつけるということは、1枚は天上の世界を意味しているようにも、思います。」

ちょっとこじつけのようにも聞こえるが、日本を代表する神代桜、宇宙にまで進出していたとは驚いた。
6枚の花びらを見分けることはできなかったが、他の桜に比べて花が小さい印象を受ける。
それが宇宙のせいなのか、それともまだ木が幼いためなのかは不明だ。

さらに順路を進むと、本堂の前に植えられていたのが「淡墨桜」の子桜。
淡墨桜とは、神代桜と並ぶ日本三大桜の一つ、岐阜県にある「根尾谷淡墨桜(ねおだにうすずみざくら)」のことである。
継体天皇が植えたとされる孤高の桜で、樹齢1500年以上、散り際には淡い墨色になることからこの名がついたという。

この桜が植えられたのは平成11年だから1999年。
他の桜と比べると、少し色が薄い気もするが、淡墨色にはまだ見えない。
時期が早いのか、それともこの子桜がまだ若いせいなのか。

淡墨桜のお隣には、やはり日本三大桜の一つ福島県にある「三春滝桜」の子桜も植えられていた。
滝桜は樹齢1000年以上のベニシダレザクラで、この桜を描いた絵が皇居宮殿の正殿松の間に飾られていることでも有名だ。
実相寺の境内に植えられたのは淡墨桜の翌年、2000年のことである。

そしていよいよお待ちかね、実相寺の目玉である「山高神代桜」にたどり着いた。
案内板にはこう記されていた。
「山高神代ザクラは、樹齢2000年ともいわれるエドヒガンの古木です。1922(大正11)年にサクラとして初めて国指定の天然記念物になりましたが、近年の環境の変化により樹勢が急激に衰えてしまいました。山高神代ザクラの受精を回復させるため、南側の道路をう回させ、2001年には根や病気の調査をしました。翌年からの工事では弱った根に活力を取り戻すため養分と有用な土壌微生物に富んだ土に入れ替え、さらに主幹からの新たな発根を促すため屋根つきの櫓を撤去しました。これらの工事は4年間かけて行われ、2006年3月に終了しました。」

不思議な姿をした桜だ。
案内板に添えられた写真には中央部が高く聳える明治から大正にかけての神代桜の姿が写っているが、すでに主幹は失われている。
生き残った太い幹が東に向かって折れ曲がり、その幹から枝が上に向かって伸びていた。

サイドに回ると、老木を支えるようにたくさんの支柱が立てられているのが目立つ。
まるで介護を受ける老人のようで、痛々しくさえある。

神代桜の南側に回る。
順光で撮影しようという人たちが桜を取り囲む。
中央にあるのが神代桜。
周囲に後から植えられた別の桜と比べても神代桜が小さいのがわかる。

しかし、その根元は、樹齢の長さを示すように太くゴツゴツしていた。
ちょうど100年前、1922年の計測では神代桜の高さは13.6m、それが2006年には10.3mになった。
根元の太さも13.5mから11.8mに、枝張りも東西27.0m、南北30.6mあったものが東西17.3m、南北13.0mとだいぶ小さくなったのだ。

どんなものにも寿命がある。
本当にこの桜が2000年生きてきたとしても、もう終わりが近いのかもしれない。
有名になり多くの観光客が訪れるようになって、木のまわりの土が踏み固められ樹勢が衰えたという話は別の場所でもよく耳にする。
もしも昔のままに静かに生えていたのなら、もう少し長く生きられたのかもしれない。
山高神代桜の奇妙な姿を見て、私はそんなことを感じた。

次々に名木の子桜を植えたり、水仙の花畑を作ったりするのも、肝心の神代桜が衰えたことと無縁ではないだろう。
桜の名所を守るための努力が、いつしか現代人好みの派手な景観を生み出したのだ。
溢れるばかりの桜は確かに美しい。
でもちょっとテーマパークを訪れたような気分にもなった。

日本各地にある桜の名所のほとんどは、誰かの手によって人為的に作られたものばかりだ。
だから実相寺が悪いわけではないのだが、この場所に長くとどまりたいという気持ちにはなれず、30分かけてぐるりとひと回りして出店で売っていた干し柿と山芋を買うと、もう家路につくことにした。

タクシーを待つ人たちを横目に、来た道を日野春駅の方向に歩く。
田んぼの向こうには八ヶ岳が見える。
やはり私は人工的なものよりも、自然な景色が好きなんだと思う。
こうして平地を歩くのは全く苦にならないが、この先には釜無川から日野春駅へと登る長く急な坂が待っている。

途中、往路では気づかなかった別のバス停を見つけた。
北杜市民バス。
日野春駅行きのバスは午前中だけでもう終わっていたが、40分後に長坂駅行きのバスがここを通ることがわかった。

ちょうど昼時だったので、バス停の前にあったイタリアンレストランでランチを食べてそのバスに乗ってみることに決めた。
洋食厨房という看板を掲げたこのレストランの名は「メルローズ」、ほとんどお店を見かけないこの界隈では貴重な飲食店だ。

店の中に入ると、置かれたテレビで洋楽チャンネルが放送されていた。
だから店内に流れる曲は懐かしい昔のロック。
東京でも昼間からロックを流すお店は滅多にないと思って見ていると、年をとったデビッド・ボウイが登場したのには驚いた。

バスに乗り遅れないよう定番のランチセットらしき「ロースポークのミラノ風」(980円)を注文した。
東京では出逢いそうにない素朴な料理。
接客係の高齢の女性は「お塩をください」と伝えても胡椒を持ってきたりして耳が遠いようだったが、それはそれで旅情を感じさせた。

市営バスは定刻よりも少し遅れてバス停に現れた。
料金は200円。
北杜市をぐるりと回って日野春駅から一つ松本寄りの長坂駅まで同一料金で連れていってくれる。

バスは西に向かって走り始める。
「武川中学校入口」というバス停に停まった時、高台の上に実相寺の桜が見えた。
どうやらこのバス停が神代桜に行く一番の近道のようだ。

バスは南に南アルプス、北に八ヶ岳を望むのどかな田園地帯を走る。
東京に戻るには遠回りにはなるが、200円で味わえる贅沢なドライブと思えばこれまた悪くはない。

およそ40分走って、バスはようやく終点の長坂駅に到着した。
ここは完全な無人駅のようで、駅には誰もいない。
次の電車の出発時刻を確認すると、まだ1時間近くもあった。

仕方なく街をぶらぶらして時間を潰す。
駅の近くからは八ヶ岳が間近に見える。

どこかに喫茶店でもないかと少し歩いてみたが見当たらない。
結局ファミリーマートを見つけて、そのイートインでカフェラテを飲んで時間を潰す。
長坂という駅は想像していたよりもずっとマイナーだった。

少し早めに長坂駅のホームに入り、日向ぼっこしながら電車を待つ。
山にかかっていた雲が少し取れて、甲斐駒ヶ岳や北岳がホームから見えた。
14時14分発の普通電車に乗る。
韮崎で特急電車に乗り換えようかとも思ったが、この日高円寺で人身事故があり中央線が乱れているというので、結局特急は使わず各駅停車で高尾まで行き、吉祥寺にたどり着いたのは夕方だった。
30分間桜を見るために要した時間はほぼ12時間。
でもこんな物見遊山ができるのも隠居の特権である。
もしも天気が良かったら、4月初めに「三春滝桜」への物見遊山も考えてみよう。
<吉祥寺残日録>定年後を考える😄 ヒントは江戸時代にあり!青木宏一郎著『大名の「定年後」 江戸の物見遊山』 #220128
韮崎は父方のお墓 最近コロナ禍で何年も行ってないのでキレイなさくらや桃見せて頂きました。ありがとうございます😊