親たちの見守りと農地の管理を目的に、月に1回のペースで岡山に帰省するようになってもうどれくらい経つだろうか?
ずっと一人で先祖伝来の農地を守ってきた伯母が介護施設に入り、今年から私が一族を代表して農地の管理を行なうことになった。
そして伯母がメインで育ててきた作物がブドウである。

ブドウというのは、なかなか手のかかる果物だ。
1月にまず、前の年に伸びた枝の剪定をする。
「1芽残して切る」、これが素人には難しい。

ブドウの赤ちゃん「花穂」が伸びてくる5月初めには、やることがたくさんあった。
まず除草剤を使って下草を除去し、不要な枝を切除し、残す枝を誘引して針金に固定する。
その上で、たくさんの新芽の中から残すものを選んでそれ以外は「芽かき」という作業を行う。

そのうえで、ブドウの種類に応じて粒の数を整える「花穂の整形」という非常に細かい作業も5月に行う。
こうしてブドウを育てる基本的な作業を一気に行ったうえで、農薬を使って害虫や病気からブドウを守る「防除」もやらねばならない。
慣れないせいもあって、5月に行う一連の作業が最も時間がかかり体力も消耗する。
さらに素人の場合、これでいいのかどうかわからないという不安も膨らんでくる。

5月下旬に入ると、ブドウの花が咲き始める。
この時期に行うのがジベレリン処理だ。
ピオーネのような種なしブドウを作るためには欠かせない作業だが、この時期私は東京に戻っていて不在だったので、近所に住む師匠が代わりにやっておいてくれた。
来年には自分でやらなければならない作用である。

6月に入ると、今度は「摘心」という作業が待っている。
この時期になると、脇芽がどんどん伸びてきてブドウ棚が大変混雑するので、決まったルールに従って枝の先端を切って成長を止め、脇芽の整理をするのだ。
今年私はこの「摘心」で大きな勘違いを犯してしまった。
さらに6月には、ブドウの粒を大きくし形を整えるため不要な粒を間引く「摘粒」という作業もあるのだが、私は時間がなくて行わなかった。
さらにさらに農協のマニュアルによれば、4月から6月にかけて6回以上の「防除」を行うのが普通のようだが、私の場合には滞在期間の関係もあって防除の回数は5月と6月の1回ずつしか行わなかった。
結果的には低農薬栽培とも言えるが、これで果たしてちゃんとしたブドウができるのかはなはだ自信はなかった。

こうしたマニュアルから外れたブドウ作りではあったが、7月になると私のブドウも結構立派な房へと成長してくれた。
病害虫の被害もほとんど見られない。
ブドウの房がたくさんぶら下がる畑の光景はすごく感動的だった。

こうして成長したブドウの房1個1個に袋をかけるのが7月の大切な作業だ。
我が家のブドウはピオーネとマスカットの2種類。
黒ブドウのピオーネには白い袋、青ブドウのマスカットには黄色い袋をかけていく。
袋かけには、病害虫からブドウを守り、強い直射日光を遮り、着色を促す効果があるという。
伯母の身長に合わせた低い棚の下での作業は体が痛くなるが、神経を使う5月6月の作業に比べれば大した労力ではない。
こうして試行錯誤を続けた1年目のブドウ作り。
その結果が、収穫という形で今月明らかになった。

9月4日に岡山に帰省し、私はすぐにブドウ畑の様子を見に行った。
袋の下から覗き込むと、ピオーネはいい感じで色づいていた。

マスカットは緑色のままなので、どのくらい熟したのか目で見ただけではわからないため、1粒ちぎって食べてみると、予想したよりもずっと甘いブドウになっていた。
ピオーネもマスカットも病害虫の被害はほとんど見当たらない。
半年間の苦労が報われた嬉しい瞬間だった。

早速ピオーネを1房取って夕食に妻と試食してみた。
見た目は悪くない。
そして、甘い。
これならば、人様に差し上げても恥ずかしくないだろうと妻も私も判断した。

手始めに、義父母の世話をしている義弟に1房届けることにする。
納屋の中に残っていた出荷用の袋にブドウを入れると、ちょっとした贈答品に見えてくる。

入院中の義父母には、ピオーネとマスカットを房から外し粒だけの状態にしてタッパーに詰めて病院に差し入れすることにした。
紫と緑の2色のブドウ。
見た目も美しく、義父母は全部ペロリと食べてくれたという。

こうした反応に気を良くした私と妻は、翌6日から息子たち家族や私たちの兄弟、さらには日ごろ付き合いのない伯母の兄弟筋まで、あらゆる親族に片っ端からブドウを送り始めた。
伯母は農協に出荷していたが、私たちには販売ルートがない。
生産者が直接持ち込める直売所にも聞いてみたのだが、条件があったり申し込みの時期が過ぎていたりで、私たちのブドウを売る方法は見つからなかった。
今年は伯母が手がけていたブドウ畑のうち一番小さい畑だけでも300房ぐらいのブドウができている。
とても私たちだけでは食べきれないので、伯母が毎年親族に送ってくれていたように、今度は私たちがみんなに送って食べてもらおうということになったのだ。

プロが作ったブドウと違い、私たちが作ったブドウは房の大きさもバラバラで、通常500〜600グラムぐらいで出荷するところ、中には1つで1キロを超える大型の房も混じっている。
大小様々なブドウの房を織り交ぜて箱詰めをしていく。
段ボール箱や中に詰めるクッション材などは伯母が残したものが納屋にあった。
こうして今日は4箱、明日は6箱と、連日少しずつブドウを取ってきて箱詰めしてコンビニに持ち込んだ。

家族の多くは東京周辺に住んでいるため、1ヶ所1270円ぐらいの送料がかかり、総額にすると数万円の持ち出しだ。
しかしせっかく作ったブドウがこのまま木にぶら下がったまま腐っていくのを眺めるのも虚しい。
まだきれいなうちにみんなの手元に届いて美味しく食べてもらえれば、それだけで伯母の畑を管理する苦労が報われたと思えるだろう。

1箱に3〜4房ずつ詰めて送っても、まだまだブドウは残っている。
当座思いつく先にはほとんど送ってしまったので、残りのブドウは毎食自分たちで食べながら、伯母が入所する介護施設や義父母が今度入所する施設などに持ち込み皆さんで食べてもらおうと思っている。
少しでもブドウを喜んでくれる人がいればとても嬉しい。
農業でお金を稼ぐのは容易ではないが、こうして未知の作業に挑戦し、その結果として人に喜んでもらえるならば農業という仕事はとてもやりがいがある。
そして何より、自分たちが美味しいし、こうしたプロセスの一つ一つがいい思い出となっていく。