<吉祥寺残日録>岡山二拠点生活🍇 旅行の下見に行った倉敷美観地区で運よく中秋の名月を見る #230929

今日は中秋の名月。

「中秋の名月=満月」ということでは必ずしもないらしいが、今年の旧暦8月15日は見事に満月と重なった。

私はこの満月を期せずして、倉敷の美観地区で眺めることとなった。

どこで見ても中秋の名月には変わりないとはいうものの、やっぱり背景となるまわりの景色によってその美しさは何倍も違うことは間違いない。

ではなぜ、私が今夜倉敷にいたのかについて書いておこうと思う。

実は明日から大学時代の友人たち6人が岡山の私の家に遊びに来ることになったのだ。

主たる目的はブドウ狩り。

もう収穫の適期は過ぎてしまったが、成熟の遅いブドウの房が数十はまだ棚に残っている。

ついでに草刈り体験などもしてもらうつもりだが、みんな本気で農業をやる気ではない人たちなので、ちょろっとうちの畑を見た後は岡山の街に繰り出して宴会という段取りだ。

そして、明日の夜は岡山駅近くのホテルに宿泊し、翌日からは岡山を起点にした観光を予定している。

とりあえず日曜日の朝は、桃太郎伝説にまつわる鬼ノ城や吉備津神社を回り、倉敷の町家カフェで休憩と買い物をした後、瀬戸大橋で四国に渡り、讃岐うどんを食べ、その日の夜は祖谷温泉に宿泊する計画である。

ざっくりそうは決まっているものの、みんな自由気まま、途中でどんどん予定が変わることも考えられる。

そこで、岡山から鬼ノ城、倉敷というルート上にある観光地をチェックしておこうと思い、今日午後から車を西に走らせたのだ。

最初に向かったのは巨大な鳥居が目印の「最上(さいじょう)稲荷」。

岡山では「日本三大稲荷の一つ」として知られているが、全国的には「日本三大稲荷」を名乗る神社はいろいろあるらしい。

初めて訪れた最上稲荷は神社ではなく、どでかいお寺であった。

正式名称は「最上稲荷山妙教寺」といい、神仏習合のスタイルを取ってはいるが、暦とした日蓮宗のお寺なのだそうだ。

正面入り口に立つ仁王門はなんとコンクリート製。

中に安置されている仁王像は金色に輝いていた。

岡山県では新年に60万人が訪れるNo.1の初詣スポットなのだが、なんとも味の悪いお稲荷様である。

続いて訪れたのは、豊臣秀吉による水攻めで有名な「備中高松城跡」。

先ほどの最上稲荷から坂を下ったすぐ近くにある。

毛利氏方の最前線だったこの城の周辺は沼地でさすがの秀吉もなかなか落とすことができず、得意の調略もうまくいかず困った秀吉は、黒田官兵衛の提案を受け入れ前代未聞の大規模な水攻めを行った。

わずか12日間で2.6キロの堤防を築き、ちょうど梅雨時で増水した足守川を引き込んで188ヘクタールもの広大な湖をこの一帯に作り高松城を完全に孤立させてしまったのだ。

しかし、1ヶ月の籠城で城内が飢餓状態になった頃、織田信長が本能寺で殺されてしまう。

その報を聞いた秀吉は直ちに毛利との和睦を結び、京都へうって返す。

世に言う「中国大返し」はこの場所から始まったのだ。

と言っても、備中高松城跡にはお城らしきものは何もない。

公園として整備された城跡は昔を再現して沼地が造られ、たくさんの「宗治蓮」が自生している。

「宗治」とは、備中高松城の城主であった清水宗治のこと。

秀吉の計略に乗らず、最後は家臣の命と引き換えに自刃した忠義の武将として地元では今も人気が高い。

本丸の跡には、清水宗治の首塚があった。

単なる公園のような場所でがっかりしてここまで来ると、首塚のあたりだけ違う空気が流れている気がした。

隣には清水宗治が詠んだ辞世の句が石碑に刻まれていた。

『浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して』

周囲の地形を見回しながら秀吉という天下人のスケールを実感するには、それなりの想像力と歴史に対する興味が必要そうだ。

次に訪れたのは「吉備津神社」。

備中高松城跡から車で10分ほどの距離にある備中国の一宮である。

その本殿は全国唯一の「比翼入母屋造」で国宝に指定されている。

ただ私の関心は、この神社に祀られている吉備津彦命、ヤマト王権の将軍としてこの地で鬼退治をしたと伝わる桃太郎のモデルが祭神なのだ。

吉備津彦命に滅ぼされた鬼は「温羅(うら)」と呼ばれ、古代の吉備地方の支配者だった。

温羅は朝鮮半島にルーツを持つ渡来人だったとも言われていて、吉備平定の物語の背後には天皇家の成り立ちの謎が潜んでいる。

ここに私の興味は集中しているのだ。

吉備津神社では温羅が吉凶を占う「鳴釜神事」という面白い儀式があり、今回ぜひこの儀式を体験してみたいと思っている。

こうして吉備路をぐるりとまわり、倉敷に到着したのは午後5時半ごろだった。

趣のある蔵の街が夕陽に染まっていた。

やっぱりこの街は絵になる。

友人の中には倉敷には来たことがある人もいたので、あえて倉敷をスルーする案も浮上したが、岡山に来たらやはり倉敷は外せないと思った。

陽が沈むと、レトロな街灯に灯りが灯る。

なんだか映画のセットの中を歩いているような気分である。

明治か大正の時代にタイムスリップしたような懐かしさ、この時代の日本の街並みは美しい。

夕方にほとんどのお店が閉まってしまう中、夕食は「倉敷らーめん 升家」で食べることに。

選んだのはお店のオススメ「倉敷煮干しらーめん」(1000円)。

自慢の生麺は個人的に好きではなかったが、チャーシューもメンマも半熟卵にも主人の強いこだわりが感じられた。

夕食を終えて外に出ると、予想以上に暗くなっていた。

空にはわずかに青みが残っているものの、肉眼だとかなり暗い。

でも、iPhoneで撮影すると空が結構青く写り、街灯の明るさも強調されて美しい写真が出来上がった。

一度、夜の倉敷に来てみたかった。

やっぱり、綺麗だ。

倉敷のシンボルであるお堀と蔵の風景も、夕暮れの時間が一番美しいと思う。

どこを写しても絵になる。

この時間になると、歩いている人は日本人よりも海外の観光客の方が多いようだ。

路地に入ったところだった。

狭い通りの先に大きな満月が浮かんでいた。

そうか、今日は中秋の名月だ。

「アイビースクエア」の蔦の絡まる建物の上にも満月が浮かんでいた。

ただ残念なことに、iPhoneが勝手に光量を上げてしまうのでツキに表情がなくなってしまう。

調整の方法があることを以前調べたことがあるが、もう忘れてしまった。

写真がダメなら、肉眼で楽しめばいい。

こんな綺麗な月は本当に久しぶりだ。

倉敷で見る中秋の名月、いい夜だった。

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