朝、妻を誘ってお散歩に出かけた。
今回の岡山帰省は明日でちょうど2週間となり、私たちは東京に戻る予定にしている。
その前に最寄りのバス停までの道順と時間を確認しようと思って、妻を散歩に誘ったのだ。
東京にいる時とは違い、岡山では農作業や介護とやることがやたらに多くて、のんびりする時間がほとんどなかった。
ゆっくり歩いて、伯母の留守宅から一番近いバス停までは15分ほどだということがわかった。
荷物さえ少なければ、岡山空港から岡山駅までリムジンバスで出て、そこから東岡山方面に行くバスに乗ればかなり近くまで来られることがわかった。
先日購入した軽自動車の「ハスラー」を伯母の家に止めておけば、今後はレンタカー代が節約できるかもしれない。
そんな実利的な目的を持ったお散歩ではあったが、初めて通る田舎道はどこまでものどかでまさに旅行気分を堪能できる。
子供の頃には駅に出るときに時々歩いた道だったが、印象は当時とはまるで違う。
風情などというものには全く興味がなかった子供時代とは違い、シニアになった今は心が洗われるような静かな景色である。
朝の散歩を終え、私は草刈りに向かった。
そもそも今回の帰省の目的は、畑の草刈りをすることだったが、これがなかなか大変でついつい後回しにしている間に作業最終日になってしまった。
午前10時ごろから初めて、お昼までたっぷり2時間、一人で草刈機を携えて身長を超える巨大雑草に立ち向かう。
広い畑で草刈りをしていると、いつまで経っても終わらないんじゃないかという絶望感をいつも感じるのだが、すでに半分以上の草刈りを終えているので、今日は焦ることなくセイタカアワダチソウの黄色い花を徐々に消滅させていった。
お昼のニュースに合わせて家に戻ると、阿蘇山が噴火したとテレビが速報していた。
「噴煙が火口縁上約3500メートルまで上がり、火砕流が西に約1300メートル流下したのが確認された」という。
当時16人が登山中だったが、ケガ人などはなかった。
しかし、阿蘇山といえばあのデカいカルデラが有名。
あれは遠い昔起きた「カルデラ噴火」の痕跡であり、もし同規模の大噴火が起きると九州全域が壊滅状態になると考えられている。
文字通り、「日本沈没」が現実のものとなるのだ。
しかし私はいつまでも阿蘇山に関わっているわけにはいかない。
草刈りはまだ終わっていないのだ。
私が使っている草刈機は充電式なので、午後改めて出動するためには充電にある程度の時間が必要である。
充電している間に、昼食を食べ、脚立や高枝バサミを使って柿の実を取り、午後2時ごろから草刈りを再開した。
気分を変えるため、大きな畑は後回しにしてお墓の近くの小さな畑から草を刈る。
小さな畑は草刈りもすぐに終わるため、達成感がある。
そして気分を良くしてから、メインの畑の草刈りを一気に終わらせた。
これで一応、今回の帰省の目的は果たしたことになる。
午後4時ごろ家に帰り、妻に声をかけた。
「お墓の近くの畑に花の種を撒かないか?」
妻はすぐに乗ってきた。
昔から畑のどこかに撒こうと海外で購入した花の種を岡山に持ってきていたのだ。
草刈機で雑草をざっと刈り、まだ雑草の根に覆われた畑をミニ耕耘機で強引に耕す。
地中に埋まっている雑草の根が耕耘機のローターに絡み付いた。
それでもホンダの耕耘機「ピアンタ」は健気に雑草の根と戦い、飛び跳ねながらなんとか任務を全うした。
雑草に覆われていた小さな畑に、ミニ耕耘機で耕した小さな畑が出来上がった。
妻が早速、用意していたハーブの種を蒔く。
いろいろ細かいことを気にする妻だが、種まきとなると実に大雑把で、発芽した後のことなどお構いなしに気の赴くままに感覚的にパラパラと種を散らしていくのだ。
「もう少し、どこに何を植えるか考えて素敵なガーデンを作ってくれればいいのに」
私は内心そんなことを思いながら、妻の種まきを眺めていた。
先日小豆島で買ってきたオリーブの苗木を、お墓の敷地内からこの畑へ移動させた。
この畑の方がずっと日当たりがいい。
岡山という土地は地中海気候でオリーブの栽培には適している。
果たして苗木は無事に根づいてくれるだろうか?
もしもオリーブとハーブが順調に育てば、もうお墓に供えるお花を買い求める必要もなくなる。
妻にとっても、岡山に帰省する楽しみができたというものだ。
私たちは明日一旦東京に戻るが、近い将来、再び岡山に岡山に来ることになるだろう。
介護と農作業。
当分の間、これが私たちのライフスタイルになりそうだ。
結果的には今流行の「二拠点生活」となるわけだが、妻は岡山での生活が徐々に性に合ってきたようである。
吉祥寺にいる時はゴロゴロと情報収集などをしながら静かに過ごし、岡山に来たらもっぱら肉体労働。
「晴耕雨読」などという洒落たものではないが、私にとって吉祥寺と岡山の二拠点生活はとてもエキサイティングである。
これからしばらくは、このような生活が繰り返されるに違いない。
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