<吉祥寺残日録>吉祥寺図書館⑨ 篠田謙一著「新版 日本人になった祖先たち」(2019年/日本/NHK出版) #210124

「日本人と韓国人は同根」という司馬遼太郎さんの言葉を読んで以来、日本人の起源について最新の情報を知りたくなった。

司馬さんが「街道をゆく」を書いてからすでに50年近くが経ち、その間にゲノム解析の技術が飛躍的に進歩した。

「日本人は単一民族」と学校で教わった世代として、最新の研究成果を学んで知識をバージョンアップすべきだろうと思ったわけだ。

年末年始休館していた吉祥寺図書館が再開するのを待って、こんな本を借りてきた。

篠田謙一著「新版 日本人になった祖先たち〜DNAが解明する多元的構造」

国立科学博物館の人類研究部長を務める篠田さんが2019年に出版した本なので、かなり新しい知識が詰まっているはずと睨んだ。

縄文人「23号人骨」

篠田さんが冒頭で紹介するのが、この女性。

「23号人骨」と呼ばれる40歳代の縄文人の女性である。

北海道の礼文島にある船泊遺跡で1998年に発掘された人骨からDNAを抽出し、「次世代シークエンサ」という大量のDNA配列を一度に読むことのできるマシンを使って解析を行い、全ゲノムを現代人と同じレベルの精度で決定することに成功した。

上の写真は、人骨の骨格にゲノムデータから得られた軟部組織に関する情報を加味して復元された像だという。

すべてのゲノムデータを読み取ることができると、「23号」と呼ばれるこの女性の特徴がいろいろわかるのだそうだ。

彼女の血液型はA型、父と母から受け継いだDNA配列が非常によく似ているため、長い間少人数の集団内での婚姻が繰り返されていたこともわかった。

さらに、髪は縮れており、虹彩の色は茶色、肌の色は濃く、シミのリスクがあり、酒に強かったこともDNAから読み取れたという。

姿形や体質とDNAの関係に関する研究は、いまも猛烈な勢いで進んでいますから、将来的にはDNAの変異に関する新たな知見が付加されていくことで、子の復顔像も姿を変えていくことになるでしょう。

出典:「新版 日本人になった祖先たち〜DNAが解明する多元的構造」

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前置きはこのぐらいにして、本題に入る。

「日本人はどこから来たのか?」という問いにDNAはどんな答えを導き出してくれるのだろうか?

現代日本人の持つDNA

第5章「現代日本人の持つDNA」というページに、こんな図が掲載されていた。

これだけ見てもよくわからないが、現在の日本人が持っている「ミトコンドリアDNA」の種類を示しているという。

「ミトコンドリアDNA」は母から子へと受け継がれるもので、それを調べることによってその人のルーツがどこから来ているかがある程度わかる。

「単一民族」というイメージが強い日本人だが、調べると実に多くの「ハプログループ」が見つかった。

ハプログループD

現代日本人の中で最も多いハプログループは「D」だという。

D4とD5は東アジアの広い地域に分布しています。双方で日本の人口に占める割合は4割弱となります。ハプログループD4と5は中央アジアから東アジアにかけて最も優勢なハプログループで、朝鮮半島や中国の東北地方の集団でも、この2つが概ね人口の3割から4割程度を占めています。ですからハプログループDを持つ人の総人口は数億を数えるでしょう。東アジア最大のハプログループです。

日本では、D4の占める割合が32.6%、D5が4.8%となっている。

D4aは日本人でもかなりの部分を占めていますが、その誕生は1万年ほど前という比較的新しい時代です。これは縄文時代にあたりますが、この時代には大陸との往来はそれほどなかったと思われますので、このハプログループは弥生時代になって日本に入ってきたと考える方が自然です。

ハプログループB

第2のグループが日本人の7人に1人が該当するハプログループBである。

ハプログループBは、およそ4万年前に中国の南部で誕生したと推定されています。誕生の地である中国南部から東南アジアにかけて人口に占める割合が大きくなっていますが、それ以外にも南米の山岳地域や南太平洋の集団に多いことがわかります。

ハプログループM7

ハプログループM7は、人口では3番目だが「日本の基層集団」として重要な存在らしい。

M7には、3つのサブグループが存在する。

M7aは主として日本に、M7bは大陸の沿岸から中国南部地域に、そしてM7cは東南アジアの島嶼部に分布の中心があるのです。M7が生まれたのが4万年以上前、各サブグループが生まれたのが2万5000年ほど前と計算されています。その時代、氷河期の乾燥化によって海水面は低下していましたから、黄海から東シナ海にかけては広大な陸地が出現していました。おそらくM7の起源地は、今は海底に沈んでいるこの地域だったのでしょう。そこで生まれたサブグループのうち、ハプログループM7aが、日本列島に到達したと考えられます。

このハプログループは縄文人からも見つかっており、まさに日本の基層集団の持っていたハプログループなのです。なお、このハプログループは本土の日本人では約7%を占めるだけですが、沖縄に行くと実に4人にひとりが持っています。

ハプログループA

日本人の約7%を占めるハプログループAは、旧石器時代のシベリア狩猟民「マンモスハンター」に見られる系統だ。

ユーラシアでの分布は中央アジアから北アジア、新大陸では普遍的に見られ、特に北東シベリアと北中米の先住民では人口の過半数を占めています。A5は分布が朝鮮半島および日本に限られる特異なサブグループ。バイカル湖周辺から南下したのでしょうが、A4が東アジアの各地に広がったのに対し、A5の方は、比較的一直線に朝鮮半島に向かったようにも見えます。

ハプログループG

同じく7%程度を占めるハプログループGは、カムチャッカ半島や北シベリアの先住民族の中に高頻度で見つかっている。

このうちG1のサブグループは本土日本やアイヌ、朝鮮半島などで見られ、北海道の縄文人からも検出されているという。

その他のハプログループ

そのほかにも、日本人の中には以下のようなハプログループが。

ハプログループF

東南アジアの最大集団で、日本の人口の5.3%

ハプログループN9

N9bは基本的に日本以外ではほとんど見られず、関東以北の縄文人に多数認められる

ハプログループY1

北海道のアイヌに多く、5〜10世紀にオホーツク文化を持ち込んだ北方の民族が持ち込んだと考えられる

ハプログループM8

漢民族の多く、中原に分布する

ハプログループC

「元」など遊牧民の勢力拡大に合わせて朝鮮半島、中国北部、中央アジアに広がり、日本では少ない

一方、父親から受け継ぐY染色体でも複数のハプログループに分かれるが、こちらはC、D、Oの3つの系統で90%以上を占めるという。

ハプログループO

日本人男性の約半数を占める最大グループ。30〜40%を占めるO1b2は朝鮮半島や華北地域に分布、20〜30%を占めるO2は華北から華南に広がるサブグループとされる

ハプログループC

C2は沿海州の先住民やモンゴル、C1はインドネシアでよく見られる

ハプログループD

日本人男性の30〜40%が持つ日本特有の特徴的なハプログループ。これまで分析された数例の縄文人のY染色体はすべてDだった。

もともと北東アジアに広く分布していたハプログループDが、その後中国を中心とした地域で勢力を伸ばしたハプログループOの系統によって周辺に押しやられた結果のように思えます。日本やチベットは海や高い山によって隔てられたので、このグループが高頻度で残ったのかもしれません。

アイヌの人たちに高率で見られること、近隣集団には見られないこと、縄文人からも検出されていることなどを考え合わせると、Y染色体のハプログループD1bが古代日本の主要なハプログループであったことは間違いないでしょう。

現代日本人のミトコンドリアDNAとY染色体を解析するだけで、いろんなルーツを持つ人間が日本列島にやってきて長い年月をかけて混血してきたことがわかる。

それは日本人に限ったことではなくて、他民族との戦争や交流が活発だった大陸では尚更であろう。

こうしたDNAを活用した研究はまさに現在進行形なのだ。

2008年に理化学研究所のグループが、日本全国から集められた7003名のDNAサンプルについて、それぞれの個体で、14万カ所のSNP(一塩基多型)を分析した結果を公表しました。この研究によって、日本列島集団は中国北京の集団とは明確に区別され、加えて少なくとも遺伝的に区別される本州と琉球の二つの地域集団から構成されていることが明らかになっています。これは列島集団に遺伝的な多層性が見られることを、大規模なDNA分析データによって初めて明らかにした画期的な研究で、琉球列島集団と本土日本の集団は異なった成立のシナリオを持っていることを示唆しています。なお、グループはさらに全国から大量のデータを集めて研究を継続し、2018年には20万人以上の日本人集団のSNPデータベースを構築しています。このデータを使えば、さらに詳しい日本列島集団の地理的な特徴がわかるでしょう。

アイヌについても研究が進んでいて、最近の本土日本人との混血の影響が見られること、本土日本以外の集団との混血の影響もあること、そして本土日本よりも琉球列島集団との類縁性が大きいことが明らかになっている。

こうして科学的に自分たちのルーツを知ることで、「単一民族」という幻想や民族の優劣を唱える言説の嘘を理解することがまずは重要であろう。

DNAから見た縄文人

日本人のルーツとされ、1万年以上にわたり日本列島で暮らしてきた縄文人のDNAはどんな具合だったのか?

最近の研究によると、地域差があったことがわかってきた。

ほとんどの地域の縄文人から出現するハプログループが3種類あります。M7aとN9bとD4b2というハプログループです。このうちM7aとN9bは、日本列島以外の現代人集団からはほとんど見つからない、という特徴を持っていました。また、両者の集団内の比率には地域差があり、琉球列島を含む関西以西の地域では、大部分がM7aなのに対し、関東から北海道ではN9bが多数を占めています。

北海道にだけ存在するG1bやZ1a2は、基本的に北方形のハプログループですから、北海道の縄文人はサハリン、沿海州などの北東アジアの集団と関連があると考えられます。

縄文時代と弥生時代の区分はかつて考えられていたよりも緩やかになり、九州北部で稲作が始まった紀元前10世紀から徐々に東に広がっていったため、混血の度合いによって同時代に生きた人たちのハプログループが分かれたと考えられる。

興味深いことに、現代日本人のミトコンドリアDNAには、関東・東北・北海道の縄文人で多数を占めるN9bが2%程度しか存在しません。また、7.5%存在するM7aも、関西以西のハプログループであるM7a1が大多数を占めており、東北・北海道のハプログループであるM7a2はごくわずかなのです。このことから、現代日本人に伝わる縄文人のDNAは主に西日本の縄文人に由来すると考えられます。

このことは、大陸から渡来した集団と在来の縄文人との混合の様子に原因があると考えると説明がつきそうです。弥生時代の開始期に大陸から渡来した集団が最初に混合したのは、九州北部の縄文人だったはずです。その後、この混合集団が稲作を持って東進し、在来集団を飲み込んでいったとすると、混合集団の中で縄文人の占める割合は最初が最も高かったことになります。そのことが結果的に西日本縄文人のDNAを現代に伝えることになったのだと考えられるのです。

そうしたデータから篠田氏は、『東南アジアから初期拡散によって北上した集団の中で沿岸地域に居住した集団が縄文人の母体になった』と考えている。

初期拡散で東アジアの海岸線に沿って北上したグループが、台湾付近からカムチャッカ半島に至るまでの広い沿岸地域に定着し、その中から日本列島に進出する集団が現れたのでしょう。ミトコンドリアDNAのハプログループの成立年代からは、縄文人につながる人たちの日本列島への進出は、西から入ったM7aが3万〜2万年前、北からはやや遅れてN9bが2万年以降だったと推定されますので、この頃に日本列島に到達した人々が後の縄文人の母体になったと考えられます。縄文人の内部の変異は、南北に広がる沿岸の各地から日本列島に人々が流入したためと、列島内部の混合の様子がそれほど徹底したものではなかったためであると考えられます。

こうした縄文人の存在は、現代日本人の遺伝子の構成を他のアジアの集団から区別する役割を担っている一方、私たちのDNAに占める縄文人の割合はそれほど大きくないというのが結論のようだ。

弥生人のDNA

意外なことに弥生人のDNA解析はまだあまり進んでいない。

最初にゲノム解析ができたのは、福岡県の安徳台遺跡に埋葬されていた女性の人骨3体で、B5a、D4e、D4gという縄文人からは検出されたことのないタイプだった。

豪華な服装品を持った男性に寄り添うように配置された甕棺に埋葬されていたため典型的な渡来系弥生人と考えられているが、現代の東アジアの集団と比べると、予想に反してその遺伝的な特徴は現代日本人の範疇に収まるもので、縄文人にやや近い位置を占めていることがわかった。

この渡来系弥生人について、篠田氏は実に興味深いことを書いている。

渡来系弥生人という言葉から私たちがイメージするのは、大陸の集団、特に朝鮮半島の現代人と同じ遺伝的な構成をしている人々です。しかし主成分分析の結果は、彼らもかなり在来の縄文人と混血が進んでいたということを示しています。安徳台遺跡は弥生時代中期のものなので、弥生時代の開始期からはかなりの年月が経っており、彼らも日本列島ですでに数百年間生活していた集団です。むしろこれまで渡来系弥生人というと、朝鮮半島集団の遺伝的な要素が非常に強い人々という捉え方をしていましたが、その方が不自然なのでしょう。渡来系弥生人も日本で誕生した人々と捉えるべきなのです。混血説を唱えた金関丈夫も、渡来系弥生人は在来集団と混血した集団だと考えていました。ただし、骨の形態からはどの程度混血していたのかを正確に知ることができないので、その程度を評価できていませんでした。

一方で、この事実は日本人の形成について新たなシナリオが必要なことを示唆しています。なぜなら、この集団が東進して在来の縄文集団を吸収していったとすれば、さらに縄文人の遺伝子を取り込むことになるからです。渡来系弥生人との混血だけで、現代日本人が形成されたとすると、渡来系弥生人が現代日本人と大陸集団の間に位置しないと、現代日本人の遺伝的な特徴を説明できません。

人類学者はこれまで大陸からの渡来を弥生時代に限定して考える傾向がありましたが、考古学の分野では古墳時代にも渡来があったことを予想しています。これまでの人類学の研究では資料的な制約もあって、弥生時代以降の大陸からの渡来について、その実体を知ることができませんでした。しかし、核ゲノムの解析で弥生以降の時代の渡来の事実が予想されたことで、今後の現代日本人の形成のシナリオは、弥生〜古墳時代における大陸からの集団の影響を考慮する必要があることがわかりました。

そう仮定すると、現代日本人につながる集団が完成するのは、次の古墳時代ということになります。実際に、私たちの予備的な研究では、古墳時代になると関東の集団の遺伝的な構成が大きく変わることが示されています。この時代に本土日本で、現代人につながる集団が完成に向かったことになるのです。古墳時代の人骨のDNA分析は新たな日本人形成のシナリオを生むことになるでしょう。

私が興味深いと思ったのは2点ある。

一つは、渡来系弥生人が現代の朝鮮や中国の人たちと違い日本人の範疇に入るDNAを持っていたという点だ。

もし、解析された渡来系弥生人が、「倭」と呼ばれた朝鮮半島南部から九州北部に住んでいた集団のメンバーだったと仮定すると非常に納得がいく。

現代の朝鮮人は、北方から南下してきた百済や新羅の末裔が中心であり、「倭」とはもともと異なる民族と言われている。

だから、この渡来系弥生人が「倭」の女性であり、長年の間に縄文人とも混血していたとすれば現代の朝鮮人よりも日本人に近いとしても何の不思議もないだろう。

もう一つ、興味深かったのは渡来の時期である。

弥生時代に多くの人が大陸から渡ってきたのは当然として、古墳時代にもかなりの渡来があったことがDNAから推測されるという。

古墳時代こそ古代史の謎の本丸である。

3世紀から4世紀にかけて誕生したとされるヤマト王権の成立にも、古墳時代の大量渡来はきっと関係しているだろうと私は考える。

この時期の朝鮮半島では高句麗・新羅・百済が争う三国時代で戦乱が続いていた。

この時代、日本列島と朝鮮半島の往来は想像以上に多かったと考えられるのだ。

北九州に限らず、出雲、吉備、大和など各地に豪族が生まれ、最新の技術や物品を求めて朝鮮との交易も行っていた。

自ずと朝鮮の混乱を逃れて日本列島に一族で移住したものたちもいただろう。

天皇家のルーツについても、DNAを調べると少しはっきりするかもしれない。

私たちは渡来人の子孫

篠田氏は、ゲノム解析の結果、現代の日本人の多くは大陸からの渡来人の子孫であると結論づけている。

現代日本人にもっとも多くの遺伝子を伝えているのは大陸から弥生時代以降に渡来してきた人々なのですから、「日本人」の起源は、大陸での稲作農耕民の成立から説き起こすことも可能です。むしろその方が妥当なのかもしれません。その集団がユーラシア大陸のどこで生まれ、どのような拡散の道筋をたどって日本列島に到達したのか、というストーリーが、多くの日本人の成り立ちの物語となります。そうなると私たちの起源の物語は、その大部分が揚子江の周辺や朝鮮半島で展開することになります。これには違和感を覚える人も多いと思いますが、ヨーロッパ人の成立をゲノムで追求する論文などを読むと、在来の狩猟採集民ではなく、後に進出した農耕民を主体として記述が行われていることに気がつきます。結果的に狩猟採集民は数で圧倒されてしまうので、主体を多数派に置いた記載はむしろ当然なのでしょう。私たちが日本人の成り立ちを考えるときに、このような考え方をしないのはなぜなのか、古代と言えば縄文時代を真っ先に思い出し、私たちは弥生時代以降に入ってきた人たちの子孫です、と言われたときの残念な気持ちを持つ人が多いことが何に由来するのか、改めて考えてみても面白いかもしれません。

私が学校の習った頃には、弥生人に比べて遅れた縄文人というイメージだったが、近頃の縄文ブームによって、縄文人は平和を愛し独特の美的センスを持った日本列島固有の素敵な人たちというイメージが広がっている。

しかし残念ながら、我々は弥生以降に日本列島にやってきて、縄文人を「蝦夷」と呼んで駆逐し人口増加と武力によってアイヌや琉球を滅した人たちの子孫なのだ。

それでも、ニュージーランド人が駆逐したマオリの文化を尊重しようとしているように、日本人も縄文人やアイヌ・琉球の文化を大切にし、それによって日本のアイデンティティーとすることは何ら問題ではなく、むしろそうすべきなのだと思う。

わずかではあるが、日本人の中に縄文人のDNAは確実に受け継がれている。

岩手出身の大谷翔平は、縄文人のDNAをたくさん引き継いでいるのではないかと、私は以前から密かに思っているのだ。

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