朝起きると、秋の空が広がっていた。
雲が高い。

久しぶりにベランダに椅子を持ち出し、本などを読む。
100年前の9月に暗殺された実業家・安田善次郎の伝記である。
明治の大激動期に一代で安田財閥を作り上げたが、大正10年9月28日、自宅に訪ねてきた朝日平吾に面会中、短刀で刺され絶命した。
享年82。
戦後不況の最中に起きたテロ事件であり、朝日平吾は次のような内容の斬奸状と遺書を持参しその場で自決した。
朝日による斬奸状には、「奸富安田善次郎巨富ヲ作スト雖モ富豪ノ責任ヲ果サズ。国家社会ヲ無視シ、貪欲卑吝ニシテ民衆ノ怨府タルヤ久シ、予其ノ頑迷ヲ愍ミ仏心慈言ヲ以テ訓フルト雖モ改悟セズ。由テ天誅ヲ加ヘ世ノ警メト為ス」(現代語訳:悪徳豪商の安田善次郎は巨万の富を築いたがその富豪としての責任を果たしていない。国家社会を無視し、貪欲にして卑しくケチで長らく民衆の恨みを集めている。私はその頑なさを哀れみ仏心と慈しみの言葉で諭そうとしたが悔い改めることはなかった。そのため天誅を加えて世の戒めとする)と記されていた。
出典:ウィキペディア
そのため、当時のマスコミは朝日を英雄視し、彼の葬儀には全国から労働組合や支援者が集まったという。
しかし実際には、安田善次郎が株を独占し大儲けしたという間違った噂に基づいたテロであり、晩年の善次郎は東京大学の安田講堂にその名が残っているように慈善事業に取り組んでいた。
そしてこの1つのテロ事件に触発されて、1ヶ月後、東京駅で時の原敬首相が暗殺される事件へと繋がっていく。
自由な空気が流れていた大正時代の日本に不吉な暗雲が広がり始めるきっかけとなった事件とも言える。

暦を見ると、今日から七十二候の「玄鳥去(つばめさる)」である。
「ツバメが南方へ去っていく頃」という意味らしい。
井の頭公園ではだいぶ以前からツバメの姿はまったく見かけなくなった。
ベランダに座っていると、セミの鳴き声が少し静かになってきて、鳥の鳴き声も多少聞き取りやすくなった気がする。
5日前には確認できなかった「ハクセキレイ」らしき鳴き声も聞こえた。
しかしこのところ「ワカケホンセイインコ」の大群がキーキー声を響かせながら飛び回っているのには、いささか辟易とする。
「暦生活」というカレンダー屋さんが立ち上げたサイトに、ツバメに関するためになる一文が載っていた。
夕方の空に、無数のツバメが乱舞している姿を見かけたことはないでしょうか。私は毎年、高速道路のサービスエリアで遭遇していますが、ツバメたちが高く舞い上がって、思い思いに急旋回や急降下を繰り返し、空にゴマ塩をまいたように空間を埋め尽くしている光景は壮観です。長い旅路に備えて、しきりに飛行訓練をしているようです。
そして秋風が吹き始めると、子ツバメを含む数千から数万羽の大集団となって旅立ちます。ツバメが旅立つのは、曇りの日か小雨の日。雲に隠れるように飛んでいきます。陽が落ちるのを待って、大きく旋回しながら、みえなくなるほど高く、高く舞い上がり、南へ移動していきます。
引用:暦生活「玄鳥去つばめさる」

本を読んでいる間に、青空は雲で覆い隠されすっかり曇り空に変わっていた。
雲に隠れるように大群で飛び去る去るツバメを想像する。
そういえば、昔バンコクで暮らしていた頃、ツバメの大群が夕暮れの空を舞っていたのを思い出す。
歓楽街として知られるパッポン通りあたりで目にすることが多かったので、「パッポンツバメ」と呼んでいたが、あれは冬を越すために南下したツバメたちだったのかもしれない。

ツバメたちが南に飛び去る頃、南から変な台風がやってきている。
上海沖で停滞していた台風14号は、突如進路を東に変え、福岡から真東に向かい週末に日本列島を横断する予報になった。
ちょっと前の予報では、福岡から大阪、名古屋、東京をまっすぐ貫くゴールデンルートを進む予報が出て、「これはすごい」と思っていたのだが、少し南にずれるようだ。
それでも滅多に台風に襲われない岡山の近くも通るので、この週末の天気は気になるところだ。

さて、ツバメが去る頃ということで、「去り際」の話を書いておこうと思う。
つまり誰でもが迎える「老い」の問題である。
経産省の元高級官僚だったおじいさんが引き起こした池袋の交通死亡事故で、被告の飯塚幸三被告(90)に禁固5年の実刑判決が確定した。
母子が死亡し9人が重軽傷を負ったこの事故で、被告のおじいさんは一貫して自動車の故障だと主張し、世間の顰蹙を買った。
高齢者が周囲の静止を聞かず自動車を運転して重大な事故を起こすケースは後を絶たない。
今月初めに開かれた判決公判で、東京地裁は飯塚被告がブレーキとアクセルを踏み間違えたことが事故の原因と認定し、執行猶予のつかない実刑判決を言い渡した。
被告側が控訴するかどうかが注目されていたが、飯塚被告は判決を受け入れ、刑務所に収監される覚悟を決めたという。
自らの「老い」を認めることは辛いことなのだろうが、このおじいさんはそれができなかったばかりに晩節を汚した。

この事故と直接は関係ないが、最近テレビで映画で男の「老い」について考えた。
クリント・イーストウッドの10年ぶりとなる監督主演作品である「運び屋」。
メキシコの麻薬カルテルに雇われ運び屋をしていた90歳の男の実話がベースになっている。
クリント・イーストウッドは今年91歳になった。
「ローハイド」や「夕陽のガンマン」から始まったニヒルなヒーローは、老いて誰よりも渋い役者になった。
家族を顧みず仕事と仲間付き合いを優先して生きてきた男。
仕事では数々の成功を収めたが、家族からは見放され娘は10年以上口を聞いてくれない。
家族と離れ仕事に生きた男が老いて仕事を失い、麻薬の運び屋になる。
朝鮮戦争で戦った元兵士はギャングの脅しにも怯まず、口が悪く、女好きで、マイペースで仕事をこなしていく。
しかし別れた元妻が死の床についた時、男はカルテルの掟を破って妻のもとに駆けつける。
元妻の枕元で過ごした数日間が、過去の過ちを埋めていき、彼は家族に受け入れられ救われた。
逮捕され法廷に立った男は弁護士の言葉をさえぎって、自らの罪を認め刑務所に入る道を選んだ。
「私は有罪です。罪を犯した」と。
家族との関係が修復できたことで、男にはもはや失うものはなくなったのだろう。
それにしても、イーストウッドの演技は最高だ。
短いセリフの端々、ちょっとした表情や歩き方の断片に男の生き様と後悔があふれる。
結局は、人生で何を残したかではなく、どう生きたかが大事なのだ。
そんなことを、考えさせられる。

エンディングで流れるカントリーミュージック。
おそらくクリント・イーストウッドのメッセージが込められているのだろう?
それは、こんな歌詞だった。
老いを迎え入れるな
もう少し生きたいから
老いに身をゆだねるな
ドアをノックされても
ずっと分かっていた
いつか終わりが来ると
立ち上がって外に出よう
老いを迎え入れるな
数え切れる歳月を生きて
疲れ切って衰えたこの体
年齢などどうでもいい
生まれた日を知らないのなら
妻に愛をささげよう
友人たちのそばにいよう
日暮れにはワインで乾杯しよう
老いを迎え入れるな
さて、この歌詞をどう理解すればいいのだろう?
90歳になった男の気持ちは私にはまだ理解できない。
それにしても、クリント・イーストウッドには憧れてしまう。
「許されざる者」でアカデミー賞を獲得したのが62歳、「マディソン郡の橋」は65歳だ。
まさに今の私ぐらいの年齢からどんどん進化しているのである。
そして晩年になればなるほど、その演技が渋くなり、人の心の深い部分に染み込んでくる。
クリント・イーストウッドのような爺さんになれたら最高だ!
自らの「老い」を真正面から見据えて、悔いのない余生を生きていきたいものである。
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