<吉祥寺残日録>月一農業2020年10月/ 草刈りに始まり草刈りに終わる #201004

今年は毎月1回岡山に通い、「月一農業」を始める予定だった。

しかし、そんな私の計画を狂わせたのは、コロナ禍と雑草である。

夏場にコロナが流行したおかげで、8月、9月は岡山に帰省することを自粛したため、およそ2ヶ月半ぶりの畑仕事となる。

つい先日、田植えだと思っていたら、水田は稲穂は色づきもう稲刈りの季節だ。

コロナで畑に来なかった間に、雑草たちはのびのびと育っていた。

とても農業など始められる状況ではなく、またもや草刈り、いや「開墾」を始めなければならない。

私の背よりも高い雑草が畑を覆い尽くしているのだ。

夏場の太陽をたっぷり浴びてすくすくと育った雑草は、茎の太さがちょっとした小木並みに太くなっている。

しかも、その足元には背の低い雑草が繁茂してからまり合い、その中には厄介者のつる草も含まれているのだ。

果たして、わたしの電動草刈機でこの草むらを制圧することができるだろうか?

作業初日の昨日、手始めに伯母が気にしていた駐車場の草を刈ってから、私の名義になっている小さい畑から取り掛かった。

およそ1時間格闘して、200平米ほどの畑の草刈りを終えた。

草刈りといっても、単に背の高い草を切り倒しただけで、まだ地面は見えないままだ。

それでも、目の前を塞いでいた背の高い雑草がなくなるだけで、一気に視界が開け晴れ晴れとした気分になってくる。

先の見通しがきかないことは、失敗することよりも悪い。

仕事も私生活でも、そして雑草も同じことのようだ。

今すぐにここで、何か作物を栽培しようと思っているわけではないので、今回はこの程度にして次の畑に向かうことにした。

2年前まで伯母がブドウを作っていたこちらの畑。

どこから手をつけていいかわからないような絶望的な状況になっていた。

ただ考えていても仕方がないので、草刈機を抱えて、とにかく草むらの中に降り立つしかない。

360度、周囲を草の壁に取り囲まれるという経験は私の人生では未経験だった。

「開拓者」と呼ばれ、前人未到の原野に踏み込んだ先人たちは、こうした自然と戦って征服してきたのだろう。

ジャングルや岩場、湿地帯や乾燥地帯など私たちの先人たちは、あらゆる困難と戦ってきた。

それに比べれば、こんな草なんか困難のうちにも入らないだろう。

私は意を決して、草刈機を振り回し、手当たり次第に草をなぎ倒して行った。

刈っても刈っても、その向こうには雑草の壁がたちはだかる。

とにかく、背の高い草だけでも倒したい。

そう思いながら2時間ほど格闘したところで、草刈機のバッテリーが切れてしまった。

初日の作業はここまでだ。

元のブドウ畑のうちこの日刈ったのは半分ほど、バッテリーを充電し直して再チャレンジするしかない。

今日の午後は、まず妻を連れて墓参り。

お墓のまわりには半ば野生化したコスモスが咲いていた。

都会の墓地では考えられないようなのどかな光景。

ただ、伯母がお墓のまわりの雑草をこまめに抜いてくれているから維持されている光景でもある。

もし、88歳の伯母がそうした手入れをしてくれなくなったら、お墓も荒れ果てて近づくことさえままならなくなるのだろう。

そんなことを思いながら、畑の草刈りを再開した。

今日も2時間ほど草と格闘し、ようやく畑を覆っていた草を一通り退治した。

秋の雑草はすでに子孫を残す態勢を整えているらしく、草を倒すたびに、綿毛のような種子が大量に放出される。

メガネとマスクで目鼻口をガードしなければ、息もできないほどの生命力だ。

こうして畑に降り注いだ雑草の種は、たとえ私が何かの作物を育てようとしても、きっと必要な栄養素を奪い去り、来年もこの畑は雑草天国になってしまうのだろう。

農業とは草との闘いだという話は聞いたことがあるが、それを身を以て体験した一年だった。

それでも、プロの農家ではない私にとって、雑草は決して敵ではない。

背の高いグロテスクな草をすべて倒してみると、残った雑草たちは結構かわいい姿をしていた。

種類も実に多彩で、それぞれが個性豊か、良く言えばナチュラルなイングリッシュガーデンみたいと言えなくもない。

中でも私のお気に入りは、この猫じゃらし。

今の季節、いたるところに可愛らしい穂を風に揺らせている。

子供の頃、どこにでも生えていたこの草も、東京に来るとあまりお目にかかる機会がない。

ある植物を「作物」と呼ぶか、「雑草」と呼ぶかは、人間の都合にすぎない。

草は草で、自然の摂理のままに命を繋いでいるのだ。

この畑をどのように維持管理していくのか?

結局のところ、今年は答えを見つけられなかった。

冬になって雑草が眠りについたところで、なんらかの方針を決めなければならないだろう。

定期的に帰省できなければ、とても雑草には勝てない。

それだけが、今年私が得た教訓だった。