今日は秋分の日。
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。

久しぶりに吉祥寺に戻ったので、図書館に本を借りに出かけた。
しかし私がいつも利用しているヨドバシ裏にある吉祥寺図書館は、9月初めから11月半ばまで工事などのために館内で本を探すことができなくなって、ネットなどで予約した本のみ借りられるように制限されていた。
事前に知っていたのにすっかり失念していた。
仕方なく、本を借りるのを諦めてお菓子を買って帰ろうと思ったが、いつもの西友は10時にならないと開かない。

仕様がないので西友の前にある曹洞宗のお寺「月窓寺」にお参りする。
今日はお彼岸だということで特別にサンロード側の正門が開いていた。
吉祥寺に引っ越した頃、この寺で月に1回開かれる坐禅会に参加したことがあったが、2度ほど行っただけで続かなかった。

月窓寺の山門の両サイドに仁王像があることに初めて気づいた。
阿吽の表情を浮かべる仁王像は通常は彫刻だが、月窓寺の仁王様はレリーフだった。

境内には三蔵法師の像も置かれていた。
曹洞宗と三蔵法師がどういう関係なのかは知らないが、吉祥閣の落慶記念として昭和55年からこの場所に立っているという。

吉祥寺の大地主として圧倒的な存在である月窓寺。
久しぶりに坐禅会にも参加してみようかななどと思う。
太極拳や書道会も開かれているので、下手なカルチャーセンターに行くよりも使い勝手が良さそうである。

そんな感じで時間を潰して午前10時の開店時間に西友に戻ると、大勢の人が店の前で待っていた。
みんな買い物が好きなんだなあと思う。
私は自分で食べるお菓子ぐらいしか買い物はしないので、何年経っても吉祥寺のお店に詳しくならない。

お菓子を買って家に帰ると、妻が「お彼岸だから」と言っておはぎを買ってきた。
我が家の御用達「俵屋」さんのお彼岸おはぎである。

きなことくるみとごま。
ごまのおはぎはまだ食べたことがなかった。

3つのおはぎを半分ずつに切って、これが今日のお昼ごはんである。
俵屋さんのおはぎは5種類あってどれも美味しいが、個人的には初めて食べたごまのおはぎが甘さ控えめで香ばしくとても美味しかった。

そういえば、トイレにかかっている「和食の暦」にも、秋分の日のところにおはぎが描かれていた。
『お彼岸に頂く「ぼた餅」や「おはぎ」は夏の「夜船」、冬は「北窓」とも呼ばれる。名前の由来はその製法に。餅を杵で搗(つ)かず、炊いたもち米をすりこぎでつぶして作るため、いつ“着いた”か分からない「夜船」。また搗き知らず転じて「月知らず」から月がみえない冬の「北窓」になぞらえてのこと。』
たいそう風流の言葉遊びだが、それよりも「ぼた餅=牡丹餅」「おはぎ=御萩」という漢字が添えられていて、これが語源なのかと興味を持った。

9月にカレンダーには、私が格闘した「クズ」も描かれていた。
『万葉の昔から秋の七草のひとつに数えられてきた葛。大きな根に含まれるでんぷんは葛粉として親しまれてきたが、今では貴重なものになっている。根を乾燥させたものは葛根(かっこん)、花を乾燥させたものを葛花(かっか)といい、生薬の原料や民間治療薬をしても用いられる。』
来年、もう少し余裕があるようであれば、退治したクズを使って葛粉を作ってみるのも悪くない。
今の季節、精力旺盛なクズは集落のあちこちに自生している。

もう一つ、9月のカレンダーに描かれていたのが「薩摩芋(サツマイモ)」。
『焼き芋、煮物、天ぷら、お菓子など多様に調理されるサツマイモは、炭水化物・ビタミン・ミネラル・食物繊維などをバランスよく含み、穀物と野菜の栄養成分をあわせ持つ準完全食。水耕栽培でき、葉も茎も食べられ廃棄が少ないことにより、宇宙ステーションでの自給作物としても期待されているという。鶏肉とのこってりした甘酢炒めはごはんがすすむ一品。』
サツマイモといえば9月ごろから収穫が始まるので、私も岡山に植えていたサツマイモを試し掘りしてみた。

その結果は、ご覧の通り。
ほとんどのサツマイモはまだ育っておらず、根っこが少し膨らんだぐらいのとても芋とは呼べないものが大半だった。
このサツマイモは植え付け直後にイノシシに荒らされたもので、辛うじて生き残った根っこが少し芋のように育ったものだ。

一番大きく育った芋を切ってみると、中を虫に食べられていて、残念な結果となった。
サツマイモを食い荒らすセンチュウとしては「サツマイモネコブセンチュウ」がよく知られる。
おそらく犯人はコイツだ。

そんな失敗のサツマイモではあるが、根っこのような細いサツマイモを蒸して食べてみると、これがどうして、しっかりとサツマイモの味がするではないか。
それもかなりの美味である。
サツマイモは葉も茎も食べられるというのは本当にことらしい。
戦国時代には、芋の葉や茎で作った「芋がら」は武士たちの重要な食糧だったという。

実りの秋。
一年の努力が美味しい食べ物となって報われるのだ。
帰京するにあたり、枝に残っているトマトをまだ緑のまま収穫して持ち帰った。
追熟して赤くなれば食べてみるつもりだ。
あのまま置いていても虫たちの餌食になるだけ。
私たちが普段食べているトマトも緑のうちに採ったものが多いに違いないのだ。

大好きなブドウも今年は飽きるほど食べた。
畑で腐らせるのは惜しいからと、自分で食べるために3箱のマスカットを吉祥寺に送った。
ピオーネはヨーグルトと一緒に食べると甘さが抑えられて私好みの味となる。
自然と戦うのではなく、人間が自然の一部となって自然の恵みをいただく。
そんな農業に一旦手を染めると、徐々に心が謙虚になっていくのがわかる。
さまざまな恵みと気づきを与えてくれた今年の9月。
来年はもっと上手くやろうと、東京に戻っても夢は広がるばかりである。