今年の12月は雪が多いらしい。
新潟から山形にかけては特にひどいようで、このところ連日、大雪の話題がトップニュースとなっている。
そうすると人間というのは単純なもので、私も無性に雪が見たくなった。
どうせ行くなら雪見の温泉がいい。
岡山にいる間に山陰の温泉にでも足を伸ばそうかと思ったのだが、農作業に追われて結局行きそびれてしまった。
そこで昨夜思い立って、今朝の北陸新幹線に飛び乗ったのだ。

私が乗ったのは東京発7時48分のトキ305号。
冬休みに入ったらしい子供たちや若者の団体が目立つ。
スキーを背負った若者も結構いて、巷で言われるほどにはスキーも廃れてはいないのかもしれない。

高崎までは全く雪はなかったが、上毛高原駅に近づくと突如、一面の雪景色に変わった。
雪は降ったばかりのようで、太陽の光に照らされてキラキラと輝いている。
やった! この景色が見たかった!
車窓を眺めながら思わずほくそ笑んでしまう。

上毛高原駅で降りる。
目指すのは秘湯の宿として知られる法師温泉だ。
昨夜日帰りの立ち寄り湯があることを知り、電話で確認した。
ネットで行き方を調べると、上毛高原駅から猿ヶ京行きのバスに乗り、猿ヶ京で法師温泉行きのコミュニティバスに乗り継ぐことがわかった。
駅の到着時間は8時53分で、バスの出発時刻は9時5分。迷わなければちょうどいいどうせ思っていた。
ところがバス乗り場の時刻表を見ると、9時5分のバスなどなく、8時58分出発に変更されているではないか。
慌てて時間を確認するとまさに8時58分、しかしバスの姿はない。
ひょっとするともう出発してしまったんだろうかと不安を感じた時、1台のバスがこちらに向かって来るのが見えた。
間違いない、猿ヶ京行きである。

バスはガラガラだった。
先客は地元の女子学生がひとりだけ。
私と一緒に駅から乗り込んだ男性がひとり。

途中で乗る人もいないので、バスはほぼノンストップで猿ヶ京まで雪道を走っていく。
昨夜降ったばかりの真っ白な新雪と青い空。
私が望んだ雪景色が車窓を流れていく。
もうこれだけで満足、たとえ温泉ががっかりでも来た甲斐があったというもんだ。

30分ほど走ってバスは終点の猿ヶ京に到着した。
バスを降りる際、運転手さんに「法師温泉行きはここでいいんですかね?」と聞くと、降りたバス停で待っていれば法師行きが来ると教えてくれた。
ただ、町営の「みなかみ町営バス」は1日わずか4本だけ。
次のバスの出発までまだ25分もある。
近くを散歩するにも目標となりそうなものも見つからない。
仕方なく、バス停の待合所で時間を潰す。
バスを待っているのはどうやら私一人のようだ。

待合所の中にこんな紙が貼ってあった。
江戸時代にここ猿ヶ京には関所があったらしい。
今でこそ、辺鄙な集落になってしまったが、かつては江戸と越後を結ぶ幹線道路「三国街道」の要衝だったらしい。

町営バスは定刻にやってきた。
古いマイクロバスで、やはり客は私ひとりである。
私は見晴らしのいい一番前の席に座り、運転手さんに聞いてみた。
「いつもこんなに空いているんですか?」
すると運転手さんから予想外の答えが返ってきた。
「もうすぐ廃止になるんじゃないですかね。法師温泉のためだけに走ってるようなもんだから」
なるほど、町の大事な観光施設とはいえ、そのためだけに町営バスを走らせるのは理屈が立たないかもしれない。
もしも廃止になるのなら、この機会に乗っておいてよかった。

バスは赤い鉄橋を渡って、どんどん山に入っていく。
越後湯沢に抜ける幹線を外れると、ほとんど民家もない細い山道になった。

それでなくても狭いのに降り積もった雪がさらに道幅を狭め、対向車が来るとどちらかがバックして道を譲らなければならない。
自分で車を運転して来たら、ちょっとビビりそうな雪道だ。

突然ザザザーと大きな音がして、目の前が真っ白になった。
木に積もった雪が落ちたのだ。
運転手さんは車を止め、視界が回復するのを待つ。
慣れない雪道は怖い。
若い頃、調子に乗って雪道を飛ばしていて、スピンして死にそうになったことを思い出した。
家族も一緒に乗っていたので、あの時の妻の剣幕ときたら半端なく、あれ以来私が雪道を運転することを許してくれない。

10時8分、町営バスは予定通り、法師温泉に到着した。
雪深い一軒宿。
この先はもう除雪されておらず行き止まりだ。

昨夜の宿泊客なのだろう。
私が降りるのと入れ替わりに、10人ほどがバスに乗り込んだ。

私はちょっと興奮しながら古い温泉旅館の写真を撮った。
まさにイメージ通り、最高にチョイスだった。

設備の整った近代的な大旅館よりも、こうした昔ながらの木造の温泉宿の方が私にはずっと魅力的だ。
紅葉の銀婚湯も良かったが、雪の法師温泉もまた最高である。

こちらが旅館の玄関。
宿の名は「法師温泉 長寿館」という。
立ち寄り湯のサービスは、宿泊客がチェックアウトした後の午前11時から。
まだ少し早いが、激しくはないが雪も降ってきたので、建物の中で待たせてもらおうと玄関を開けた。
すると、「どちらさまで?」と聞かれ、「立ち寄り湯を」と答えると、「すいません、11時からです」と言うので、「ちょっと中で待たせてもらえますか」と聞くと、「申し訳ありません」と断られてしまった。
要するに11時までは建物の外で待てと言うのだ。
高い金を払っている宿泊客を優先するため、立ち寄り湯の客には少し厳しくするのも理解できるが、建物の中で待つのもNGとは予想していなかった。
午前に2本、午後に2本というバスのダイヤは温泉の宿泊客に合わせて設定されているもので、立ち寄り湯の客にぴったりのバス便はないのだということをこの時初めて理解した。

仕方がないので、再び外に出て宿の周りを散策することにした。
駐車場の方に行くと、法師温泉の大きな門柱が立っていた。
雪に隠れて文字はよく読めない。

宿泊客の大半はマイカーで来ているようで、多くの車が並んでいたが、夜のうちにかなりの積雪があったらしく、車を動かすたまにはまず周囲の除雪をする必要があるだろう。

宿の裏手に行ってみると、手つかずの雪の間を小川が流れていた。
雪雲を通してぼんやりとした太陽が弱い光を放っている。
正面から見るよりも一段と美しい雪景色である。

少し歩くと、除雪区間は終了。
その先は行き止まりだ。
道端に看板が立っていて、暖かい季節になると、このあたり一面がお花畑になるらしい。

宿の周辺をぶらぶらしているうちに、だんだん雪が強くなってきた。
でもこういうこともあろうかと、上から下までしっかり防寒し、一番上にはレインウェアも着てきたので、心配したほど寒さは感じない。
ただ、もう見るところもないので、そろそろ入れてくれないかなあと、恨めしげに玄関の前を行ったり来たりしてみる。

それでもお呼びがかからないので、時間潰しに玄関前に貼られていた2つの文章を読み始めた。
これが案外いい文章だったので、旅の記念にこのブログにも書き写しておこうと思う。

一つは、「秘湯をさがして」という文章で、書いたのは「日本秘湯を守る会」の元名誉会長を務めた岩木一二三氏だ。
『田舎を捨てた人間だけに人一倍田舎を恋しがる東京人の一人である。幼い頃に、いろりのそばで母のぞうり作りを見、縄をなう父に育てられたからかも知れない。しかし、そのふるさとの家も跡かたもなく近代化され、牛小屋はコンクリート建ての車庫に変わってしまった。おいやめいが各々の車を持って走り回っているほどの経済発展の変化である。
いったい、老いゆく自分達がどこに安住の地を求め、どこに心の支えをおいたらいいのだろうかと迷いさまよい歩いて三十年の歳月が流れていった。
旅行会社に席を置くために、つい旅に出たり、旅と結びつけてしまうが、もうホテルもきらきらした旅館もたくさんだ、炭焼き小屋にでも泊めてもらって、キコリのおじさんとにぎりめしでもほうばってみたいと思うこともしばしば。』
シニアになった今の私には、岩木さんの心情がよくわかる。

そしてもう一つは、「山のいで湯守って」という文章で、「日本秘湯を守る会 会員旅館一同」となっていた。
こちらの文章もなかなかいい。
『ずいぶん山の中で不便な思いもしました。冬は交通がと絶えたり食糧の確保すら難しい時代が長く続きました。いっそのこと山をおりてどこかで観光旅館でもと考えたこともしばしばでした。
しかし、長年にわたってお訪ね下さるご常連のお客さまや、先祖が守ってきた温泉のことを思うと去ることも新築することにも頭をかかえました。“残してくれ”“古くさい建て直せ”そんなお客さんの声を自問自答しながら生きて参りました。
私どもの宿では、草一本、石ころひとつにも皆さんとの血が通っているように思われてなりません。古いものや自然環境を残そうと、今日まで云うに云えない苦労も致しました。
おかげさまで、昨今はそれだから来たんだよとおっしゃるお客さまが多くなり、古さを守るという生甲斐すら覚えるようになりました。有難いことだと思っています。山合いの古いボロ屋ですが、昔ながらの木の湯にひたり、“宿の夫婦が摘んだ山菜の味で良い、炉ばたでおやじ語ろうよ”と、おっしゃる皆さんのためにいつ迄も生き続けたいと念願しております。』
厳しい自然の中で、昔ながらの暮らしを守るのはさぞ大変だろう。

外をぶらぶらしている間、大型の除雪車が敷地内で雪かきをしていたが、よく見ると車体には「長寿館」と宿の名前が記されていた。
私が歓喜したこの趣ある建物を残すために、この宿では自前の除雪機を何台も維持しているのだ。
この宿に通じる一本道でもしも崖崩れが起きれば、宿泊客は孤立し、物資も届かなくなってしまう。
だから自前でいざという時に備える費用も嵩んでしまうに違いない。

そんなことを考えながら雪の降る中時間を潰していると、11時直前、「どうぞ」と言って玄関が開いた。
中に入ると、さっきとは打って変わったように愛想よく迎え入れてくれた。
立ち寄り客の受け入れは、午前11時から午後2時まで。
このルールを曖昧にすると、きっと宿泊客から文句も出るのだろう。

玄関の正面には、古い民家の佇まいをそのまま残したスペースが。
大木の太い幹で作ったテーブル。
壁には大きな神棚があって、年代物のレジスターなども置いてある。

脱いだ靴をビニール袋に入れ、受付でまず日帰りの入浴料金を払う。
大人1人1500円。
ネットの情報よりも値上がりしているようだ。
食事付きのセット料金もあって、そばかうどん、山菜まぜご飯の中から選ぶベーシックな定食セットが4000円。
お食事セットにはタオルも付いていた。
バスタオルは使用後に返却しなければならないが、法師温泉の名前が書き込まれた手洗いタオルはお土産に持ち帰りもできる。
私は迷わず、4000円のお食事セットを選んだ。

支払いを済ませると、スタッフの人が「ご案内します」と言って、まず最初にお食事処に案内してくれた。
途中、廊下から見える雪景色がまたたまらない。
建物全体が歴史を感じさせる趣のあるものだが、暖房はしっかり効いていて冷えた体が温められるのを感じる。

お食事処は駐車場に面して明るく、テーブル席とお座敷席を選ぶことができる。
私は迷うことなく、真正面の大きな窓から降る雪を眺められるテーブル席を選んだ。
靴など入浴に不必要な荷物はこのテーブルに置いておいても構わないという。
ただ、貴重品だけはフロントに預けてほしいと言われ、財布だけ預かってもらうことにした。

さて、いよいよ待望のお風呂へ。
そう思って廊下を歩いていると、玄関脇の壁に昔懐かしいポスターがあった。
高峰三枝子と上原謙。
旧国鉄が始めた「フルムーン」キャンペーンの有名な入浴シーンだ。
2人が一緒に入浴するあのシーンはこの法師温泉で撮影された。
私たち夫婦もとっくにフルムーンの年齢だが、残念なことにJRは最近「フルムーンパス」の販売をやめてしまったのだそうだ。
まさに今年、グリーン車で全国を旅するのもいいねなどと思って調べてみたら販売中止のニュースを知った。

立ち寄り湯として入浴できるのがこちらの「法師の湯」。
まさにフルムーンの撮影現場ともなったこの温泉宿の看板の湯である。
男女脱衣所は別々だが、中は男女混浴、タオルを巻くことも許されない今時珍しい正真正銘の混浴風呂だ。

風呂場の撮影は禁止なので、公式写真を拝借させていただこう。
これが私が入浴した「法師の湯」、まさに写真の通り、ここにしかない魅惑的なお風呂である。
弘法大師巡錫の折の発見と伝えられ、法師乃湯と呼ばれています。温泉は近年少なくなった自然湧出で、豊富な湯が浴槽の底から湧き有効成分が失われることなく人体に吸収されます。泉質は無色透明のカルシウム、ナトリウム硫酸塩泉(石膏泉)43℃で胃腸、火傷、動脈硬化等の諸病に適応します。
引用:公式サイト
湯船が8つに分かれているように見えるが、実際には4つに分かれていて、それぞれの中央に1本ずつ檜の丸太が横たえてある。
この丸太に頭を乗せるとちょうど良い枕になるという仕掛けだ。
湯船の底には石が敷き詰められていて、所々からぼこぼこと温泉が湧き出ている。
この自然湧出のため4つの湯船は微妙に温度が異なるのだが、さらに脱衣所に近い2つの湯船には熱めの湯が流れ込んでいるため、風呂場の手前が熱く、奥はかなりぬるい湯加減になっていた。

法師の湯は、混浴の女性客目当ての「ワニ」と呼ばれる男たちが出没すると言われ、私が入浴した時にも先に入っていた男性客は全員、脱衣所の方向を向いて湯船に浸かっていた。
でも私がここに来た目的はあくまで雪見であり、私一人、脱衣所とは反対側に開いた窓の方を眺めながら湯に浸かった。
広々とした雪見の露天風呂もいいものだが、100年以上前に鹿鳴館様式で建てられたモダンな窓から眺める雪もまた格別。
どちらかというと、全体が見えるよりも、こうして窓枠によって仕切られた絵画のような雪景色の方がより美しく感じられた。
結局、女性客は一人も入ってこなかったが、私はこのお風呂を満喫した。

1時間ほどお風呂に浸かった後、約束の時間にお食事処に行くと、すぐに温かいおそばの定食が運ばれてきた。
窓の外は、先ほどよりも雪の降り方が激しくなっている。

おそばは、つるんとしたなめこが可愛らしいなめこそば。
素朴な味わいだが、濃い口のつゆが美味しくて、全部飲み干してしまった。

副菜として、温泉たまごやサラダ、2つの小鉢、そしてデザートがついている。
中でも緑色をした味噌和えがとても美味しかったのだが、何を和えたものなのか聞きそびれてしまった。
おそらくは何かの山菜だと思うのだが・・・。

食事を済ませて、再び「法師の湯」に向かう。
廊下の途中に、こんなものがあった。
『自然の恵み 爽やかな 清水です』
おそばのつゆがちょっと濃い目だったので、冷たい清水が一層美味しく感じ、ペットボトルに汲んで少し持ち帰る。

そして、また1時間、ゆっくりと湯船に浸かった。
ここの湯は全体にぬるめなので、長時間入っていてものぼせることがない。
夜になると、窓からの明かりがなくなって一層幻想的な雰囲気になるという。
それを味わうためにはこの宿に泊まるしかないが、いつの日にかまたぜひ宿泊客として訪れたいものだと考えたりした。
ちなみに、宿泊すると夜間に「法師の湯」が女性専用になる時間帯があるそうで、混浴に抵抗がある女性は宿に泊まって夜このお風呂に入るのだそうだ。

午後1時45分、後ろ髪を引かれながら湯船から上がる。
立ち入り湯の客は、午後2時までに退去するように言われていたからだ。
でも、帰りのバスは午後2時40分までない。
また40分間、雪の中で待つのか?
せっかく温まった体が冷え切ってしまう。

バスタオルを返却するためにロビーに行くと、休憩所に人がたむろしていた。
宿泊客の入室は午後2時半なので、少し早く着いた客が待っているようだ。
その中の1組がコーヒーを注文したのを見て、すかさず私もコーヒーを注文した。
さすがにコーヒーを注文した客を追い出しはしないだろうと考えたからだ。

コーヒーマシーンで淹れたコーヒーは1杯500円。
チョコレートが2個ついていた。
コーヒーはハート形のカップに入れられて、味も悪くない。
そして私は、2時半まで喫茶コーナーのカウンターで粘った。
結果的には、コーヒーを飲まなくても館内に止まることはできたようだが、バスが来るまでの時間、温かいコーヒーを飲みながらゆっくり過ごすのも悪い選択ではなかった気がする。

歴史ある有名な温泉宿だけに、昔から多くの著名人がここに宿泊したに違いない。
廊下に置かれたガラスケースをちらりと覗くと、「テルマエ・ロマエ」の作者ヤマザキマリさんの色紙も飾られていた。

ちょっと慌ただしい滞在だったが、念願の法師温泉にも来れたし、待望の雪もたっぷり見られたし、大満足の日帰り温泉旅行であった。
これを機に、私は温泉めぐりを積極的に始めることを決意した。
このブログでも「シニアになったら温泉めぐり」というシリーズを始めることにしたい。
今日が記念すべき第1回目となるわけだ。
幸いなことにというべきか、私はこれまで本格的に温泉めぐりというものをしたことがない。
若い頃は、雪が見たくなるとスキーに出かけ、温泉はあくまでおまけのようなものだったからだ。
でもシニアになったら、やっぱりスキーよりも温泉である。
行きたい温泉を決めてから、その周辺を観光したり、その土地の料理を味わったりすれば、自ずと旅の優先順位も変わってくる。
今日、湯船に浸かりながら雪を眺め、その静かで豊かな時間に強い感動を覚えた。
ようやく私も、心から温泉を楽しめる、そういう年齢になったのだ。

午後2時40分発の町営バスの乗客は私を含めて2人。
猿ヶ京での乗り換え時間はまた30分ほどあったが、上毛高原発午後4時15分の新幹線たにがわ412号になんとか間に合い、夕食時には吉祥寺に帰り着いた。
心も体も癒された楽しい温泉旅行。
この冬、もう1〜2回は雪見の湯に出かけてみたいものである。
楽天トラベル評価4.43、私の評価は4.70。
「法師温泉 長寿館」 住所:群馬県利根郡みなかみ町永井650 電話:0278-66-0005 http://www.hoshi-onsen.com/index.html