<吉祥寺残日録>トイレの歳時記🌸七十二候「牡丹華(ぼたんはなさく)」に「ツツジ」と「サツキ」と永井荷風を知る #210430

早いもので4月も今日で終わる。

「ステイホーム」が呼びかけられるゴールデンウィークだが、羽田空港の映像からはかなりの人が移動していることがわかる。

昨日の東京の新規感染者は1000人を超えたが、この首都圏の感染が全国に広がることは間違いなさそうだ。

そんな4月最後の日、私たち夫婦は「ステイホーム」を守って吉祥寺にいる。

こういう時には井の頭公園が近くにあって本当に助かる。

今日は七十二候の「牡丹華」、「ぼたんはなさく」と読み、意味は文字通り「ボタンの花が咲き始める頃」ということのようだ。

残念ながら、井の頭公園ではボタンの花は見たことがない。

別にボタンのボテっと花は好きではないので一向に構わないのだが、歳時記的にはどこかでボタンを見たい気分もなくはない。

ボタンは見かけないが、その代わりに4月になると「ツツジ」か「サツキ」の花を公園内で見かけるようになった。

植物識別アプリ「Picture This」をかざすと、多くの場合「サツキ」と表示されるのだが、同じ花を再度撮ると今度は「○○ツツジ」と出たりする。

たとえば、御殿山の梅園で真っ赤に色づいたこの植物は「ツツジ」なのか「サツキ」なのか?

ネットで写真をチェックしても、同じような赤い花が「ツツジ」にも「サツキ」にもあるのだ。

そもそも、「ツツジ」と「サツキ」はどう違うのか?

これは多くの人が抱く疑問のようで、ネット上には両者の違いを解説するサイトがたくさんヒットする。

どちらもツツジ属の植物で大した違いはなさそうなのだが、「ツツジ」と「サツキ」に分かれたのは江戸時代のことのようなのだ。

「みんなの趣味の園芸」で見つけた信用できそうな解説を一つ引用させていただこう。

 江戸中期の1692年、江戸で「錦繍枕(きんしゅうまくら)」というツツジの種類や栽培を解説した世界初の専門書が伊藤伊兵衛によって版行されました(写真中央:復刻版)。時は後に「元禄のツツジ」と呼ばれる流行の最中であり、さまざまな品種が作出されました。

 江戸中期は、戦の心配もなくなり、人々の暮らしが豊かになった時代であり、余暇の楽しみとしてツバキやボタンなど、さまざまな植物の品種改良や栽培が流行し、現在の園芸の基礎が築かれた時代でした。

 「錦繍枕」は5巻からなり、3冊が「躑躅(つつじ)」、2冊が「さつき」という構成になっています。その中で、いわゆる「つつじ」は春(旧暦1~3月)に咲き、「さつき」は初夏(旧暦4月)咲くと記されています。その十年ほど前に刊行された日本最古の園芸書といわれる「花壇綱目」(1681)にはツツジとサツキは区別されていませんので、ブームに伴って現れた数多くの品種を大別するために、現在の4~5月中旬に開花するものを「つつじ」、5月下旬から6月に開花するものを「さつき」と呼びはじめたのではないかと考えられます。

引用:みんなの趣味の園芸

要するに、「ツツジ」と「サツキ」の違いは花を咲かせる時期の違いということで、4月に咲いているのは全部「ツツジ」と考えればいいようなのだ。

これは、良いことを知った。

「ツツジ」も「サツキ」も好きではないのでどうでもいいのだが、時期の違いだけならば、私にも区別がつけられるだろう。

ついでに「シャクナゲ」も同じツツジ属の仲間だそうだ。

話はすっかり変わるが、今日4月30日は作家・永井荷風の命日だそうだ。

トイレにかかった歳時記カレンダーはこんなことも教えてくれる。

明治12年に生まれた荷風は、明治・大正・昭和の激動期を生き抜き、昭和34年に79歳で死んだ。

つまり私が生まれた年にはまだ生きていたということになる。

歴史上の人物のように感じている作家も、実は身近な時代を生きていたのだ。

試しに、永井荷風の作品に接してみることにした。

無料で聴ける「青空朗読」には荷風の短編が3作あり、ベランダに座って朗読に耳を傾けた。

3作の中で最も初期の作品は、昭和11年(1936)に発表された『鐘の声』だった。

一部の引用してみよう。

わたくしは今の家にはもう二十年近く住んでいる。始めて引越して来たころには、近処の崖下には、茅葺屋根の家が残っていて、昼中も鶏が鳴いていたほどであったから、鐘の音も今日よりは、もっと度々聞こえていたはずである。しかしいくら思返して見ても、その時分鐘の音に耳をすませて、物思いに耽ったような記憶がない。十年前には鐘の音に耳を澄ますほど、老込んでしまわなかった故でもあろう。然るに震災の後、いつからともなく鐘の音は、むかし覚えたことのない響を伝えて来るようになった。昨日聞いた時のように、今日もまた聞きたいものと、それとなく心待ちに待ちかまえるような事さえあるようになって来たのである。鐘は昼夜を問わず、時の来るごとに撞きだされるのは言うまでもない。しかし車の響、風の音、人の声、ラヂオ、飛行機、蓄音器、さまざまの物音に遮られて、滅多にわたくしの耳には達しない。

引用:永井荷風「鐘の音」

この当時、荷風は麻布に暮らしていた。

鐘の音は増上寺あたりから聞こえてきたというが、それでも当時から東京は騒々しくなっていて、かつて聞こえた鐘の音が聞こえにくくなっていたらしい。

昭和11年に飛行機の音というのはちょっと意外だが、きっと軍用機の音だったのだろうか?

文章を読み進めるとこんな一節が気になった。

昭和七年の夏よりこの方、世のありさまの変るにつれて、鐘の声もまたわたくしには明治の世にはおぼえた事のない響を伝えるようになった。それは忍辱と諦悟の道を説くささやきである。

引用:永井荷風「鐘の音」

昭和7年の夏に、何があったのか?

昭和7年といえば、満州事変が起きた翌年であり、関東軍が溥儀を担ぎ出して満州国建国を宣言したのが3月、さらに5月には五・一五事件が発生し犬養毅首相が殺害された年だ。

海外ではナチスが選挙で第一党となり、翌年にはヒトラーが首相の座を手に入れた。

それから4年後の昭和11年、荷風は鐘の音が「忍辱と諦悟の道」を説いているように聞こえたというのだ。

後世の我々はただ想像するしかできないが、戦争や言論統制が少しずつ忍び寄る時代をこのように表現したのだろうか?

続いては、昭和18年(1943)に発表された『蟲の聲』である。

太平洋戦争真っ只中の東京に暮らす荷風は、時代の変化を次のように記している。

東京の町に生れて、そして幾十年といふ長い月日をここに送った・・・。

今日まで日々の生活について、何のめづらしさをも懐しさをも感じさせなかつた物の音や物の色が、月日の過ぎゆくうちにいつともなく一ツ一ツ消去つて、遂に二度とふたたび見ることも聞くこともできないと云うことが、はつきり意識せられる時が来る。すると、ここに初めて綿々として盡きない情緒が湧起つて来るーー別れて後むかしの戀を思返すやうな心持である。

ふけそめる夏の夜に橋板を踏む下駄の音。油紙で張った雨傘に門の時雨のはらはらと降りかかる響。夕月をかすめて啼過る雁の聲。短夜の夢にふと聞く時鳥の聲。雨の夕方渡場の船を呼ぶ人の聲。夜網を投込む水音。荷船の舵の響。それ等の音響とそれに伴ふ情景とが吾々の記憶から跡方もなく消え去つてから、歳月は既に何十年すぎてゐるであろう。

季節のかはり行くごとに、その季節に必要な品物を売りに来た行商人の聲が、東京といふ此都会の生活に固有の情趣を帯びさせたのも、今は老朽ちた人々の語草に残されているばかりである。

時代は過ぎ思想は代り風俗は一変してしまつた今日、この都会に生れ、この都会に老行くものどもが、これから先、その死に至る時まで、むかしに変らぬ情趣を味ひ得るものをさがし求めたなら、果して能く何を得るのであらう。

引用:永井荷風「蟲の聲」

戦時中の言論統制が厳しくなった中で書かれた荷風のエッセイだが、過去を懐かしむような記述は果たして自らが歳をとったことを表しているのか、それとも戦時体制が進む世の中を批判するものなのか?

私は後者だと思いながら聴いた。

そして3つ目の作品は戦後、昭和30年(1955)に『中央公論』に発表された随筆『水のながれ』である。

戦争後、市川の町はずれに卜居したことから、以前麻布に住んでいた頃よりも東京へ出るたびたび隅田川の流れを越して浅草の町々を行過る折が多くなったので、おのずと忘れられたその時々の思出を繰返して見る日もまた少なくないようになった。隅田川両岸の眺めがむかしとは全然変ってしまったのは、大正十二年九月震災の火で東京の市街が焼払われてからの事で、それまでは向島にも土手があって、どうにか昔の絵に見るような景色を見せていた。三囲稲荷の鳥居が遠くからも望まれる土手の上から斜に水際に下ると竹屋の渡しと呼ばれた渡場の桟橋の二ツ並んでいるあたりからも、花川戸の岸へ渡る船があったが、震災後河岸通の人家が一帯に取払われて今見るような公園になってから言問橋が架けられて、これは今戸へ通う渡しと共に廃止された。上流の小松島から橋場へわたる渡船も大正の初めには早く白鬚橋がかけられて乗る人がなくなったので、現在では隅田川に浮ぶ渡船はどこを眺めても見られなくなった。

引用:永井荷風「水のながれ」

荷風が亡くなる4年前に書かれたエッセイだが、戦争の話は書いていない。

彼が活動の拠点としていた麻布の「偏奇館」は東京大空襲で焼失し、おびただしい蔵書も灰となってしまった。

作品に登場する隅田川の周辺もこの空襲で焼け野原となったが、荷風にとってはそれ以前の関東大震災ですっかり変わってしまった街並みには何の思い入れもなかったようで、ただひたすらに震災前の様子を懐かしんでいる。

晩年になると誰しも昔を懐かしむ気分になるのだろうが、私もどうせなら渡し舟が行き来する「昔の絵に見るような」隅田川を見てみたかったと思う。

関東大震災と東京大空襲によって東京の街はすっかり様変わりしてしまい、戦後に作られた東京はお世辞にも美しいとは言い難い。

安っぽい昭和の雑居ビルを全部ぶち壊して、昔の瓦屋根の街並みを蘇らせれば世界中から観光客がやってくることは間違いないだろう。

わたくしは言問橋や吾妻橋を渡るたびたび眉を顰め鼻を掩いながらも、むかしの追想を喜ぶあまり欄干に身を寄せて濁った水の流を眺めなければならない。水の流ほど見ているものに言い知れぬ夢想の喜びを与えるものはない。薄く曇った風のない秋の日の夕暮れ近くは、ここのみならず何処の河、いずこの流れも見るには最もよき時であろう。江戸時代からの俗謡にも「夕暮に眺め見渡す隅田川・・・。」というのがあったではないか。

引用:永井荷風「水のながれ」

荷風はこのように晩年のエッセイをシメているのだが、やはり長年浅草で遊んだ風流人である。

ちなみに、「夕暮に眺め見渡す隅田川・・・。」というのは『夕ぐれ』というお座敷で唄われた端唄だそうで、YouTubeで見つけたので貼り付けておくことにした。

私も仕事の関係で何度かお座敷に行ったことがあるが、とてもじゃないがあの世界が楽しいと思えるほどの風流が身につくことはなかった。

とはいえ、私が生まれる前の時代を生きた先人の書き残したものを読むと、いろんな発見もある。

歳時記カレンダーには他にもたくさんの作家たちが記載されているため、気がむくままに、歴史でしか知らない時代に生きた先人たちの声に耳を傾けてみようと考えたりしている。

<吉祥寺残日録>三好十郎「歩くこと」を聴く #200510

【トイレの歳時記2021】

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  4. 七十二候「款冬華(ふきのはなさく)」に「大寒」の井の頭公園を歩く #210120
  5. 七十二候「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」と初場所・初縁日 #210125
  6. 七十二候「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」に紀ノ国屋で二番目に高い卵を買う #210130
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  24. 七十二候「牡丹華(ぼたんはなさく)」に「ツツジ」と「サツキ」と永井荷風を知る #210430

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