<吉祥寺残日録>小鳥の「さえずり」を聴き分けようとして、自らの聴力の欠陥に気づく #210504

今日は「みどりの日」。

4月29日を「昭和の日」に奪われて、連休の隙間に無理やり移動させられた祝日だ。

最近、夜が明けるのが早くなったのと、睡眠障害に悩む妻が早い時間からゴソゴソするため、私にしては珍しく5時すぎに目が覚めてしまった。

せっかくなので、朝の散歩に出かける。

この季節はまだ朝の空気はひんやりしていて気持ちがいい。

玉川上水の脇を通って「第二公園」に行くと、大きなカメラを持った人たちがしきりに上を見上げながら歩き回っている。

朝の井の頭公園はバードウォッチャーたちが集結する時間なのだ。

三脚を立てて「オオタカ」を狙っている人もいれば・・・

木立に分け入って、何やら小鳥を狙う人もいる。

どうも常連さんが多いようで、時折集まっては情報交換したり、お互いに撮った写真を見せあったりしていた。

ただ5月ともなると、冬とは違って木々はすっかり葉に覆われて、小鳥たちがいる樹上の様子はなかなか見えない。

しかし、鳥のさえずりはたくさん聞こえてくるのだ。

私も木立の下に立ち止まってじっと耳を澄ます。

せわしく動き回る小鳥をカメラで追うのは大変だが、こうして鳥のさえずりを聴いているだけでとてもいい気分になってくる。

先月あたりからそのことに気づき、最近こうして「第二公園」や「小鳥の森」方面に来て鳥たちの声を聞くことが増えてきた。

年の初めから続けている植物観察も、5月に入って変化が乏しくなった。

その代わりと言ってはなんだが、近頃では小鳥の鳴き声が妙に気になるようになり、ついでに鳥の鳴き声を聴き分けられるようになりたいと思ってこうして足繁く通っているのだ。

しかし・・・である。

これが私にはとても難しい。

聴いた音を記憶できない。

ある鳥の鳴き声を注意深く聴き、「覚えた」と思って家に帰って調べようと思っても、いろんな鳴き声と聴き比べているうちに、公園で聴いた鳥の声をすっかり忘れてしまうのだ。

どうやら、私の聴力は脳の記録中枢とは繋がっていないらしい。

だから語学が苦手なのだ。

耳から聴いた音が脳内で定着しない。

おそらく音楽家など耳を鍛えている人ならば、鳥の鳴き声を聞いても記憶として脳内に刻むことができるのだろうが私にはその能力が根本的に欠落しているということに気づいた。

でも、だからといって今さら特に困ることもない。

「シジュウカラ」の鳴き声が聴き分けられたように、ゆっくり繰り返しながら一つずつ記憶に定着させていけばいい。

緑の中に身を置いて、自動車の騒音ではなく鳥のさえずりに耳を澄ます。

その行為そのものに価値がある。

そういえば、朝6時半に西園のトラックに行くと、大勢の人が集まってラジオ体操をしている。

おそらく100人以上はいるのだろう。

音楽に合わせて思い思いに体操をして、放送が終わると三三五五帰っていく。

井の頭公園の朝の習慣。

私ももう少し歳を取ったら、ここに来てラジオ体操をしたくなるのかな、などと思いながら私は小鳥たちの声を聞いていた。

ちなみに、「さえずり」とは、主にオスが求愛や縄張りを守るために出す鳴き声のことで、「春から夏にかけての繁殖期の間にだけ鳴くものが多い」のだそうだ。

「さえずり」以外の通常の鳴き声「地鳴き」とは区別される初夏の音で、今この緑美しき季節こそ、小鳥の「さえずり」に耳を傾けるべき季節なのである。

今年の初夏が終わる頃、一つでも多く鳥のさえずりが聴き分けられるようになっていれば嬉しいと願う。

<吉祥寺残日録>今年初の夏日の井の頭公園を鳥のさえずりを聴きながら半袖で歩く #210422

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