<きちたび>若狭湾の旅 2019〜福井・おおい町「ホテルうみんぴあ」と作家・水上勉の故郷愛

🔶「旅したい.com」から転載

<福井>【おおい町】「ホテルうみんぴあ」の絶景ジュニアスイートと作家・水上勉の故郷愛

🇯🇵福井/おおい町 2019年11月2~3日

旅行シーズンの11月の三連休。福井の旅行を思い立った時には、すでに宿はかなり混み合っていました。

風光明媚な若狭地方ですが、思わず泊まりたくなるような宿は案外少ない気がします。もったいないことです。

いつものように「Booking.com」で検索して見つけたのが、おおい町の海岸線に建つ「うみんぴあ」というホテルのジュニアスイートルームでした。

小浜湾を一望する二食付きのお部屋に泊まって、湾内クルーズと作家・水上勉さんが情熱を注いだ「若州一滴文庫」を楽しむ。予想外の興味深い体験でした。

「うみんぴあ」のジュニアスイート

若狭湾エリアをめぐる1泊2日の旅。敦賀市から美浜町、若狭町を回って、若狭三方インターチェンジから舞鶴若狭自動車道でホテルを目指します。

夕日を追いかけるように西に車を走らせます。

早めにホテルに入ってゆっくりする計画でしたが、いろいろ見たくなって欲張ってしまうのは、私の悪い癖です。

小浜西インターチェンジで降りて、国道27号線をさらに西に進むと、道の駅やホームセンター、スーパーマーケットが立ち並ぶエリアが現れます。

おおい町と民間が開発する複合施設「うみんぴあ大飯」です。

この再開発エリアの一番海側に建つのがモダンな外観の「ホテルうみんぴあ」。

2009年開業のこのホテルは、建物はおおい町が建設し、運営は民間企業が行なっているそうです。

予約したジュニアスイートは、寝室とリビングが仕切れるようになっていて、広々とした気持ちのいい作りです。

リビングの窓際にはカウチチェアーが置かれています。

でも窓の外はもう真っ暗、もう少し早くホテルに到着していたらとちょっと悔やまれます。

洗面所もとても広々でおしゃれな作りです。

バスルームもとても広くて、ブラインドを開けると、ベランダ越しに海が見えるリゾート仕様になっています。

一夜明けると、窓の外には素敵な光景が広がっていました。

部屋は北向きですが、東の方向にカメラを向けると、やさしい朝焼けが穏やかな小浜湾を染めていました。

リビングルームからの眺めはこんな感じ。

カウチに横たわって、ゆっくりとした時間を味わうことができます。

寝室から西側を望むと、「青戸の大橋」が見えます。

左手のサッシを開けるとタイル張りのベランダがあり、風呂上がりに海風にあたりながらのんびり過ごすことも可能です。

これで二食付きで1人2万2000円。

秋の三連休なので割高になっているそうですが、この部屋で二食付きなら悪くないと思いました。

ディナーコースと朝食ビュッフェ

ホテルに到着したのは5時半ごろでしたが、なんとか夕食には間に合いました。

「ホテルうみんぴあ」では、夕食も朝食も1階のレストラン「さぼうる」でいただきます。

ディナーは午後6時か7時を選ぶことができ、朝食は午前7時から9時までです。

私たちは6時から夕食をいただくことにしました。

7時からのお客さんが多かったので、静かに食事ができました。

夕食は、洋食のディナーコース「アズーロ」でした。

まずは、オードブルから。

「ふくいサーモンのリエットと人参のムース」

個人的には福井らしい郷土料理を期待していたので、ちょっと残念でしたが、味はまずまずです。

飲み物は日本酒にしました。

ちょうど、「ひやおろし」フェアというのをやっていて、「ひやおろし呑み比べ」(1100円)を試してみることにします。

『冬に仕込んだ日本酒を春から夏にかけてじっくりと熟成させお米の旨みをダイレクトに味わえるお酒です。』

秋の味覚として知られる「ひやおろし」。メニューにはそう書かれていました。

「呑み比べ」は、5つの蔵元が作った「ひやおろし」の中から、3つを選びます。

おしゃべりなソムリエさんの説明を聞いてまず選んだのは、「黒龍 吟醸ひやおろし」。

永平寺町の黒龍酒造のお酒で、「甘さと爽やかさを兼ね備え、旨みとほのかな苦味」が特徴だそうです。

続いて、「梵 純米吟醸ひやおろし」。

鯖江市の加藤吉平商店のお酒で、「滑らかで気品のある香りの引き締まった味わい」で芳醇甘口が特徴だそうです。

最後は、「福千歳 山廃純米ひやおろし」。

福井市の田嶋酒造のお酒で、「伝統の山廃仕込みによりキレイな酸味」が特徴ということでした。

飲み比べてみると確かに全然味が違いますが、通ではない私には甲乙はつけられず、どれも美味しくいただきました。

日本酒に詳しくない私にとって、「ひやおろし」の呑み比べというのは新鮮な体験でした。

料理は2皿目、「小浜産よっぱらいサバ うみんぴあ風」。

冷たい前菜という位置づけでしょうか。

「小浜よっぱらいサバ」とは、酒粕を餌にして養殖した鯖のブランド名です。かつて鯖街道と呼ばれ、京都に鯖を供給していたこの若狭エリアの復活プロジェクトがありました。

『 かつて小浜は、鯖の一大産地であり、量だけでなくその質も高く評価されていましたが、近年はほとんど水揚げがありません。2016年6月から、小浜の鯖を復活させようと、小浜市内の産学官が一体となり、鯖の養殖に取り組んでいます。』

日本全国、地方創生ブーム。各地で様々な努力がなされていることを感じられる一皿です。

3皿目は、「平目のガダイフ巻揚げ 大根のスープ仕立て 柚子の香り」。

ガダイフとは、トルコ料理に使われる極細の麺のことで、平目をこのガダイフで巻いて揚げたものです。

こちらは、温かい前菜なのでしょう。

4品目は、「鱧のマリネ サラダ仕立て」。

ここまで魚づくしなので判然としませんが、おそらくメインの魚料理という位置づけだと思います。

関西ではよく食べられる鱧ですが、洋食ではあまり食べたことがありません。

そして最後は肉料理、「おおい町特産しいたけと国産牛のルーロー」。

ルーローとは、台湾の「ルーローファン」かと思いましたが、フランス料理の用語で「巻いたもの」を意味するそうです。

海に面したおおい町ですが、かつては林業も盛んだったそうで、山の幸も味わえるのです。

「福井のこしひかり、秋の赤だし、香の物」が出て、料理は終了。

最後にデザートも付きます。

「和栗入りクレームブリュレと洋梨のソルベ」。

秋を感じさせるデザートですが、クレームブリュレのカラメルが固すぎたのが残念でした。

もうお腹はいっぱい、どれも美味しい料理でしたが、やはり個人的には焼き鯖寿司の方が嬉しかった感じです。

ちなみに朝食は、ビュッフェスタイル。

こちらは和風のものが多く、ちょこちょこといただけでありがたかったです。

もちろんパンもありますが、やっぱり国内旅行では和食が落ち着きます。

もちろん食事の好みはありますが、「ホテルうみんぴあ」の二食付きプランは質量ともに充実していると思いました。

でももし次回来るとしたら、町まで車で夕食を食べに出ると思います。それだけ、美味しい郷土料理があるから、洋食を食べるのがもったいないと感じたからです。

小浜湾の朝を堪能する

翌朝6時。遮光カーテンの隙間がわずかに明るくなったのを感じ、起き出して窓から外を覗きました。

まだ夜明け前の静かな小浜湾が広がっています。

海の向こうに見えるのは大島半島。かつては陸の孤島と言われた鯖漁の拠点でした。

おおい町の中心部と大島半島を結ぶ「青戸の大橋」の下を、何隻もの漁船が出航していきます。

波一つない静かな入り江の静かな朝です。

おおい町の東側、小浜市の方向からも漁船がやって来ました。

ホテルの前あたりで、西側から来た船と合流するように航路が設定されているのでしょう。

やがて東の空が赤く染まって来ました。

やがて西の空も・・・。

そこには、京都府との県境にそびえる青葉山、通称「若狭富士」が三角形の目立つ姿で立っていました。

妻も起きたので、朝食前に少しホテルの周りを散歩してみることに・・・。

ホテルの周囲は遊歩道のように整備されていて、海辺に立つとちょうど山の稜線から朝日がのぼったところでした。

この日は全国的に天気がよくないとの予報でしたが、ありがたいことに朝日を拝めました。

写真で撮ると、まるで夕日のように写ります。

ホテルの東側にはヨットハーバーが整備されていました。

「うみんぴあ大飯マリーナ」。

うみんぴあプロジェクトは、まず最初このマリーナから始まったのです。

海上係留・陸上保管スペースはもちろん、給油施設や修理ヤードも完備した本格仕様のマリーナです。2008年には、マリンレジャーの拠点となる「海の駅」にも認定されたそうです。

海に囲まれた日本列島。

もっともっとマリンレジャーが身近になればと思い、私も50歳になった頃、小型船舶の免許を取りましたが、結局まったく活用していません。

小さくていいので自分の船が手軽に持てるといいんですけどね・・・。

こちらが私たちが宿泊した「ホテルうみんぴあ」。

海側から見ると、ますますモダンに見えます。

実はこのホテルに隣接して、タラソセラピープールや露天風呂も完備した「シーサイドスパ おおいの湯」があり、宿泊客は無料で利用することができます。

ただし、営業時間は午前11時から。前日夕食後に露天風呂だけは利用しましたが、翌朝の入浴はできませんでした。あの露天風呂からの眺めはどんなだったのか、ちょっと気になります。

このほか、「うみんぴあ大飯」には、道の駅や松本零士さん監修のバーチャル映像シアター「エルガイアおおい」といった施設もあるそうですが、今回は体験する時間はありませんでした。

それでも、朝食後部屋に戻ると、予想外の青空が広がっていました。

ホテルの目の前にある港からクルーズに出かけることにしました。

青戸クルーズと大飯原発

今回の若狭湾の旅の主目的は、「原発銀座」と呼ばれるこのエリアの原発を巡ることでした。

おおい町でも当然、大島半島の先端にある大飯原発を見に行く予定だったのですが、前の夜おしゃべりなソムリエさんから貴重なアドバイスをいただきました。

「陸路で行っても大飯原発はよく見えないけど、観光船からならよく見える」

確かに、「青戸クルーズ」という名の観光船に乗ると、大飯原発の沖合を通ることがわかりました。

こちらが観光船。

お世辞にもクルーザーとは言えませんが、私たちが乗船した午前9時のクルーズには他のお客さんは誰もおらず、貸切状態でした。

料金は大人1400円、でもホテルの宿泊客は半額になります。

出港前、船員さんがデッキからえさを撒くと、カモメたちが目ざとく集まって来ました。

天気予報が外れ、思いがけぬ晴天が広がります。

「風となって、若狭湾を駆け巡る」

爽快な青戸クルーズの始まりです。

港を出た船は、まず西に向かいます。

本土と大島半島の間にかけられた「青戸の大橋」、その奥は「青戸の入江」と呼ばれ真珠養殖などが盛んな静かな海です。

船は大橋のすぐ近くまで行き、Uターンします。

全長743メートルの「青戸の大橋」は、1974年、大飯原発建設工事のために作られました。この橋によって、「陸の孤島」と呼ばれた大島半島はおおい町の中心部と結ばれ、それまで運航していた定期船は廃止されたそうです。

「うみんぴあ」もそうですが、やはり原発マネーというのは貧しい地方を大きく変える力があるのです。

橋の手前でUターンした船は、スピードを上げ、大島半島の先端部を目指します。

船の後部にあるデッキは風が吹き抜けて気持ちいいのですが、エンジン音がうるさくてスピーカーから流れている解説がまったく聞き取れません。

仕方なく誰もいない船室に入って、窓の外を眺めながら解説の声に耳をすませることにしました。

紅白の灯台が見えるのは、赤礁崎(あかぐりざき)。

設備の整ったオートキャンプ場や公園もあり、釣り客にも人気のスポットだそうです。

その赤礁崎を回ると・・・

見えて来ました。

関西電力の大飯発電所です。

運転開始は1979年、新潟県にある柏崎刈羽原子力発電所に次ぐ、国内2番目の発電能力を持った巨大な原発なのです。

周囲を山に囲まれた半島の最先端。

当時としては、原発を作るには格好の条件が整っていたのでしょう。

それでも、私が泊まったホテルやおおい町の中心部からの距離は10キロ以下。これが日本の現実なのです。

原発を通り過ぎると、白い灯台が・・・。

鋸埼(のこぎりざき)灯台です。

小浜湾に入る船の目印となる灯台で、ここから沖は外海の若狭湾となります。

若狭湾に出ると明らかに波が高くなります。

そしてポツンと海から突き出た岩が見えて来ました。

「髻島(もとどりじま)」です。

近づくと、中央部分に穴が空いています。

周辺は若狭湾でも有数の漁場で、マダイやハマチ、イカやアマダイなどが獲れるそうです。

でも、望遠レンズで覗いてみてビックリ。

なんとこんな岩場に釣り人がいます。

いくらいい漁場だからといっても、釣り人の執念というのは恐ろしいものです。

船は髻島で再びUターンして、小浜湾内に戻ります。内海に入ると湖のように波が静まりました。

この湾の奥が小浜の町。そこから山を越えて京都へと「鯖街道」が通じていました。この街道を通って、豊富な海の幸が都へと運ばれました。

この海は文字通り、京の都の食材倉庫だったのです。

1時間弱のこの青戸クルーズは、3月から11月までの毎日、1日4回運航されます。

うみんぴあに泊まったらぜひ体験してみてください。

作家・水上勉と若州一滴文庫

うみんぴあをチェックアウトした後、私たちは「若州一滴文庫」という施設を訪ねました。

ホテルのロビーに水上勉さんの本がたくさん置いてあったので、調べてみると水上さんがおおい町の出身でということがわかりました。

貧しい境遇で育った水上さんが晩年私財を投じて故郷に建てたのがこの「若州一滴文庫」です。

「若州」とは若狭の国の別名で、「じゃくしゅう」と読むそうです。

水上さんは1919年、この施設からほど近い極貧の村で生まれました。その部落は近所から「乞食谷」と呼ばれていたそうです。

生家はもう残っていませんが、自らの幼い日の体験から「はなれ瞽女おりん」などの作品が生まれたと言います。

子供の頃、貧しくて本など読むことができなかった水上さんは、故郷の子供たちが自由に本を読めるよう、自らの蔵書をすべてこの図書館に寄贈しました。

だから、子供たちはもちろん入館無料です。

来館者がまず見せられる施設の案内ビデオ。

この中で水上さんは、「貧しく生まれたことに感謝する」と話しています。

正確な表現は忘れましたが、心に残る言葉がありました。

「貧しさが私にいい球根を与えてくれた」

貧しかった若狭地方。次男三男は口減らしのため子供の頃に家を出され、長男がわずかな農地を守るのが習わしでした。水上さんも5人兄弟の次男です。

でも、そうして貧しく育ったから、何かを手に入れるたびに喜びを感じられる。そうした人生哲学を「球根」という言葉で表現したのでしょう。

この施設を作るにあたって、水上さんは大工さんに昔ながらの道具で家を建てることを求めたそうです。

機械を使わず、人間の手で削り出された柱や梁。

この建物を見るだけでも価値があります。

このこだわりの木造建築の1階が図書館、2階3階には水上さんが残した資料が展示されています。

生涯で多くの作品を書いた水上さんですが、その作品で描かれた場所に印をつけた地図が展示されていたのが目にとまりました。

若い時、水上さんは若狭のことをほとんど書いていません。その代わり、歳をとってから故郷を題材とした作品を多く残していることを知りました。

貧しく惨めだった子供時代。その記憶を消化し、作品につむぎあげるには長い年月が必要だったのでしょう。

施設には、水上さんが主宰した竹人形一座で使った人形も展示されています。

昔の貧しかった日本がそこには今の残り、ゾッとするような迫力を持って迫ってきます。

60代半ばでこの施設を作った水上さんは、その後頻繁にここを訪れ、竹人形に使う和紙も自ら竹から作っていたと言います。

子供たちへ贈る本と自ら没頭した竹人形の世界。

水上勉の生き方を初めて知り、自らの晩年をどう生きるかというテーマに改めて思いを巡らすと同時に、原発銀座と呼ばれるようになった若狭という地域の昔の情景を想像せざるを得ませんでした。

施設の冊子に、「たった一人の少年に」と題した水上の一文が載っていました。

ちょっと、書き写させていただこうと思います。

ぼくはこの村に生まれたけれど、十才で京都に出たので村の小学校も卒業していない。

家には電灯もなかったので、本もよめなかった。

ところが諸所を転々として、好きな文学の道に入って、本をよむことが出来、人生や夢を拾った。

どうやら作家になれたのも、本のおかげだった。

ところが、このたび、所蔵本が多くなって、どこかに書庫をと考えたが、生まれた村に小さな図書館を建てて、ぼくと同じように本をよみたくても買えない少年に開放することにきめた。

大半はぼくが買った本ばかりだ。

ひとり占めしてくさらせるのも勿体ない。

本は多くの人によまれた方がいい。

どうか、君も、この中の一冊から、何かを拾って、君の人生を切りひらいてくれたまえ。

たった一人の君に開放する。

水上勉「たった一人の少年に」

これまで水上さんの作品はほとんど読んだことがありませんでしたが、これを機会に一度読ませていただこうと思っています。

わざわざ足を運ぶ価値のある施設だと思いました。

コメントを残す