<吉祥寺残日録>トイレの歳時記🌻七十二候「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」に日本の伝統産業「養蚕」を学ぶ #210521

もう1週間ほど梅雨のような天気が続いているが、関東地方にはまだ梅雨入りの発表はない。

九州の方では、5月としては歴史的な豪雨が降っているらしい。

昨日の朝には、久しぶりにかなり濃い霧が立ち込め、カーテンを開けた妻が歓声をあげながら寝ていた私を起こした。

仕事があると、日々の天気も気になるものだが、ずっと家にいる御身分の私は「へえ〜」と一応相槌を打って、ベランダから写真を撮ったが、すぐにまたベッドに舞い戻った。

コロナを言い訳にしながら、すっかりぐーたら生活が身についてしまったようだ。

さて暦は今日から二十四節気の「小満」となる。

「小満」とは、「陽気が高まり、万物がほぼ満ち足りてくる」頃という意味で、要するに気温も上がり植物の葉も一通り繁って緑ムンムンの季節になったということだと理解した。

そして「小満」の初候は、「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」という。

「カイコが成長してクワの葉を食べ始める頃」という意味だそうだが、蚕も桑もテレビでは何度も見てはいるが、実際に自分の目で見たことはない。

そこで、ちょっと調べてみると、意外な事実がわかったのだ。

蚕は「カイコガ」という蛾の幼虫なのだが、もはや自然界には存在しない虫なのだそうだ。

カイコは家蚕(かさん)とも呼ばれる家畜化された昆虫で、野生動物としては生息しない。また野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として知られ、餌がなくなっても自ら探したり逃げ出したりすることがなく、人間による管理なしでは生きることができない。カイコを野外のクワにとまらせても、餌のクワの葉を探さずに餓死したり、体色が目立つ白であるためにすぐに捕食されたり、腹脚の把握力が弱いため自力で付着し続けることができず、風で容易に落下したりして死んでしまう。成虫も翅はあるが、体が大きいことや飛翔に必要な筋肉が退化していることなどにより、羽ばたくことはできるが飛ぶことはほぼできない。

出典:ウィキペディア

要するに、蚕は人間と一緒でなければ生存できない家畜のような虫なのだそうだ。

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それというのも、養蚕の歴史がものすごく古いせいだ。

養蚕の起源は中国大陸にあり、浙江省の遺跡から紀元前2750年頃(推定)の平絹片、絹帯、絹縄などが出土している。殷時代や周時代の遺跡からも絹製品は発見されていることから継続的に養蚕が行われていたものと考えられている。系統学的な解析では、カイコは約5000年前までにクワコ(Bombyx mandarina)から家畜化されたと考えられている。

中国では養蚕技術の国外への持ち出しは固く禁じられており、特に秦による中国統一(紀元前221年)以後は統制が強くなったと考えられている。また、2週間足らずで孵化してしまう種(卵)の運搬や餌となる桑の調達などの問題もあり、長い間、養蚕技術は中国大陸の外へ出ることはなかった。

出典:ウィキペディア

それにしても、蚕を飼って繭から糸を作ろうなどと昔の中国に人はよく考えついたものだ。

その養蚕の技術が日本に伝わったのは、弥生時代のことだとされる。

日本へは弥生時代に中国大陸から伝わったとされる。秦による中国統一(紀元前221年)によって統制が厳しくなったことから、蚕種はそれ以前の時代に船で運ばれたと考えられており、日本が桑の生育に適していたこともあってかなり早い時期に伝来した。養蚕の伝播経路については諸説ある。朝鮮半島への養蚕技術の伝播との比較などから、中国大陸(江南地方)から日本列島(北部九州)へ直接伝わったとする説などがある。

福岡県の有田遺跡(紀元前200年頃)からは平絹が出土しているが、当時の中国の絹織物とは織り方が異なることから日本列島特有の絹織物が既にあったと考えられている。記紀には仲哀天皇の4年に養蚕の記録がある。

195年には百済から蚕種(カイコの卵)が、283年には秦氏が養蚕と絹織物の技術を伝えるなど、暫時、養蚕技術の導入が行われた。奈良時代には全国的(東北地方や北海道など、大和朝廷の支配領域外の地域を除く)に養蚕が行われるようになり、租庸調の税制の庸や調として、絹製品が税として集められた。

出典:ウィキペディア

今では養蚕農家などほとんど見かけることはなくなったが、太平洋戦争前まではこの武蔵野エリアでも養蚕が盛んだったそうだ。

私が暮らす武蔵野市にある「武蔵野ふるさと歴史館」では去年、武蔵野で盛んだった養蚕について紹介する企画展が行われていたことを知った。

『お蚕さまの家』と題されたこの企画展のチラシには、こんな説明が添えられている。

武蔵野市域において養蚕業は、農作物の生産に比肩する主要な産業でした。市域では蚕を単なる商品として扱うのではなく、「お蚕さま」と呼びならわし、大切に育てていました。生活空間に「お蚕さま」が存在するようになり、大量の桑を与えるために桑摘みを行い、温度管理のために暖房を焚くなど、養蚕によって大きく変化した「くらしのうつりかわり」がありました。

引用:武蔵野ふるさと歴史館「お蚕さまの家」より

明治22年の資料によれば、武蔵野村の87%の家庭が養蚕に励んでおり、今の武蔵野市の1割ほどが桑畑だったという。

にわかには信じられない話だが、吉祥寺駅周辺にもかつては桑畑が広がっていたそうだ。

それもそのはず、明治から昭和の初めまで日本の輸出品の1位はずっと生糸であり、養蚕は国を挙げて奨励された日本の基幹産業だったのである。

井の頭公園の中にある「井の頭弁財天」の絵馬には、白い蛇の絵が描いてあるのだが、この絵馬が養蚕農家に人気だったという記事も目にした。

白い蛇は弁天様の化身だが、養蚕農家たちは蚕の天敵であるネズミ除けにと蛇の絵馬を家に置いたのだそうだ。

そうして新たな知識を得ることで、それまで見えなかったものが見えてくるからなおさら面白いのだ。

蚕が食べる桑がどんな植物だかちっとも知らなかったが、写真を見た瞬間、「あっ、これ井の頭公園で見たことがある」と思い出した。

本当に桑かどうかを再確認すべく、そそくさとその場所に行ってみた。

蚕が食べる桑の葉はこれだと私が目をつけたのがこちらの植物。

今の季節、赤い実がたくさん付いていて、この実の様子が写真とドンピシャだったのだ。

三角公園の目立たない一角に植えられていた。

桑については、もう少し調べて「井の頭公園の植物」シリーズとしてこのブログに記録しようと思っている。

井の頭公園もすっかり緑に覆われ、まさに「小満」を迎えた。

「小満」には、実をつける草木も多いという。

梅や桜に続いて、三角公園の「ハナモモ」の木にも実がなっているのを見つけた。

実の表面に毛が生えていて、小さくてもいかにも桃という風情だ。

こちらは同じく三角公園で見つけた「ハクウンボク」の実。

「エノキ」も、大木に似合わぬ小さな実をたくさん付けていた。

桑の実は食用にもなり、甘酸っぱい味がするのだそうだ。

日本では主に蚕のために栽培された桑だが、西洋では桑の実をジャムや果実酒にするために植えられたという。

歳時記を調べると、知らないことが次々に出てくるものだ。

知ったからと言って何かの役に立つわけではないが、自分が生きているこの世界のことを少しずつでも理解すること自体が面白い。

花の季節が一段落した井の頭公園に、実のなる季節がやってきた。

<吉祥寺残日録>トイレの歳時記🌸七十二候「虹始見(にじはじめてあらわる)」に知る鴨長明の「ひとりを愉しむ極意」 #210414

【トイレの歳時記2021】

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