私はほとんど小説というものを読まない。
若い頃はポツポツと読んでいた時期もあるが、心の底から好きだと思う小説にはほとんど出会わないまま、ここまで生きてきた。
でも、小説というものに全く興味がないわけでもないのだろう。
我が家のトイレにかけてある歳時記カレンダーに「桜桃忌」の文字を見つけた時、吉祥寺にも縁が深い太宰治の作品を読んでみようと思い立った。

図書館のサイトを検索し、「ザ・太宰治」という全集を見つけた。
上巻には「人間失格」や「斜陽」などの中長編36編、下巻には「走れメロス」や「桜桃」など中短編112編が収められている。
文学全集というと、虫眼鏡で見なければ読めないような小さな字でびっしり書かれていてとても読む気にならないのだが、この本は普通の単行本の2冊分の大きさがあり、文字も大きな大活字版だ。
安くて薄い紙に印刷され、余計な前置きや後解説が何もない。
まさに、太宰治の作品を一度読んでみようという私のような初心者をターゲットにした「全小説全二冊」なのだ。
とても一気に読める分量ではないし、最近文字を読んでいるとすぐに眠たくなってしまうので、「ザ・太宰治」の中からまずは短編を拾っていくつか読んでみることにする。
とりあえずは、私も題名を知っていて、小説の中で井の頭公園が登場する作品を選んでみた。
「ヴィヨンの妻」
- 執筆時期:1947年(昭和22年)1月ごろ
- 執筆場所:疎開先から三鷹に戻り、仕事場で書いた
- 作品発表:「展望」昭和22年3月号
解説
戦後の太宰文学のすべてがこの一篇に凝縮されているのは、衆目の一致するところ。
太宰の私生活でも、この作品執筆中の仕事場に太田静子が現われ、彼女と箱根に行って太田治子が生まれることになる。太田静子の日記で「斜陽」を書いているとき、情死することになる山崎富枝と知り合い、同時に妻が次女(津島佑子)を出産、とまことにあわただしい。
太宰の生活そのものが戦後の価値混乱期をそのまま体現していて、その彼の描く世相がそのまま彼の生活に反映されてきて、と往復運動は急速にピッチを上げていくばかりだった。太宰はこの作品を「本気で『小説を書こう』として書いたものです」と言った。
あらすじのあらすじ
名家の出で詩人の大谷は、としは若いけれども、日本一の詩人ということになっているのだが、戦後酒量が増えて生活が荒れている。家に帰らないことも多い。たまに帰ってくると、小料理屋の夫婦に酒代踏み倒しと売上くすねの件で取り立てに押しかけられて、ナイフを振りかざして追い返す騒ぎ。
妻の私は発育のよくない坊やをかかえて夫婦の店へ行って、お店で働いてお金を返すことにした。
結局夫婦の金は、夫とは他人の仲ではないらしいバーのマダムがたてかえて返ってきた。夫もその店に飲みに来るけれども、絶えず恐怖と戦っている。
私の生活は、今までとはまるで違って、浮々した楽しいものになりました。これまでの胸の中の重苦しい思いがきれいに拭い去られた感じでした。
年末に向けて店はかきいれどき。「椿屋のさっちゃん」になった私は眼のまわるくらいの大忙し。
おそろしいのはね、この世の中の、どこかに神がいる、という事なんです・・・

井の頭公園が出てくる場面
どこへ行こうというあてもなく、駅のほうに歩いて行って、駅の前の露店で飴《あめ》を買い、坊やにしゃぶらせて、それから、ふと思いついて吉祥寺までの切符を買って電車に乗り、吊皮《つりかわ》にぶらさがって何気なく電車の天井にぶらさがっているポスターを見ますと、夫の名が出ていました。それは雑誌の広告で、夫はその雑誌に「フランソワ・ヴィヨン」という題の長い論文を発表している様子でした。私はそのフランソワ・ヴィヨンという題と夫の名前を見つめているうちに、なぜだかわかりませぬけれども、とてもつらい涙がわいて出て、ポスターが霞《かす》んで見えなくなりました。
吉祥寺で降りて、本当にもう何年振りかで井の頭公園に歩いて行って見ました。池のはたの杉の木が、すっかり伐《き》り払われて、何かこれから工事でもはじめられる土地みたいに、へんにむき出しの寒々した感じで、昔とすっかり変っていました。
坊やを背中からおろして、池のはたのこわれかかったベンチに二人ならんで腰をかけ、家から持って来たおいもを坊やに食べさせました。
「坊や。綺麗《きれい》なお池でしょ? 昔はね、このお池に鯉《こい》トトや金《きん》トトが、たくさんたくさんいたのだけれども、いまはなんにも、いないわねえ。つまんないねえ」
坊やは、何と思ったのか、おいもを口の中に一ぱい頬張ったまま、けけ、と妙に笑いました。わが子ながら、ほとんど阿呆の感じでした。
その池のはたのベンチにいつまでいたって、何のらちのあく事では無し、私はまた坊やを背負って、ぶらぶら吉祥寺の駅のほうへ引返し、にぎやかな露店街を見て廻って、それから、駅で中野行きの切符を買い、何の思慮も計画も無く、謂わばおそろしい魔の淵《ふち》にするすると吸い寄せられるように、電車に乗って中野で降りて、きのう教えられたとおりの道筋を歩いて行って、あの人たちの小料理屋の前にたどりつきました。
感想
太宰の作品には、三人の子供を持ちながら家に帰らず他の女と遊ぶダメ亭主がたびたび登場する。
まさに太宰そのものだが、妻の独白形式で書かれたこの小説でも、そんなダメ夫を支えるたくましい妻が主人公だ。
戦前の日本では、男はまことに勝手気まま、今の時代にはとても考えられない男性天国である。
羨ましい気もしないではないが、この年になると女房は一人いれば十分だと思い知る。
ちなみに、「ヴィヨンの妻」のタイトルともなっているフランソワ・ヴィヨンは、15世紀のフランスの放蕩詩人。
パリ大学在学中から売春婦やならず者と行動を共にし、乱闘騒ぎで司祭を殺害、逃亡の末に窃盗団に加わる。
太宰は自らをこのヴィヨンに見立て、ヴィヨンがクリスマスイブに金貨500枚を盗んだというエピソードを小説の下敷きにしているらしい。
無頼派と呼ばれ破滅的な人生を生きた太宰だが、私自身の若い頃を思い起こせば、社会の常識に抗いたい衝動は間違いなくあった。
60過ぎまでなんとか無事に生きてこられたのは、私の場合、若くして結婚した妻がしっかりと私を拘束し道を外れないようにしてくれたからだと思う。
『人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
作品を締めくくる妻のセリフ。
こんなに鷹揚な妻は、なかなか存在しない。
果たして太宰の願望だったのか、それとも本当にそんな奥さんだったのだろうか?