<吉祥寺残日録>頑張れテレビ! ETV特集「五味太郎はいかが?」は必見だ #210301

今日から3月。

国会では菅総理の息子がらみで「放送行政が歪められた」なんていう追及がなされているが、一方ではNHKを再編してチャンネル数を減らそうという議論も進んでいるようだ。

「Eテレ」、かつての「教育テレビ」も重要な見直し対象となるのだろう。

私も普段Eテレはあまり見ないのだが、たまたま気になる番組を見つけて録画しておいた。

ETV特集『五味太郎はいかが?』。

「きんぎょがにげた」や「みんなうんち」などのミリオンセラーで知られる日本を代表する絵本作家・五味太郎さんを取材したドキュメンタリーである。

これが、めちゃめちゃ面白い。

私は、五味太郎さんの本が大好きで、子供が小さかった頃、図書館でたくさん借りてきた。

何冊かは買って、長い間我が家に転がっていたのだが、それは子供たちが好きだったというよりも私が好きだったからという理由の方が強いかもしれない。

カラフルでデフォルメされた五味さんの絵も好きだが、その絵に添えられたシンプルな言葉はもっと好きだった。

五味さんの世界観が好きだったといった方が正確かもしれない。

たとえば、強烈に印象に残っているのはこの本。

五味太郎作『さる・るるる』

「さる・くる」とか、「さる・うる」とか、「さる・さる」といったナンセンスな言葉遊びといってもいい絵本だった。

『ばく・くくく』というのもあった。

「ばく・ひく」とか、「ばく・はく」とか、「ばく・ふく」とか・・・。

くだらないけど、その語感が妙にツボにハマった。

番組では、五味太郎さんの仕事場が映し出される。

どこか、森に囲まれた別荘地のような場所。

ドキュメンタリーの取材を受けるのは18年ぶりだそうだ。

部屋は暗く、仕事は主に夜やっているらしい。

どうみても、ちょっと変わった人だ。

五味さんは今、75歳だという。

ちょうど私よりひと回り上の世代で、社会を常に斜めから見ようという気構えを感じる。

そう、これこれ。

私が生まれ育った時代の空気を、五味太郎さんは今も身にまとっていた。

自らの仕事のスタイルについて、五味さんが語る。

『メッセージ、発したくないの。テーマを持って仕事してないのね。根本的な話かもしれない。オレは、あるテーマを持って絵本化するって仕事をしてないのね。嫌なのね。ある作業をした時に、このテーマ何なんだろうって探るのが好きなのね。ちょうど逆かな。もしドキュメンタリー作っても、これ何のドキュメンタリーなんだろうというものを作りたいよね。』

私にはとても、腑に落ちた。

私も現役時代、そうだった。

テーマは先になく、取材しているうちに自分の中で何かひっかかるものを見つけてそれを伝えようとしてきた。

だから、現場に行って、予想していたのと違う状況があったり、まったく聞いていたのとは違う話が出てきたら「やった!」とガッツポーズをしたものだ。

今の若いテレビマンは違う。

現場に行く前にストーリーを組み立てて、予定通りのインタビューを撮ろうとする。

だから、予定調和だったり、下手するとヤラセのようなVTRが出来上がってしまうのだ。

『面白くねえよな、結論が先にあるやつって。今日5対0で負けるんですってわかってる野球って、面白くないよね。オレがわざわざ参加しなくてすむんなら、参加してないっていうだけの話だから。』

代表作『きんぎょがにげた』を書いたときの話を聞かれて・・・

『これ、絵本の原則論なんだけど、良い子のために良い絵本という気はまったくないからね、オレ。子供たちに良い絵本を提供したいっていう思いが一個もないのね。これ描いたときも、結果子供たちが反応するやつが多かった。オレが描いたんだけど、よく知らないのね、コイツ。ふざけてんじゃないよ。きんぎょだし、きんぎょかどうかもよくわかんないんだけど、ああそうですかっていう感じがこっちにあるんだよ。この関係性が面白いね。』

実に、面白い。

『きんぎょを作ったのに、気持ちがわからない。絵って、不思議で、ある状況の中でコイツがある意思みたいなものを持って動いてるというのが明らかにわかるわけ。だから、次どこ行こうかみたいなのが、作者ときんぎょと二人でやってる感じ。次、どこ行きましょうか、みたいな、ドアから出ますかみたいな。やり取りしながらやっているやり方、これは今も一緒。』

読んだ人からはいろんな反応があって、いろんな解釈をされた。

大人に多かったのは、きんぎょは孤独だったんで、友達を探しにいったという解釈。

「1匹=孤独、孤独=よくないこと」

五味さんは・・・

『絵本とか、表現のルールとしては、それは読み手個人がやる仕事だよねというのはある。51%は出版のイニシアティブだけど、49%は読み手の仕事なんだよね、よろしくお願いしますっていう感じはすごく持ってる。それを、当たり前じゃねえかと引き受けるのがガキどもだよ。社会的なテクニックとして寄り添うなんてことしてないから、自分の読み方で入ってくるよね。自分なりの解釈をするよね。それは素晴らしい読者だよね。その辺の微妙な感じがたまんないよね。』

最新作「まだまだ まだまだ」を描きながら、五味さんは自信が大切にしていることを語った。

『オレ、ガキの頃から違和感との戦いだった気がする。小学校なんて違和感の巣窟だよな。何でみんな机に座ってるの? 何でみんな並んでるんだろうかとか? そして何であの人がこっち向いてこれ覚えろとか言ってるんだろうって。何してんだろうって、すごく思ってた。違和感っていうをマイナーな言葉として使っているけど、オレは違和感こそ個人だっていうのがあってね。自分があって周りに対する違和感ていうのが、それの調整なり理解なり距離感なりがその人の生き方なんじゃないかな。あるところまで行ったら、逃げちゃえばいいんだよなっていうのがあるから。』

違和感こそ「個人」。

わかる気がする。

『絵本という手段の中で、検討できるよね。その違和感について、ちょっとストーリーメイクしてみましたってことが。そのうち、この違和感ってそういうことなんだって、気がついたりするようなこといっぱいあるしね。絵本はオレにとって、すごいありがたいね。』

そして話は、教育論へと進んだ。

『このドキュメンタリーの核心かもしれないんだけど、今の初等教育をまともに受けてると、ダメになっちゃうんじゃないかな人間。ちょっとマジになって考えたら、やっぱり初等教育ってとんでもないなって、今も100%思います。』

バックに流れる絵本は、『みんながおしえてくれました』

『学校や社会を綿々として作ってきた悪意を感じるけどね。極端に言っちゃうと「ものを考えない人を作りたい」っていう一派がいたんだろうね。それは何かといえば「臨戦態勢」だろうね。「言ったら動け」って、それが尻尾が出てるんであって、子供の教育って「言うこと聞け」ってことじゃない。「前向いて静かにしてろ」ってことじゃない。これはどういう人格作るんだって言ったら、それ「臨戦態勢」だよね。「突っ込め」って言ったら、突っ込む子だよね。「待ってください、これ今何が起こっているんですか」ということを考えちゃいけない子を作りたいわけなんだよね。「ちょっと、話せばわかる」なんて生意気な奴を作らないように。「いろんな考えがあるんじゃないですか」って生意気な意見を言おうよって思うんだよね、あえて。』

コロナ後の世界についても、五味さんの意見は傾聴に値する。

『一回、コロナっていうパワーの中で止まったんなら、次の動きはもうちょっと進歩的な動きって考えないのかなって思うことあって。コロナの前の時代に戻りたいって早く、本当かよって思う。本当にそうなのって。

「個」に戻っていくってこと、やっぱり動き出すのは「個」だよねって。』

散歩が嫌いで、車が好きな五味さん。

「It’s my business」という言葉、「それはオレの仕事であって、お前の仕事じゃないよ」っていう境界をはっきり持った「個」そのものの人だった。

『自分のことを認めてくれる周り、環境。親だけじゃなくて社会がその子を認めていく、その子の存在に一目置くっていうことが社会の常識の中で育っていくようならば、ちょっとは違ってくるんじゃないかって気がするけど。』

どんなコロナ後の社会をイメージするのか?

『まともな穏やかな社会なんて、はっきり言ってこれからだぜ。もっとあるよって。もっとバランスのいい、少なくともより多くの人たちが自分っていう形を丁寧に生きられる。やっぱりやり直しだよね。あるいは部分修正をできるところから始めればってところはある、実際あるよね。』

五味さんの本は、たくさんの言語に翻訳されている。

素敵な絵と簡潔な言葉で描かれる言語を超えた普遍性。

世界で読まれる理由は、とてもよく理解できる気がする。

読み手に委ねる手法が、簡単に国境を越えていくのだ。

五味太郎は、ある意味、最もグローバルな日本人なのかもしれない。

その言葉は、今の日本人の姿を根源から問い質しているような、ドキッとさせられるものがある。

実に面白い番組だった。

続編があるかもしれないというので、それにも期待だ。

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