直木賞作家

「直木賞受賞エッセイ集成」という本をパラパラと読んだ。

文芸春秋社が「オール読物」紙上で選評や受賞作を掲載するのだが、「今度の受賞者はどういう人なのだろう」という読者の関心に答えるため編集部が始めたのが、受賞者による自伝エッセイだ。

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原稿は20枚。中にはインタビューでお茶を濁すケースもある。
「集成」には、21世紀に入って直木賞を受賞した36人の作家のエッセイ(一部インタビュー)が収録されている。さすがに直木賞をとるほどの一流作家たちなので、エッセイと言えども物語性豊かで、自らや周囲の人物描写、心理描写も生々しい。

読んでいると、幼い頃から本が好きだったと言う人が多い。それも乱読、小説だけでなく多分野にわたる知識がその後の糧となっている。
もちろん本とは無縁の子供時代を過ごした作家もいる。しかし、そう言う人でもあるきっかけで読書に目覚め、ある時点で明確に作家を目指すようになる。作家になることを目指してひたすら書く。書くことに喜びを感じる。そうした人が作家になるのだ。

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私は小説を読まないが、それでも直木賞ともなれば名前を知っている作家は多い。気になった人の作品を拾い読みする。

角田光代「書くこと、旅をすること」。

彼女はタイを旅行中に小さな島でマラリアにかかり、死を意識した体験を中心にエッセイを書いた。この体験が彼女の何かを変えた。「旅している間考えたことが、面白いように言葉に変換され、文章になり、小説になった。今まで書いてきたのとは違う意味合いで、取り憑かれたようにワープロを叩いた。その後書いたいくつかの小説に、異国も旅も登場しないが、みな、あのタイ旅行が根本になっている」

それからしばらく彼女は、毎年旅を続け、「書く、ということと、旅をする、ということが、密接につながる」時期をすごす。しかしそこで終わらないのが作家だ。

「だんだん驚くことに慣れ始めている自分がいた。何かを見ても以前のように生々しい驚きがない」 この感覚はよく分かる。そして彼女は「以前のように自分の外側にある言葉をつかまえることはもうできないだろう。そんな風には書けないだろう、小説を書いていくことを旅はもう助けてくれないだろう」と気づく。そして、「書くことと旅をすることは、私の中でゆっくりと切り離されていった。旅と切り離してみると、書くことは格段に楽になった。」

立ち位置や角度や視力をはじめて意識して書いたのは『空中庭園』という小説だった。「書き終えて、自分にもできた、という思いが強かった。立ち位置を変えても、視力を変えても、私は書くことができる、という思いである。」

そして長編を書いてみたいと思った。長編小説に向いた立ち位置、角度、視力があるはずでそれを試してみたくて書いたのが『対岸の彼女』である。「書くってこんなに楽しいことだったんだ」と思ったと言う。

私は60年近く、ほとんど本を読まずに生きてきた。それだけ、本は新鮮ともいえる。残りの人生はできるだけ自分を表現することに使いたい、と作家たちのエッセイを読みながら改めて思った。

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