今日ランチを食べた「胡桃堂喫茶店」のメニューに「胡桃堂だより」というコラムが載っていたのだが、そこで紹介されていたお店に妻が行ってみたいと言い出した。
私は胡桃堂で本を読みながらゆっくりとした時間を過ごしたかったが、仕方がない。
その妻が行きたかったお店がこちらの「でんえん」。
「クラシックと絵」が売りの名曲喫茶だ。
創業は1957年、妻が生まれた年だ。
創業62年とはいえ、その外観には正直驚いた。屋根にはブルーシート、壁にはヒビが入っている。今にも崩れ落ちそうな、ちょっと入るのに勇気が必要なお店だった。
先ほどの「胡桃堂だより」では、このように紹介されている。
『「名曲喫茶でんえん」をみなさんご存知でしょうか。ここから歩いて3分ほどの距離にある1957年(昭和32年)創業の喫茶店です。私もファンの一人なのでよく通っています。
クラシック音楽を聴きながら、90歳を超える女主人に珈琲を淹れてもらうと豊かな時間を過ごしている気持ちになれるのは何故なんでしょう。
やはり62年お店続けてきたことによる「何か」を店全体からどことなく感じているんでしょうね。』
「90歳を超える女主人」というところに妻も惹かれたようだ。
店の中は暗く、何十年間も何も変わっていない空間だった。
そして暗い店内に、御年91歳の女店主は確かにいた。昔は綺麗な人だったんだろうなと思わせる優雅で上品な老婦人だった。
店の中はL字型に折れ曲っていて、その奥の空間は妙に落ち着く空間だった。
その一番奥に置かれた手作りスピーカーから、クラシック音楽が流れる。とても優しいアナログの音色だ。
何だろう?
この不思議な居心地の良さ。
「クラシックと絵」と看板に書くだけあって、店内には絵画や写真、アンティークなどが飾られている。フランスのものが多いようだ。
レトロだが、品のいいインテリアの中に、一つ気になる物があった。
本棚の上に置かれたゴルゴ13の置物だ。
帰宅後、ネットでこのお店のことを調べていてその理由がわかった。
「TABI LABO」というサイトに、このお店の女主人、新井富美子さんのインタビュー記事を見つけたのだ。
「ゴルゴ13」の作者さいとう・たかをさんは国分寺在住で、このお店に通っていたらしい。さいとうさんの他にも、竹中直人さんや村上春樹さんも来たという。またドラマの撮影に使われることも多く、田村正和さんや松たか子さんもこの店で撮影したそうだ。
やはり、このお店の雰囲気はただものではない。
メニューはいたってシンプル。
90歳を超えたおばあさん一人のお店では、これが限界だろう。
富美子さんは、自ら注文を聞き、コーヒーを淹れ、レコードの掛け替えも行う。とても90歳とは思えないかくしゃくとした立ち居振る舞いである。
私は「ケーキセット」(800円)を注文した。
自家製レアチーズケーキにコーヒーか紅茶がセットになる。
レアチーズケーキは単独で頼むと480円だが、思ったより小さかった。
でも、一口食べると、甘酸っぱい美味しさが口中に広がる。このケーキ、本当にあのおばあさんが作っているのだろうか?
もしそうなら、本当にありがたい美味しいケーキだ。
そして珈琲。こちらも単体だと480円だ。
量は少ないが、角砂糖が2つ付いている。コーヒーに角砂糖2つとミルクを入れていただく。
ちょっと驚いた。本当に美味いコーヒーなのだ。最近飲んだコーヒーの中では、私の好みに一番ピッタリと来たかもしれない。
90歳が淹れてくれたと思うだけで、美味しく感じたのかもしれないが、本当に美味しいコーヒーだった。
ゴルゴ13が置かれた本棚が気になって、一冊の本を適当に抜き出した。
「根津康夫詩集 ランチタイム」
根津さんも知らないし、本当に偶然選んだ本だった。本には、4枚の付箋が挟んであり、何気なくそのページを開いて驚いた。
「喫茶店」と題されたその詩にここ「でんえん」が登場していたのだ。
いつもの
喫茶店
思い出すよネ
西陽が良くあたる
国分寺の名曲喫茶「でんえん」
こんな詩もあった。
タイトルはズバリ、『純喫茶「でんえん」』。
どことなく
昭和の香がした
「でんえん」
交響曲が良く流れて
煙草の焦げ目が目立つ
テーブルと少し硬い
椅子が懐かしい
薄暗いL字形した
国分寺の純喫茶
ここには学生運動の匂いがある。
社会に怒り、未来を熱く語り合った若者たちがこの店を通り過ぎたのだろう。
残念ながら学生時代の私は、この店を知らなかった。もしあの頃、この店に来ていたら今とは随分印象も違ったのだろう。
すべては過去になってしまった。
店を始めたご主人は遠い昔に亡くなり、一人残った富美子さんが静かに店を守っている。
大きく変わる国分寺の街の中で、ここだけは完全に時間が止まっていた。
富美子さんがお元気なうちにこのお店に巡り会えたことに心から感謝したいと思った。
食べログ評価3.07、私の評価は4.50。