快晴続きの天候も、孫たちが帰るのに合わせて下り坂となった。
今日は朝から小雨が降っている。
一足早く妻が帰京するため、今朝は家の片付けに追われる。
東京と岡山の両方の家を管理するのは、時々妻のストレスになっているようだ。

私の方はといえば、家の片付けには興味がなくて、もっぱら畑の片付けをおこなっている。
ブドウ棚に残っていたピオーネとマスカットを全部摘み取り、賑やかだったブドウ畑が急に寂しくなったようだ。

この季節になると、ブドウは完全に旬を過ぎ、傷んだ粒が目立つようになる。
熟れすぎて皮が破れて果汁が外に溢れ、多少腐りかけた匂いを放つ房も目に付く。
マスカット好きの私は、未練がましく残ったマスカットを毎食食べているが、収穫後はすぐに色が変わってしまい、見た目にも美味しそうではなくなってしまう。
残念だが、まだ食べられそうな粒を選んで食べて、残りは捨てるしかないだろう。

ピオーネの方が皮がしっかりしているので、熟れすぎて黒く変色した粒を取り除けば、まだなんとか人様にもあげることができそうな房がまだ30ほど残った。
これを捨てるのももったいないと思い、伯母が入所している老人ホームと1箱、生活困窮者の支援施設「北長瀬コミュニティフリッジ」に3箱寄付することにする。
人様にあげるには失礼な房は廃棄処分とするしかない。
これで今年のブドウは全部終わりだ。

収穫を終えたブドウ畑に「お礼肥」として伯母がかつて使っていたナタネ油粕を撒いておいた。
「お礼肥」とは、美味しい果実をありがとうという気持ちを込めて行う追肥のことで、果実のために消費した栄養分を土に返してあげることを目的としているそうだ。
実際にはどうやればいいのかわからないのだが、株の周りだけでなく畑全体に収穫した果実とほぼ同量の肥料を撒くというサイトを見つけ、伯母の残した肥料の袋が破れ始めていたため、1袋全部をまんべんなく畑に撒くことにした。
これでブドウ栽培の1年目、無事終了である。
ありがとうございました。

ブドウの次に、今度は夏の間トマトとキュウリを育てた棚を片付ける。
キュウリは9月にはすでに枯れてしまったが、トマトの方は10月になってもまだ元気で、特にミニトマトはたくさんの実が枝先に残っていた。
孫たちに頼んで、トマトをすべて収穫してもらう。
赤い実はもちろんまだ緑色の実も全部摘み取った。
緑色のトマトもそのまま納屋に置いておけば追熟して赤くなり食べられることを今回確認した。

そして実のなくなったトマトの枝を棚から外していく。
トマトの枝は複雑に伸びてそれを支えるように要所要所麻紐でパイプに固定されている。
その麻紐を切って、さらにトマトを根元からカットして、支柱から引き剥がしていく。
数ヶ月間、たくさんのトマトを実らせてくれた。
これまた、ありがとうである。

そうして全部を片付けると、すっきりと合掌型の支柱だけが残った。
この支柱を組んだのは5月のことだ。
台風にも負けず、たくましくトマトとキュウリを支えてくれた。
支柱を固定する麻紐を切って、1本ずつバラしていく。

こうして支柱が取り除かれた畝から最後に黒マルチを剥がしていく。
マルチは非常に薄いので、無理やり引っ張るとすぐに破れてしまい、端っこが土の中に残ってしまう。
だからスコップで畝の端を掘り起こし、土とそこに生えた雑草を丁寧に除去していく。
5ヶ月の間に生えた雑草が黒マルチを土にガッチリと固定しているのだ。

黒マルチの下には白いもやしのようなものが何本も生えていた。
太陽の光が遮られていたので、雑草が白くなってしまったのだろうか?
それとも何か違う生物なのか、私には判断がつかなかった。
それでもこの土が、お化けキュウリとたくさんのトマトを育ててくれたわけだから感謝しなければならないだろう。

収穫の秋。
いろいろな作物が採れるこの時期は、片付けの時期でもあり、1年間の作業が終わって少し寂しさも漂う季節である。
でも来月にはタマネギの植え付けが待っている。
私の農業体験は去年のタマネギから始まったので、これでほぼ一周したことになるのだ。
今回の帰省中に、タマネギ用の土づくりをしておこう。
この1年の経験の結果、私の脳も自然にそんなことを考えられるようになった。