<吉祥寺残日録>船戸与一著「満州国演義」全9巻を読了した #200922

シルバーウィークの4連休が終わった。

私はどこへも出かけずずっと家にいたのだが、最終日の今日のお昼にランチを買いに街まで出ると吉祥寺もすごい人出だった。

日本各地が、久しぶりに大賑わいだったという。

コロナの感染が若干下火となり、この連休からイベントの人数制限も緩和されたことも影響しただろう。

菅新総理が力を入れる「GO TO キャンペーン」の効果も出ているのだろう。

でも、「みんなもっと自分の頭で考えて行動しようよ」と言いたくなるほど、この状況に違和感を感じる。

「みんなで渡れば怖くない」という日本人の行動パターンを端的に表した言葉があるが、コロナに関してはそうじゃないだろうと私は思ってしまうのだ。

人が少なければ行ってもいいが、人が多いならやめておこうかな・・・。

これが、「with コロナ」時代の約束事だったんじゃなかったのか?

一時期ヒステリックなほど行動制限を訴えていたテレビも、いつの間にか経済の方に力点が置かれ始めた印象を受ける。

それならそれでもいいのだが、気になるのは「みんなが自分の頭で考えて行動しているのか?」という点だ。

世論というものがいかに危うく、危険であるかということを最近私は改めて強く意識するようになった。

その原因となったのが、この本である。

船戸与一著「満州国演義」シリーズ全9巻。

張作霖爆殺事件から日本の敗戦まで、国土を焼け野原にした太平洋戦争になぜ日本が突入していったかを描いた壮大な歴史小説である。

第1巻を読み始めたのは今年の1月、それから半年以上かかってようやく全9巻を読破した。

超大作だが、小説なので歴史書に比べてずっと読みやすい。

しかし、これだけ時間がかかった理由の一つは、この本に描かれた出来事を時系列で私なりにメモにし、整理しながら読み進めていったためだ。

聞いたこともなかった出来事や人物も多く描かれているので、その都度ネットで検索したりしながら一つ一つの背景を理解しようと努めた。

小説の中には当然のことながら、日本人にとって馴染みの深い、真珠湾攻撃や原爆投下なども登場する。

しかしそれはあくまで最後の方であり、その前には私があまり知らなかった満州事変や日中戦争の時代が延々と描かれていた。

作者にすれば、この前段の方が描きたかったことであり、それゆえに「満州国演義」というタイトルをつけたのだろう。

おかげで、満州事変から日中戦争に至る流れについて、私はこの作品で初めて全体像が理解できた気がする。

通常の戦記物とは違い、船戸さんが描いたのは個々の戦場での出来事ではなく、日本がどうしてあの無謀な戦争にのめり込んで行ったのか、その大河のような流れの全体像を語り尽くそうとしたのだ。

日本が満州国建設に突き進んだ背景に何があったのか?

満州国の建設に成功した日本は、なぜ中国との全面戦争にまで踏み込んだのか?

そして、なぜアメリカ相手の無謀な太平洋戦争へと軌道修正していったのか?

そこには、実に多くの人たちの判断や決断、あるいは不作為や責任回避があった。

軍の中央で決定されたこともあるが、現場の若手将校の暴走もたくさん見られた。

さらに、世論やメディアが戦争拡大を後押ししたという側面も小説の随所で描かれる。

世界恐慌で絶望的なダメージを受けた国内経済を改善するため、多くの国民が当初、戦争を求めた。

明治の開国以来、日本はずっと戦争に勝ってきたのだ。

しかし、戦争が拡大するにつれて、国内経済は疲弊し、言論の自由はなくなり、政党もなくなり、メディアも軍の統制下に置かれて戦争を賛美するだけの存在になってしまった。

船戸与一という作家は、10年がかりでこの小説を書いた。

巻末には膨大な数の参考文献が列挙されているが、船戸さんは執筆の途中で病魔に襲われ闘病しながらこの大作を書き上げた。

十年掛かりでこの作品を仕上げるには膨大な量の文献との格闘が不可欠だった。資料渉猟はわたしのもっとも苦手とするところである。文献に当たっては執筆し、執筆しては資料を再確認するという作業の繰り返しは苦行僧の営為のごとく感じられた。

船戸与一「満州国演義9 残夢の骸」あとがきより

そして、作品が完成すると間もなく、彼はこの世を去った。

「満州国演義」は船戸さんの遺作であり、自らの命と引き換えに忘れ去られようとしている「日本の戦争」を壮大な叙事詩として私たちに残したのだ。

「あとがき」には、この小説を書こうと思った動機が綴られている。

昨今メディアを賑わしているのは戦後の昭和特集である。灰塵からの復興。高度成長とバブル期の喧噪。鬱屈した平成の時代から眺めれば、それは眩いノスタルジーとなり肥大化して語られるのだ。しかし、文献を読むかぎり、昭和前期の時代の濃さは後期とは比較にもならない。戦争。革命。叛逆。狂気。弾圧。謀略。抗命。破壊。哄笑。落胆。敗残。抑留。幕末維新時に巣立ちした日本の民族主義が明治期に飛翔しつづけ、第一次大戦後の国内外の乱気流に揉まれて方向感覚を失い、ついにはいったんの墜死を遂げるのだ。あらゆるものがぎっしり詰まっている。そして、この濃密な歴史は満州を巡る諸問題を軸に展開していく。わたしは昭和19年山口県生まれで、戦争にたいする記憶がまったくないにも拘わらず、満州を舞台に四つの視点からの叙事詩を書きあげようと思ったのは凝縮された時間に魅きつけられたからに他ならない。

船戸与一「満州国演義9 残夢の骸」あとがきより

誰しも、負け戦について多くを語りたくはない。

だから、あの司馬遼太郎さんですら、勝ち戦だった日露戦争については書いても、満州事変から太平洋戦争に至る日本の歴史上類を見ない負け戦については、ついに作品にすることができなかった。

わたしが身を置いていたテレビの世界でも、毎年戦争関連の番組を制作しながら、テーマには偏りが見られ、原爆や沖縄戦、特攻隊、インパール作戦、ガダルカナルの戦いなど、多くの国民が戦争の「被害者」となった物語が中心である。

しかし、船戸さんの「満州国演義」のように、15年に及ぶ戦争の全体像を描くような番組には未だ出会ったことがない。

それは途方もなく複雑で、多岐にわたり、さらに言えば戦後日本が避けてきた戦争責任の問題も絡んでくる。

誰がどこでどのような決断をしたのか、未だに未解明のまま放置されてきた問題も多い。

ヒトラーやムッソリーニといった明確な戦争指導者がいた国と違い、日本の場合、戦争の責任者が次々に入れ替わる形でなし崩し的に戦線が拡大していく。

一番の悪玉とされる東條英機にしても、太平洋戦争の直前、突然総理大臣に担ぎ出されたに過ぎない。

戦争を知らない私たち以下の世代が本当に理解すべきなのは、太平洋戦争に突入する前の歴史であり、日本が中国大陸を舞台に何をしてきたかということだと私は感じる。

その時代、日本人は「被害者」ではなく、むしろ「加害者」だった。

「欧米列強からアジアを解放する」と五族協和の理想を掲げながらも、それは結果的に中国大陸を自らの植民地にしようとする策略でしかなかった。

しかし、この頃の出来事をどれだけの日本人が知っているのだろう?

中国や韓国との間で今も消えない「歴史認識の違い」は、我々日本人にその時代の記憶が完全に欠落していることが大きな原因なのだ。

かといって、船戸さんの作品はいわゆる「自虐史観」に基づいたものではない。

日本人の悪事も描かれるが、中国人やロシア人による残虐行為も嫌と言うほど登場する。

戦争は、人種に関係なく一部の人間を狂わせる。

欲望や打算、保身や謀略もすべて複雑に絡まって、戦争は否応なくすべての人を呑み込んでいく。

船戸与一さんが「満州国演義」で描いたのは、そうした戦争の「リアル」であり、作品に流れる船戸さんの歴史観は「フェア」だと私は感じた。

勝ち戦に浮かれて戦争を望み戦争を煽った当時の「世論」も、そんなリアルの一部である。

昔から「空気を読むのが得意」だった日本人は、自分の頭で考えて行動する「国民」を許さなかったのだろう。

その過ちを繰り返してはならない。

もっと、自分の頭で判断して行動しよう。

民主主義にとって「世論」は非常に重要だが、一人一人が自分の頭で考えて形成された「世論」でなければ危険だ。

暴走する「世論」が時としてとんでもないモンスターを生み出してしまう恐ろしさを、歴史は私たちに教えてくれている気がした。

船戸与一著「満州国演義」。

日本人必読の書だと私は思う。

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