<吉祥寺残日録>ソーシャルメディアが分断を生むメカニズム #220627

気象庁は関東甲信などの梅雨明けを発表した。

平年よりも22日も早い過去最も早い梅雨明けである。

東京は今日も猛暑日。

週間予報でもしばらくの間は雨が降らない暑い日が続くようだ。

この調子では記録的な水不足も懸念されるが、その前に電力の逼迫が深刻になっている。

政府は初めて東京電力管内に「電力需給逼迫注意報」を発令し、可能な範囲での節電を呼びかけた。

震災によって原子力発電にストップがかかっているところに、ウクライナ危機によりロシア産原油や天然ガスに対して制裁を課し、火力発電にも大きな影響が広がっている。

日本政府も自然エネルギーの活用を急ぐとしているが、中国のような猛烈なスピードで国策として推し進めようという覚悟は全く見られず、今後エネルギー問題が世界を揺さぶることが予想される。

そんな息苦しいような猛暑の中、ネットを見ていて一つの記事が目に止まった。

「クーリエ・ジャポン」の『ソーシャルメディアはいかにして「政治への信頼」を失墜させ、「不正と群集」に力を与えたのか』という記事。

アメリカの月刊誌『アトランティック』に掲載された社会心理学者による記事を転載したものらしい。

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私は家族との連絡にLINEを使う程度で、ほとんどSNSを利用しない時代遅れな人間なので正確に何が起きているのかを指摘できなかったのだが、今の世界を覆う「分断」はSNSの普及と無縁ではないとずっと感じてきた。

そのモヤモヤ感の元となる問題点が何であるのかを、具体的に分析し言葉にしてくれていたのがこの記事だと思った。

それではこの記事の核となる部分を引用させていただこう。

2008年以前、フェイスブックがユーザーに提示するタイムラインはシンプルだった。友達や関係各所が投稿したコンテンツが、新しいものから順に、いつまでも連なって流れてくる。量としては膨大になることも多かったが、タイムラインは他の人が投稿したものに逐一反応しているだけだった。

このシステムが2009年から変化し始める。フェイスブックが「いいね」ボタンを搭載し、ユーザーが他者の投稿を公に評価できるようになったのだ。同年、ツイッターもさらに強力な機能を導入した。「リツイート」ボタンである。ユーザーは特定の記事に対する支持を公にしつつ、フォロワーとその記事を共有できるようになった。

フェイスブックがすぐにこれを真似て「シェア」ボタンを開発し、スマホユーザーがこれを使えるようになったのが2012年のこと。「いいね」と「シェア」はすぐに、ほとんどのソーシャルメディアの基本機能となった。

「いいね」ボタンによって、それぞれのユーザーに最も「ハマる」コンテンツの情報が集まるようになった。まもなくフェイスブックは、「いいね」や「シェア」を含むさまざまなリアクションを最も得られそうなコンテンツを、各ユーザーごとに選んで表示するアルゴリズムを開発したのだ。

引用:クーリエ・ジャポン

「いいね」「リツイート」「シェア」。

よく耳にするので知ってはいるが、自分が一度も使ったことのないこれらの機能が、人間の世界を大きく変えたということらしい。

私が「クーリエ・ジャポン」の記事が面白いと感じ自分のブログに引用しているように、多くの人が共感できる投稿に「いいね」を押し、誰かに知らせたいと思うのは人間の本能的な行動である。

しかし厄介なのは、そこにアルゴリズムやAIが関与して、SNS利用者一人一人を分析し最適化するようになったことである。

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2013年までに、ソーシャルメディアは完全に新しいゲームとなった。そのダイナミクスは、2008年の頃とはまったく違う。腕と運があれば、「バイラル化」する投稿を作り、ほんの数日で「ネット上の有名人」になれるかもしれない。ヘマを打てば、ヘイトコメントに埋もれることになるかもしれない。

あなたの知らない何千人ものクリックによって、あなたの投稿は名声にも恥辱にも繋がり、またあなたも何千ものクリックによってこのゲームに参加できるのだ。

この新たなゲームは、不正と群衆の力学を促進した。ユーザーは自身の本当の好みによってではなく、それまでに得た賞罰経験や、それぞれのアクションに対し、他人がどう反応するかについての予測をもとに動くようになった。

ツイッター社のあるエンジニアは、のちに「ツイッターを嫌な場所にしてしまったリツイートボタンの開発に携わったことを後悔している」と告白した。この新たな機能によって、ツイッター上に群衆が形成されるのを目撃しながら、彼はこう思ったという。

「我々は4歳の子供に弾丸装填済みの銃を与えてしまったのかもしれない」

感情、倫理、政治を研究する社会心理学者として、私もそうした危機の発生を見てきた。最新版のソーシャルメディアプラットフォームは、最も過剰に倫理を振りかざし、また思慮深さから最も遠い一面を我々から引き出すよう、ほぼ完璧に設計されている。そこで見られる蛮行の規模は、衝撃的なものだった。

引用:クーリエ・ジャポン

要するに、「いいね」ボタンや拡散の仕組みを持ったことで、開発者の意図から離れてSNSが一種のゲームになったというのだ。

今ではすっかり社会に定着したが、この機能が実装されると、一部のユーザーが拡散狙いのコンテンツを意図的に発信するようになる。

「バイラル」というのは、ウィルスのようにユーザーの間で広がっていくことを示す言葉で、日本では「バズる」と表現されることが多いが、ある投稿が一気に拡散して話題になることを「バイラル」というらしい。

『最新版のソーシャルメディアプラットフォームは、最も過剰に倫理を振りかざし、また思慮深さから最も遠い一面を我々から引き出すよう、ほぼ完璧に設計されている』という指摘、これこそが「分断」を煽り固定化するものの正体のようである。

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ここで著者はアメリカ合衆国憲法を起草したジェイムズ・マディソンに言及する。

アメリカがまだ国家として未熟で混乱の最中にあった時代、リーダーたちは民主主義の弱点を理解し、それを乗り越えるための知恵を持っていたというのだ。

ジェイムズ・マディソンが合衆国憲法を起草したとき、彼はまさに、こうした一触即発の怒りの伝播から我々国民を守ろうとしていた。

合衆国憲法の考案者たちは、実に優れた社会心理学者たちだった。それが国民による集団的判断に基づく以上、民主主義とはある種のアキレス腱であり、民主主義的共同体は「御し難い激情が抱える混乱と弱さ」に晒されていることを、彼らは知っていた。

それゆえ、持続可能な共和国を生み出す鍵は、以下のことをメカニズムに組み込んでしまうことだった。すなわち、物事の進行スピードを緩めること、激情をなだめること、妥協すること、そして指導者たちを目下の群衆の熱狂からある程度隔離しつつ、選挙日に合わせ周期的に国民に対する説明責任を彼らに果たさせること、である。

2009年から2012年にかけてバイラル性を強化したテック企業により、我々はマディソンが危惧していた悪夢へと導かれた。多くの作家が、『ザ・フェデラリスト』第10編より、「派閥争い」へと向かう人間生来の傾向についてのマディソンの言葉を引用している。

ここでマディソンが語ったのは、「互いへの敵意」に燃えやすく、それゆえ「共通の善のために協力するよりも、互いに苦しめ、反発し合う傾向のほうがよほど強い」、複数のチームや党派へと分裂してしまう、我々人間の傾向についてである。

引用:クーリエ・ジャポン

持続可能な社会を維持する秘訣は、『物事の進行スピードを緩めること、激情をなだめること、妥協すること、そして指導者たちを目下の群衆の熱狂からある程度隔離しつつ、選挙日に合わせ周期的に国民に対する説明責任を彼らに果たさせること』。

まさに、その通りだと思った。

若い頃はどうしても威勢がよく、ある方向に振り切った主張に惹かれてしまうが、国民の最大幸福を求めるのであれば、さえなくても中庸の道を進む以外に方法はない。

議会制民主主義は、良識を持った代表を選び、彼らの合議によって国家が過激な方向に進まないようにする仕組みなのだが、政治家たちの多くは自分たちの利益のために大衆を煽り、大衆は妥協的な政策に物足りなさを感じてしまうという宿命からは逃れられない。

しかし多様な意見を持ち、バラバラに暮らす大衆を組織化し政治的なパワーとするのは簡単ではなく、それによって辛うじて社会のバランスを保ってきたものが、SNSの出現によって自分と同じ意見を持つグループと容易に繋がれる時代になり、しかもアルゴリズムによって自分と同じ意見ばかりが耳に届くようになって、かつてないほど簡単に社会がグループ分けされ分断が表面化するようになったのだ。

こうしたソーシャルメディアがもたらした新たな分断は、AIによってより強化される方向にあるようだ。

ちょうど図書館で借りてきていた若井映亮著「ショートムービー・マーケティング」という本をパラパラめくっていると、最近の若者たちの間では「テレビ離れ」を通り越して「WEBサイト離れ」が広がっているという。

GoogleやYahoo!で検索することさえせず、何か調べたいことがあれば普段利用しているSNSアプリで検索する。

すると、根拠のはっきりしない個人の口コミによって情報を知ることになるため、ますます偏りが大きくなっていく。

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さらに、中国アプリ「TikTok」の世界的なブームによって、若者たちは検索すらしなくなりつつあるという。

YouTubeやInstagram、TwitterなどのSNSとTikTokの最大の違いは、レコメンドフィード、つまり「おすすめ」フィードがあるかどうかです。

TwitterやInstagramを見るとき、多くの人はフォローしている人の投稿を主にチェックしています。また、それ以外の投稿を見るときも、Twitterでは気になるトピックを検索してフォローしたり、フォローしている人が「いいね!」「リツイート」した投稿を見ますし、Instagramでも基本的には検索して表示されたものを見るのが一般的です。Instagramにはトレンドページ、YouTubeには関連動画や急上昇等のレコメンドもありますが、それがメインのユーザー体験には据えられていません。

それに対して2017年にリリースされたTikTokは、革命的なアルゴリズムを浸透させました。

それが「おすすめ」フィードです。

AIによって視聴者ごとに完全にパーソナライズされたフィードが、世界を一歩前進させました。

つまり、AIは私たちの「選ぶ」という工程を極めて減らしていくはずで、TikTokはそれを動画プラットフォームとして実現しました。

これは、「ソーシャルネットワーク2.0」と言ってもいい変化だと考えています。

フォロワーがいなくても、バズが生めるようになったのです。

引用:若井映亮著「ショートムービー・マーケティング」より

著者はインターネット広告代理店「サイバーエージェント」の人なので、こうした変化にポジティブで、若者たちの変化をどのように商売に結びつけるかという視点でこの本を書いているが、ユーザーが検索という主体的な行為さえ行わなくなるということはものすごく大きな変化である。

受動的なメディアだったテレビが時代遅れとされ、人々が主体的に情報にアクセスできるのがインターネットのすぐれた点だとされてきた。

ところが、若者たちはその検索すら面倒になり、自分が見るコンテンツをAIに委ねてしまおうとしているのだ。

テレビの場合、放送法というルールの中でテレビマンが一生懸命調べて確認した情報を流しているわけだが、SNS上の情報は玉石混合、出所の怪しい情報や世論操作を目的にしたフェイク情報が氾濫している。

AIが選ぶ基準は、このコンテンツが特定のユーザーの好みに合うかどうかという一点であるとするならば、ますます偏った情報ばかりに接することになる。

私も試しにTikTokのアプリをダウンロードし、実際に触ってみた。

最初のうちは若者たちが踊ったりネタをやったりするいわゆる「TikTokっぽい」コンテンツが流れるのだが、興味のない動画は下から上にスワイプするだけですぐに次の動画が始まる仕組みだ。

どれも短く基本的には15秒の縦長動画が中心となる。

勝手に流れる動画をどんどんスワイプしていると、美しい風景の動画などが出てきたりする。

それをしばらく見ていると、次第にそれに似た美しい映像ばかりが出てくるようになる。

これがいわゆる「リコメンドフィード」という機能。

かわいい動物の動画を見ていると次々に同じような動画が再生されて、すっかり時間を忘れてしまいそれにハマってしまうわけだ。

ある意味、実によくできている。

これが動物の映像なら害はないが、政治的な動画も結構あって、一度陰謀論的な動画を見出すと次々と特定の思想に染まった動画ばかりが延々と出てくるようになる。

これはYouTubeなど他のメディアでもあった機能だが、TikTokの場合、これがメインの機能となっているため、自分の好きな世界にますますどっぷりとハマり抜け出せなくなるのだ。

TikTokはFacebookやInstagramの倍のスピードで普及し、他のSNSもリコメンド中心のショート動画を強化している。

テレビが新聞を淘汰したように、動画は活字を淘汰する可能性が高い。

ユーチューバーが子供たちの憧れの仕事になったように、これからはTikTok型のショートムービープラットフォームがソーシャルメディアの主流になると筆者は予想しているのだ。

同じTikTokを見ていても、あなたと私では見ている世界が全く違う。

これからは、そういう時代になっていくのかもしれない。

26日からドイツでG7サミットが始まった。

ロシアによるウクライナ侵攻によって、専制国家に対して民主主義陣営の結束を示すのが容易になってはいるが、各国首脳の足元を見るとどこも揺らいでいる。

中国やロシアのようにSNSも統制し、世論をコントロールする専制国家に対して、世論を重視する民主主義は大きな危機に直面していることを痛感する。

<吉祥寺残日録>「アラブの春」から10年!「SNS革命」は人々を幸せにしたか? #210126

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